(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(図1 南海トラフのメガスラストの地殻設定。灰色の領域は、フィリピン海プレートを示しています。太い矢印はプレートの収束方向を示しています。灰色の矢印は、地面の変位12を示します。薄いオレンジ色の領域は、日本政府が発表した最大可能断層領域に対応しています。拡大は図のクリックで)
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 確率で 発生予測の 訴求力 破壊物理の 理論不介在

 一昨日、日本の地震研究者が知恵を絞った地震発生予測が報道されました。
%%%%%巨大地震続発確率、最大96% 南海トラフで3年以内 東北大など 1/10(火) 19:58配信
 南海トラフの東西どちらかでマグニチュード8以上の巨大地震が発生した後、3年以内にもう片方でも巨大地震が続発する確率は4.3〜96%だと、東北大や東京大、京都大の研究チームが10日、英科学誌サイエンティフィック・リポーツに発表した。
【図解】今後30年間に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率、拡大は図のクリックで)
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 世界の過去約110年の地震統計から、より短期間での続発確率を計算すると、1カ月以内で2.6〜85%、1週間以内では2.1〜77%という。  確率の幅が広いのは、1361年以降の続発例を6回中2回とみる見方と、4回とみる見方があるため。東北大災害科学国際研究所の福島洋准教授は「数字で示した方が、続発する可能性の高さや不確実性をイメージしてもらいやすいのではないか」と話している。   確実な続発例は1854年に約32時間の間隔で起きた安政の東海、南海地震と、1944年と46年に約2年間隔で起きた昭和の東南海、南海地震。1361年と1498年にも続発した可能性がある。  巨大地震が発生した場合、気象庁は続発に備えて「巨大地震警戒」の臨時情報を発表することにしており、津波が想定される沿岸地域の住民は1週間程度、事前避難が求められる。
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上記の元ネタ:nature誌に投稿された論文は長いので、今回はその要旨の部分のみを下に転載しておきます。
High probability of successive occurrence of Nankai megathrust earthquakes
 Published: 10 January 2023
Abstract
Great earthquakes along the Nankai megathrust in south-western Japan feature in the top priority list of Japan’s disaster management agenda. In May 2019, an alert system was incepted to issue public warnings when the probability of an earthquake occurrence along the Nankai megathrust became higher than usual. One of the cases that trigger the issuance of public warnings is when a great earthquake occurred and another one of the same scale is anticipated within a short period of time. Although such “twin ruptures” have occurred multiple times along the Nankai megathrust, the quantification of the probability of such twin ruptures has never been attempted. Based on global statistics and local earthquake occurrence history, we estimated the probability of a successive occurrence of two M8 or larger earthquakes within 3 years globally and along the Nankai megathrust to be 5.0–18% and 4.3–96%, respectively. The timing of the second earthquake followed the Omori–Utsu law in global statistics, which allowed the estimation of the probability for the successive occurrence of Nankai megathrust earthquakes in arbitrary time frames. The predicted probability for the one-week timeframe was 100–3600-fold higher than that of the norm, endorsing the necessity for the warning scheme.
(日本文訳)
南西日本の南海メガトラストに沿った巨大地震は、日本の災害管理課題の最優先リストに含まれています。2019年5月、南海トラフ地震の発生確率が例年より高くなった場合に、警報を発令する警報システムが導入されました。警報発令のきっかけとなるケースの一つに、大地震が発生し、短期間に同規模の地震が予想される場合があります。このような「双子の断裂」は南海メガトラストに沿って複数回発生していますが、そのような双子の断裂の確率の定量化はこれまで試みられていません。世界の統計と地域の地震発生履歴をもとに、3年以内にM8以上の地震が2回連続して発生する確率は、南海メガトラストに沿って全世界で5.0〜18%と4.3〜96%と推定されました。2 番目の地震のタイミングは、地球規模の統計における大森・宇津の法則に従いました。これにより、任意の時間枠で南海トラフ巨大地震が連続して発生する確率を推定することができました。1 週間の時間枠の予測確率は、標準よりも 100 〜 3600 倍高く、警告スキームの必要性を裏付けています。
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 そんな折遠くインドネシア7で大きな地震が起きていますので、その情報を下に添付しておきます。
関連記事:
 二日前、インドンシア東部でM7.6の地震発生が報じられました。深さ130kmなので、津波の発生はほとんどなく、地震動による建造物への打撃も少ないと思われます。しかし、この深さの地震としては大きなマグニチュードです。さらには、この深さにしては余震も多いというわけで、これから研究者たちが波動解析などを含む詳細な調査がなされるでしょう。何せ震源付近はインドーオーストラリアプレート、太平洋プレート、フィリッピン海プレート、そしてユーラシアプレートが押し合いへし合いしているサイトです。今般の地震はオーストラリア・プレートの下に潜っている太平洋プレート上で起きているようにみえます。いずれにせよ、プレート運動と重ねた論議があると思われます。
%%%%%インドネシア沖でM7.6の地震 被害情報なし 1/10(火) 6:22配信

(図:インドネシアと東ティモールの沖合で起きたマグニチュード7.6の地震の震源を示した図。【翻訳編集】 AFPBB News
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【AFP=時事】米地質調査所(USGS)によると、インドネシアと東ティモールの沖合で10日未明、マグニチュード(M)7.6の地震があった。物的被害やけが人が出たとの情報はない。 【写真】インドネシアで地震・津波避難訓練 スマトラ島沖地震から18年  震源はインドネシア・アンボン(Ambon)島の南427キロで、震源の深さは約100キロ。揺れはオーストラリア北部特別地域(準州、Northern Territory)のダーウィン(Darwin)でも感じられた。  インドネシア気象気候地球物理庁(BMKG)は津波警報を出したが、後に解除。同庁によると、M5.5の余震も発生した。【翻訳編集】 AFPBB News
参考情報:
(図:震央など、IRISより。拡大は図のクリックで)
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(図:地震の定量的情報、IRISより。拡大は図のクリックで)
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+++++近江遷都前後
 前回記事で引用した天智天皇五年紀「是冬」のくだりを詳しく考察します。
%%%%%天智天皇五年(六六六)
「是冬 京都之鼠向近江移。以百済男女二千余人居于東国。凡不択緇素。起癸亥年至于三歳、並賜官食。倭漢沙門知由献指南車。」

是冬に京都之鼠近江へ向かい移る。百済男女二千余人を東国に居留させる。凡てに緇素(僧侶、俗人)を問わず、癸亥年(西暦663年)より三歳(三年間)、官食を賜わる。倭漢の沙門である知由が指南車を献ず。
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「指南車」 とは南を常に指し示して動く器械で、古代の中国で作成されたものだそうですが、日本列島では斉明紀に作成されたと日本書紀は書きます。

 さて、この一節は興味深いものがあります。この時点では「天智天皇」(「・・・」と括弧付きの意味はこの人物の実体は中大兄ではない。この政局を奈良で取り仕切っていた陰の人物という意味)の府庁の所在地は定かでありません。研究者たちは漫然と奈良盆地のどこかであろうと考えているはずです。先帝の斉明女帝の宮が九州の朝倉であったことをおもえば、後継者である「天智天皇」の宮も其処にあったはずですが、誰もそうは考えません。さりとて、現在の京都でもなかったはずです。と思うとなぜ「京都の鼠」なのだろうかということになります。
 話は簡単です。「京都」とは「みやこ」と音(おん)し、それは現在の福岡県東部、大分県との県財界に近い「京都郡」(みやこ)です。
 話はそれますが松本清張は「鴎外の婢」と題された小説を著しています。舞台は陸軍・医官として在任中(左遷されていた?)小倉で、小説は森鴎外の日記に題材をとったものです。日記では鴎外の家に雇われた婢(女中)の移り変わりが記載されています。或る婢は盗癖があったり、ある婢は男にだらしが無かったりなどなどを簡潔に書きとめているのですが、その中に離婚したばかりの妻に似た婢を鴎外は語ります。鴎外宅で働き出したときにはその婢はすでに妊娠しており、出産の前にやめてしまいます。清張の分身と思われる「物書き」が、その婢の足取りを辿る設定です。その婢が生した娘が不幸な死をとげ、さらにその娘も行方不明となり死が噂されます。その娘が生きた地が門司から行橋にまたがる地で、それはまさに西暦608年隋からの倭国視察官が滞在した地です。そこで、この婢の動静を追跡する物書き(松本清張)が地方の歴史好きの人たちと交流しながら「京都」(みやこ)を考察します。残念ながらこの考察ではその物書きは日本書紀が書く隋の視察官には言及しません。が、地方の固有の視点がかきこまれそれなりに興味深いのです。この「京都」こそ、下に書くそれと同一と私は考えています。
%%%%%220407記事隋視察官(5、福岡の京都)、真実への接近報道
%%%%%推古十六年八月紀
原文:
《推古天皇十六年(六〇八)八月癸卯【三】》秋八月辛丑朔癸卯。唐客入京。是日。遺飾騎七十五疋、而迎唐客於海石榴市衢。額田部連比羅夫以告礼辞焉。

文意(岩波文庫「日本書紀」四、112頁):
推古天皇十六年(六〇八)秋八月癸卯【三日】唐客は京(みやこ)二入る。是日。遺飾騎七十五疋、で唐客を海石榴市の衢(ちまた)で迎える。額田部連比羅夫が礼辞をする。
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 上に掲載の原文では「唐客」とありますが、これは藤原不比等が意図的に「隋」を唐に書き換えているのです。一行は四月に来倭し、六月に新館に移り、八月に「入京」したとあります。ここで「京」とはどこか?それが景行天皇・十二年九月紀に記載されています
%%%%%(過去記事再掲おわり)
 ここでの議論が、下に書く考察の背景となります。
其処の鼠が「近江」に移動したというのです。念を押すように「指南車」なるものが献上されたと上掲の記事は付け加えます。すなわち、ネズミたちは新たな食料豊富な地を求めて「南」に走ったというわけです。その先が「あわうみ」です。しかし、藤原不比等の目にそれが留まるとそれは「淡海=端海野(熊本県南部)」又は、熊本県中央部を東西に横たわる白川・河岸の「大津」ではなく「近江」に書き換えられるのです。

 「倭漢沙門知由献指南車」なる文節がなぜここにあるのか?それもまた興味深いことです。日本書紀の読者が勝手に誤解して奈良から近江に鼠が向ったということであれば、「南を指す」意味はありません。何故なら近江は奈良の北です。さらにはこの装置を献上したのが「倭漢沙門」であるというのです。「倭漢」とは何か?私はそれこそが「天智天皇」の名称の背後に潜む人物、陰で奈良の軍勢を操ってきた人物、すなわち「中大兄」であろうと考えています。
 おもえばこの人物は古事記、日本書紀でしばしば顔を覗かせていたのですが、私は見逃していました。
 そこで倭漢を少し深堀することにします。
%%%%%世界大百科事典内の倭漢の言及 は以下を書きます;…後漢霊帝の子孫といい,秦始皇帝の裔という秦氏(はたうじ)とならび称せられる。東漢(倭漢)(やまとのあや)と西漢(河内漢)(かわちのあや)の両系にわかれ,その後に渡来した今来漢人(新漢人)(いまきのあやひと)を加え,巨大な氏族として存続した。東漢は,大和国高市郡を中心に勢力をひろげ,7世紀までに,坂上・書(ふみ)・民・池辺・荒田井など多くの直(あたい)姓氏族にわかれ,天武天皇の八色の姓(やくさのかばね)において忌寸(いみき)姓に改められ,8〜9世紀には,坂上氏を中心に政界に地歩を占め,宿禰(すくね)・大宿禰を賜る氏もあらわれた。
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(つづく)
 
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