ADHD系の人の成功例とか職業訓練とかの話でよくあるけど。

 

 

「遅刻しても仕事が出来ているから大丈夫」

 

 

って言う考え方マジでクソだと思う。

 

 

これは私の都合だけども。

 

 

私は特段自分が優れているわけではないし、器用なタイプでもない。

 

だから、せめて自分が頑張って絶対できることの選択として

「絶対に遅刻しない」ことをとにかく頑張った。

 

 

だからといって、遅刻する人がいたって責めるわけでもないし、

自分は絶対時間だけは正確にしようと頑張った。

 

 

仕事ももちろん頑張った。

 

 

それなりの評価や結構な高評価をもらったこともある。

 

 

「遅刻はしないし仕事も出来ていたから大丈夫」

 

 

と、思いきや。

 

 

気が付けばハブられ、いつの間にやら悪口、陰口、いじめ。

 

 

 

でも、ADHD系の人の成功例の話の時には9割9分9厘ってくらい。

 

 

「遅刻はしているけど仕事が出来ているから大丈夫」

 

 

って言う話題が出る。

 

 

 

つまり私は

 

 

「遅刻もしないし仕事も出来ているけどそれ以外がマジでクソ」

 

 

ってことね。

 

 

 

こういう話題を出すと

 

 

海外は時間にルーズで日本もそれくらいラフになってもいいって言う話をされるけども。

 

 

そもそもここ日本だし。

 

 

 

海外みたいに遅刻してもその分仕事すればいい環境になればっていうけど。

 

 

そもそもそういう会社はフレックス制だし。

 

 

 

遅刻をしたわけじゃない。重役出勤でもない。

いなきゃならん時にはいて、遅く来た分遅くまで仕事しただけ。

 

 

つまりさ

 

 

ADHD特性がある人だけが遅刻してもいいんだ

だって、そうじゃない人が遅刻したら怒られるんだから

 

 

 

タバコ休憩の論争と同じ。

絶対いつか周りの不満が爆発する。

 

 

 

タバコ吸う吸わないに限らず。

辛い時、集中できない時に席を離れる時間を設けられる制度はあったほうがいい。

 

 

なんにしてもだ

 

 

 

相手や環境に散々自分の価値観を押し付けたのち、

当たり前な顔して正義ぶってご満悦が現在の多様性。

 

 

嫌いとか関わりたくないって言う人がいることも受け入れることが本来の多様性。

 

 

嫌いとか関わりたくないって言った人を強引に黙らせて謝らせて精神的に追い詰めるのが現在の多様性。

 

 

 

マジでクソ

 

 

 

結論として

 

 

 

頑張ってきた私が全部悪くて

頑張ってきた私は全部無駄で

頑張ってきた私のすべてが間違いです

 

 

 

って言われている気分にしかならん

 

 

 

そもそも論

 

 

 

遅刻してもいい環境って言う考え方がマジでクソ

 

 

 

遅刻しなくなる環境を作れるよう訓練しろ

 

 

 

周りに合わせてもらって当たり前という環境にするな

 

 

 

特性だからできないとか仕方ないって言うなら

周りの人が特性に合わせて対応することも出来ないし出来なくても仕方ないって話

 

 

 

片一方だけに都合がいいってのは自己満が過ぎる

 

 

 

障害だから仕方ないって言うなら

障害じゃないから仕方ないって話

 

 

 

努力をやめるってことは人でいることをやめることと同義だ。

 

 

妥協するな。打開しろ。

 

 

 

全部全部全部表裏一体

 

 

 

裏表がないんじゃなくて

裏表だって気が付いていないだけ

 

 

 

常日頃とことん人格、人生を否定されまくっていると感じる私

 

 

 

傍から見ていたらそんなことないって思うんだろうし言うんだろうけど

 

 

それがほら、裏表ってやつですわ

 

 

 

 

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