私がもし、平安時代にタイムスリップしたら、
貴族たちにこんなことを教えたい。
①現代人のお風呂事情
平安時代で風呂といえば、
「風呂殿」と呼ばれる、
今でいう蒸し風呂のことを意味していた。
蒸し風呂で汗を流し、
浮き出た垢などを拭き取っていたそう。
貴族の風呂には、
もう一つ「湯殿」というものがあった。
湯殿は比較的今のお風呂に近い。
蒸し風呂を風呂と呼ぶのに対して、
こちらは「湯浴(ゆあみ)」と呼ばれ、
浴槽に浸かるのではなく、
お湯を汲んで浴びるという行水方式で使用されていた。
当時の貴族は、お風呂で体を綺麗にする
という意識がなかったらしい。
体を流すことは「禊(みそぎ)」と
捉えられていて、体を清めるためであり、
体を清潔にするためではなかった。
平安貴族の生活は、
爪切りから風呂、仕事、外出時の方向まで、
陰陽師による占いによって全て左右されていた。
お風呂に入るのも占い次第。
占いで決まった日にしか湯浴はしない。
五日間に一回程度、
つまり月にたった五〜六回程度だったと言われている。
蒸し風呂も使用していたので、
それを合わせると二〜三日に一回程度体を洗っていたとも言われている。
ただし、体を洗うという習慣がなかった貴族たちは、ゴシゴシと垢を落とすということはせず、清潔だったとはとても言い難い状況だと考えられる。
ちなみに、漆黒で艶のある長い髪が美人の条件であった平安時代の女性たちにとって髪は命。
お風呂には入らなくても、米のとぎ汁で艶を出したり、香木で香りをつけたりなどヘアケアには余念が無かったよう。
匂いは、お香でごまかす、
そんな平安貴族たちに、
わたくしめは、
現代人は、毎日風呂に入ることを教えて、
洗い立ての頭皮、髪の匂いをかがせ、
ドライヤーという文明の機器を紹介したいんだ。
平安時代には貴族の場合、
包丁人と言われる調理人が食事を作っていた。
調理法は蒸す・煮る・焼くの3通りのみで、
揚げる・炒めるといった調理はまだない。
平安時代の食事には味が付いてなかった。
これは貴族、庶民とも味付けの習慣がまだなかったため。
その上、平安時代には現在の日本食の基本である出汁や、醤油と砂糖などの調味料も存在してなかった。
調味料の中で使われていたのは、
塩と醤油の原型となった醤、
味噌の原型の味醤、酢、酒、わさびなどで、
それらを料理につけながら食べていた。
現代人の私たちからすると、
かなり質素な味だったと想像できる。
メニューはこちら。
・御物(強飯)
・蘇(古代のチーズ)
・醢(ししびしお、塩辛の一種)
・焼蛸
・脯宍(ほじし、なますの原型)
・腊魚(ほしいお、干した魚)
・脯鳥(ほしどり、塩漬けして天日干しにした鳥肉)
・蒸鮑
・楚割(すわやり、魚の割干し)
・酢、酒、塩、醤(ひしお)の4種の調味料
・羹(あつもの、汁物のお椀)
・割鮮(かっせん、生の魚)
・炙(あぶりもの、魚を焼いたもの)
・調菜(ちょうさい、野菜や乾物を使った料理)
・挙物(あげもの、再現では天ぷらだが、平安時代にはまだない料理)
・窪坏物(くぼつきもの、乾物や生物を切って酢で洗ったもの)
・姫飯(ひめいい、赤米を蒸したもの)
・木菓子(きがし、果物)
・唐菓子(小麦粉などを水で練って油で揚げて蜂蜜などを塗ったもの)
そんな彼らには、
芋の煮っ転がしなんてどうだろうか?
あまじょっぱい、
ホクホクの芋を食ってほしいんだよ。