昭和は遠くなりにけり

 

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萩の花も盛りを過ぎた

文藝春秋今月号の巻頭随筆の中で、元伊勢神宮宮司の久邇邦昭さんが「日本にもディベート教育を」の冒頭に書いていた。

「何年前だったか、山手線に乗っていたところ4~5人の高校生と思しき一組がいた。中の一人が『おい君、日本はアメリカと戦争したのかい』というと、他の一人が『そうらしいな』と返した。その後、『そいでどっちが勝ったんだ』『さあ知らんな』などと話しているので耳を疑った。」とあった。

 

全く笑い話のような話が書いてあって、すぐに皆さんに紹介したい気持ちになった。

あの太平洋戦争がもう全くの昔話で、忘れられている現実があることに気づかされる話だった。

老人は時代が過ぎゆくことを、時代が忘れ去られるということをあらためて実感した。

 

 

太平洋戦争後に生まれた私たち団塊の世代も、もうすっかりこの世の端っこに来ていることを思い知った。

 

そういえば、昭和世代の私たちは、「明治は遠くなりにけり」という言葉を聞いて育った。

ただ、調べてみるとこの言葉は俳人中村草田男が昭和6年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだ句ということだった。

従って、昭和22年生まれの私が生まれる16年も前にできた言葉だ。

明治は45年で終わり、大正が15年だから昭和6年と言えば、明治が終わってから20年経った実感のこもった言葉だったのだろう。

 

今は昭和時代が終わって、約32年も経ている。

昭和はもうすっかり忘れ去られようとしているのだ。

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知人宅で撮影させてもらったマユハケオモト



私が大学生の時、1968年10月明治100年の式典があった。

当日は休日となったと記憶していたが調べてみると休日にはならなかった。

その理由として、当日学校で祝典行事が行いやすいようにする配慮からだとあった。ただ、国家公務員は当日午後は、公務に支障のない限りこの記念の趣旨に沿うため勤務しないことを承認しうる措置を取ったとあった。

今ではとても考えられない時代でもあった。

 

明治100年記念行事に関する世論調査というのがあった。

少し紹介すると

 

Q1. 昭和43年は、明治元年から数えて百年目にあたるので、政府では明治百年を記念する行事などについていろいろと準備を進めておりますが、このことはご存じですか。

            回答 ①知っている(47.2) 

                          ②知らない(52.8)

   

Q2.  あなたご自身の気持ちとしては、明治百年の記念事業は、明治以来の歴史を振り返り、次の百年への希望を込めた行事や事業をいろいろ行った方がよいと思いますか、それともそのようなことはあまり必要がないと思いますか、

 

             回答 ①行事や事業を行った方がよい(48.1)

                        ②あまり必要がない(33.1)

                        ➂わからない(18.7)

 

 質問は9問まであったが、残りは割愛。

 

Q1、Q2で国民の間にはあまり浸透していなかったことがわかる。

やはり明治は遠くなっていたことを知った。その意味では冒頭の若者の言葉もむべなるかなと思う。

 

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マリーゴールドもまだ元気

ところで、昭和100年となると、昭和元年は1926年12月25日だから、昭和100年を記念するのは2026年となり、あと5年後である。

今のところ昭和100年記念事業という声を聞いたことはないけれど、昭和の激動といえば中支事変から太平洋戦争に連なる15年戦争を通じて、日本人の軍人軍属戦死者230万人、民間人の国外での死者30万人、国内での空襲、原爆等による死者50万人、合計310万人以上の犠牲者を出した空前絶後大戦争だった。

 

このことを思うとやはり昭和時代は忘却することのできない日本国民の永久の記念碑として記憶に残すべき時代だと思うのだが‥‥。

老人の単なる感傷だろうか。

 

願わくば、是非とも昭和100年記念事業を国民・国家一丸として実施してもらいたいと昭和人間は思う。

そして、その日を未来に向かって誓う平和の日として残してもらいたいと昭和老人はお願いするのです。

 

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