やりたくない事はやりたくないと言う。

出来ないこともできないと言う。



しかし答え側は

なぜ遅刻したんだと聞かれたから答えたのに

言い訳するなという理屈と同じ。



なんでやりたくないんだと問われれば

上手くできる自信がないからだ。



なぜ出来ないのかと問われれば

経験の中でできないことを自覚しているからだ。




ハサミもカッター大嫌いだ。

ただ、使わないと困るから我慢して代替品はないから使う。




包丁も嫌いだ。でも、料理は嫌いではない。




刃物を持ったら何を思う?




まず、自分の腹を突き刺すビジョンだ。

指を切り落とす。手首を切る。



全部ビジョンだ。痛みはない。

実際にやることもない。痛みの記憶が早いから。

おそらく映像記憶のフラッシュバック。



体調が悪い時は先端が尖ったものでも浮かぶ。

コンビニのフックを見て日常的に目玉が抉られるビジョンが浮かぶ。



でも、口にするのは



ハサミもカッターも真っ直ぐ切るのが苦手だから使いたくない。程度。


ボールペンや包丁でも先端苦手なんだ程度。




同じだよ、誰でもそう言うことあるよ。


本当に同じか?それ。




コンビニはフック商品の棚には基本的に行かないだけ。



いや本当に。



適当なこと言うなよ?



だから他人は信用ならん。


常日頃からこんなんだから

無理しなくていいと言われると何もしてほしくないんだなと感じる。



無理していないことがない。

でも、無理していると口にもしていないのに言われる。



げんなりする。萎える。

気遣いするくらいなら余計な事は言うな。



黙って頼むから黙って勝手にやってくれ。



毎回至急とか急ぎでと言われるといつも遅いみたいじゃん。

って言い返したらそう言う意味じゃないとか毎回言ってないとか言う。




誰かに頼む事で至急や急ぎじゃないことあんの?



わざわざ言うってことは文句あるでしょ?



合理的配慮より言葉の勉強が先なんじゃないのと崩壊する日本語文化に思う。











 

 

 

 

 

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