2021年07月29日

小人閑居して不善をなす、とはいうものの

失点したその瞬間こそ一度アウェイゴール裏に静寂は満ちたが、それも一時のことで息を吹き返したように手拍子とチャントが湧き上がる。それは瞬く間にゴール裏を揺るがす声援と化した。
いかに低迷しているとはいえ、それはいわゆる「古豪」として培われた底力、だったろうか。

ただ、それはどこか断末魔の悲鳴にも聞こえたのは気のせいだろうかー水野茜は首を強く振ってその考えを振り飛ばした。

   

「戻れ戻れ!徹底的に固めるぞ!!」

るりかは前線の選手に届く大声を出し、それを聞くと大空はるかは弾かれたように背筋を伸ばし自陣まで走ってくる。その様を見て比嘉かなたは微苦笑したがすぐに表情を引き締め、前線ーいや、そのさらに向こう、だろうかー視線を移す。

言い知れない圧力を感じる。

怯みかける我が身を叱咤して、かなたは右拳を左の掌に打ち付けた。
























「山本さん」

声に振り向くと今季高校卒業してデビュー、即DFのスタメンを掴みるりかの相方を務める金森さやかがいる。
身長180センチと目を引く高さからもわかるように空中戦を得意ーにはしておらず(笑)、どちらかといえば無難にこなせる、程度ではある。それでもその高さはやはり武器になったが、どちらかといえば駆け引きや思考の部分に強みを見せていた。


「どしたさやか?」
「…いいんでしょうか?」
「いい、とは?」


 問いながらるりかも薄々感じてはいる。
引けば確かにスペースは潰せるが、こちらから攻める事を完全に放棄してしまうと向こうの攻めをいたずらに加速させる。確かに決定的なピンチは作られにくくなるが、それとて絶対ではない。もともと春日には「個」で強さを出せる選手はそういないから、組み立てや崩しでゴールに迫ってくるはずで、敵味方の多数がゴール前、エリア内に溢れかえる、だろう。

そんな局面になってしまえば、強いシュートも眩惑するドリブルも必要ない。適切なタイミングでボールをゴールの方向に押し込んでしまえばいい。 


「いっそ攻めるか?」
「いやいや、それは普通にありませんって!」


ぼそりと呟いたるりかに、さやかは慌ててそれを打ち消し、るりかは苦笑した。


「当たり前だがや。落ち着けって」
「真面目に言ってるかと思いましたよ…」


確かに攻めに出る、という選択がないわけではない。相手が前に出るよりない以上、後ろは手薄にならざるを得ないから、真っ向攻めを受けるのではなくいなしながらカウンターを狙う。もう一点入ればほぼ試合は決まる。
いや、仮に点が取れなくても一度その「カウンターの刃」を見せつければいい。喉元に刃が突きつけられている事実は攻め手を鈍らせ、短い時間での効果的な攻撃を難しくするはずだ。
だが、今のいわきにそれを出来る選手がいるか、そもそも今の今までそういった事をして来なかったという事実がある。付け焼き刃で攻めて上手くいくと思うほどるりかは楽天的ではなかったし、経験を積んでしまっていた。 


「しかし」


さやかはどことなく底意地の悪い笑みを浮かべるー


「ただ引きこもるのも芸がない」
「考えがある、と?」
「結構悪くないと思ってます」
「じゃ大空は前に残しとくか」
「いえ、彼女は引いてもらった方がいい」


さやかは薄く笑う。氷で出来た刃を思わせた。

 
















藤田みのりはどこか呆けて前線を見つめていた。試合に入れていないわけではないのだが、脳裏の大半は自責と悔恨の念に満ちている。 


ー私のせいで 


秋穂がどうだ、というだけのことではない。キャプテンという立場に立ち、交友も増え。自分のいるこのクラブに多くの人が関わり、思いを掛けているかを知っているー知ってしまった。今では。
そのクラブを、自分の失敗で降格させてしまうという事実はまだ中学生の藤田には重過ぎる重責だった。


ー辞めた方がいいのかな



そんなことも脳裏を掠める。退団届けってどう書くんだっけ、そんなことも思い浮かべてーとん、と背中を叩かれて振り返る。鬼の形相の秋穂がいるのかと思ったが、違った。

どこか困ったような苦笑を浮かべる葵若葉がそこにいる。 





















春日でバンディエラ、といえば秋穂みのり、の名がすぐに出る所ではあるが、生え抜きという部分でいえばジュニアユースから春日一筋だった葵若葉もその資格は十分にある。若葉の選手としての資質は決して秋穂に劣るものではないのだが、キャプテンとして残した実績を見ると致し方ない部分はあるかもしれない。この葵若葉、入団当時は「つかさ派」会派の旗頭で「みのり派」一条瑛花とバチバチにやり合っていた、という若干イタい(笑)過去がある。とうに瑛花との和解は済ませており、今となってはよきチームメートであり、藤田にとっても何かと気に掛けてくれるいい先輩、ではあった。


いきなり若葉はこう言った。



「辞めたくなった?」


藤田は自身の心臓が飛び出すのではないかと錯覚した


「おいおい、その顔!」


若葉は藤田の顔を指差して笑い、 やれやれと言いたげに笑い止んだ。


「図星かよ、もうー」
「…」

こくり、と藤田は頷いてー若葉はそれに構わず藤田の肩に手を回し、耳元に口を近付けて囁く。


(…後ろ、ゆっくり見て)
(…?) 


なるべく首を動かさないようにすっと横目でそちらを伺う。 



右サイドの端、センターライン付近。馬場このみと藤堂ちせが何事かをひそひそ話しておりー当然遠くて内容は聞こえないーやがて二人は目を見合わせて同時に強く頷くと。馬場はさらにタッチライン側まで動き、藤堂はその馬場のいる位置がよく見え、かつ自陣の守備には加わらない位置を取った。


藤田は背筋を冷たいものが走るのを感じた。



(葵さん、あれって)
(まあ、狙ってるよね)



何をーなど聞くも愚かだ。試合を決定づける2点目。それしかない。


(で、でもなんで。守りに徹していればそれで十分なはずなのに)
(…)


この辺が経験の差か、と若葉は漠然と考える。確かにこの局面、セオリーとしては守りに徹して時間を待つ、それがベストに見える。

だが、相手がそれを織り込んでくるならーそう知れているなら。逆手に取って優位に立つのは十分に可能だし、点差も一点よりは二点の方がより勝ちに近づく。また、カウンターを必ず決める必要とて、実のところないのだから。


無言の若葉を見ながら藤田は次の言葉を紡ごうとしてー、若葉が先に口に出した言葉に息を呑む。
それは図らずも、自分が言おうとした言葉と寸分違わぬものだったのだー



「どうしたらいい?」



先に言われては仕方がない、藤田は急いで思考をフル回転させる。


「…まず絶対に2点目は取らせちゃダメです。だからあの2人にマークをつけて、」
「なるほど。でも多分、馬場と藤堂の連携で抜こうとしてるから、1人じゃ足りないね」 
「じゃあ2人着けば」
「…この局面で攻めの枚数減らす?」
「う…」


藤田は口籠ってしまう。もっとも、守るべき局面でカウンターに2人割くのがそもそもおかしいのだ。 
とはいえ相手がそう選択した以上、放置もできぬ。 


「2点目を取らせちゃダメ、それは間違いない。でもそのために攻めの手数を減らして、点が取れなきゃ意味がないどころのハナシじゃない」
「確かに」
「なら、どうしよう?」


どこか悪戯っぽく若葉は言って藤田の顔を覗き込み、ぽんと手を打つ。


「こっちが一人で向こうの2人を止めれば、より多い数を攻めに割けるね!天才だ、我ながら!!」
「あ、はあ」

なるほど、言っていることの筋道はわかる。攻める人数をより多く確保するために守備は最低限で。
確かにこの状況では最善の選択肢かもしれない。



(でも一人で二人を見るって…)


文字どおりに「見る」だけならばどうにでもなる。だがことはそう単純ではない。馬場このみ、藤堂ちせといえばサイズこそ小さくあるものの、スピードとテクニックに優れ、仕掛けられる「個」の強さを持つ選手だ。それをどちらも止めるというのは並大抵ではない。それこそ秋穂みのりくらいにしか出来ない芸当なのではないかー

そう考えた時、ひどくにこやかな若葉の視線に気が付き、同時に嫌な予感がする。
それを裏付けるように若葉は藤田の肩を叩いた。


「そういうわけ。じゃ、頼んだよ」 

steve600 at 00:03│Comments(0) 秋穂 | SSSユースの人たち

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