コロナ禍で、、、
自分の人生について、最近よく考えます。
新型コロナウイルスのせいで、今までと同じことが出来なくなりました。
旅行や、外食、友達と会うことの出来ない時期もありました。今年の夏はプールもありませんでした。家族でプールにも行ってません。
毎年、市民プールで遊ぶのに。今年は自粛しました。
児童館や、室内にある娯楽施設の利用も見合わせてます。
弟くんは「コロナが終わったら行こう」
と健気なことを言って
お姉ちゃんは「わたしがコロナを倒す」
と、まるで悟空のような背中を見せてくれます。
毎日登校するときのマスクをつけるのが日課になりました。
こんな熱い日にマスクをするのが日常になるなんて花粉症でもない私は夢にも思っていませんでした。
学校が休校になった時から、私は職場を休むことになりました。
そして緊急事態宣言が出ました。家の中に軟禁状態。買い物も出来るだけ控えて家にいました。
主人の仕事は製造業なので会社がお休みになることはなく、主人は仕事に行ってくれていました。
主人が働いてくれるから生活出来ているんだ。
けど、もし主人が感染してしまったら、どうしたらいいのだろう。
行って欲しくない。けど、私も主人も働かなければご飯食べていけない。
そんな思いがグルグルしていた日々でした。
子供たちは早くコロナなくなったらいいね。コロナ嫌だね。と言っていました。
けど、外に行きたいとは言わなかったです。30分程度の散歩には行っていましたが公園や人が集まるような場所に行きたいとは言いませんでした。
子供たちなりに事態を重く見ていたんだと思います。
この子たちを守りたい。守っていかなきゃならない。
それなのに私は主人に守らてばかりだ。
昔からは自分では何も出来ない子でした。
何の才能も持ってなくて、何をやっても満足に出来ない子供でした。
何かしなくちゃ。何が出来るだろう。
そんなことを考えながら、何かをすることを考えてました。
ふと部屋を見渡すと、汚い部屋がそこにありました。
せっかく時間があるんだ、片付けよう。
と32年間出来なかったことをやろうと決断しました。
食器棚から食器を出しいらないものといるものを分け、いらない物を粗大ごみの日まで使っていない部屋へ置きました。
食器棚が終わって、大きなクローゼットを整理し、寝室を整理し、3日に1か所のペースで整理しました。
それと同時に毎日玄関とトイレだけはちゃんと掃除しようと決め、トイレを拭いて、玄関の靴を揃えました。
整理されていく収納場所と、物が増えていく粗大ごみの一時保管場所。
これは全部お金だったもの。
主人の稼いだお金、私の稼いだお金。
それを私はこんなにも大切にできなかったんだ、とそう思いました。
物を管理出来ないから物が片付けられないんだと、ようやく理解出来ました。
子供たちに物を大切にしなさい、と言っていたのに、大切に出来ていないのは自分でした。
新型コロナのせいでこれからどうなるかわからない中、働きに行っている主人に申し訳なくなり、同時に感謝でいっぱいになりました。
それから片付けのたびに泣いていた気がします。
それからは掃除の範囲を広げ週1でかけるかかけないかの掃除機を毎日かけるようになり、シンクからぬめりは消えました。
私の汚部屋具合は本当にひどいものなので、文章でも吐き気を催すレベルです。
独身時代の部屋にはGが普通に出現してました。
そんな私が掃除機をかけ、あった場所に使った物を戻す。
それがどれだけ奇跡的なことかは母親が一番驚いています。
人は変わる。
小さいことかもしれませんが、少しだけいい方向に変われました。
だからもう少しだけでいいから、もう少し変わりたいなと思います。
エアコン掃除!
よくドラッグストアに売っているエアコン掃除用の缶😀
ネットで調べても使っている人は多いけど、業者の方からはあまり使用しない方がいい、なんて記事が目立ちます。
そりゃプロに頼むのが一番だと思いますよ。
なんなら買い換えたいよ‼️
けどエアコンって高いし…
そんなポンポン買い換えれないし
クリーニングしてもらうにもお高くて、、、
うちのエアコンは業者さんに出すと
3万円かかるそうで、、、
と言ってももう10年目になるエアコン。
少しニオイもきになる、、、
さぁ!掃除しましょう!
まず分解します。
元に戻せる範囲で
フィンはドラッグストアの缶でスプレーして
ファンの部分は高圧洗浄機で掃除しました。
明日フィン用の掃除液が届くので
それを使ってお掃除します😀
そっちは忘れないように写真とります‼️
年子と自転車
保育園の送り迎えは自転車でした。
当時、わたしは車の免許を持っておらず
基本的に徒歩か自転車の移動でした。
車の便利さを知らないわたしは
それが当たり前で不自由を感じることはありませんでした(〃∀〃)ゞ
今思えば、大変だったね、と自分に言ってあげたいです笑笑
電動自転車は高いし、自分で漕ぐよー
なんて言って普通の3人乗りママチャリを購入しました。
娘2歳息子1歳でした。
前と後ろに子供を乗せ自転車を漕ぐのは
とても緊張しました。
こけたらただでは済まないっ!と
手汗が凄かったのはいい思い出です(≧∀≦)
問題は週明けと週末のお昼寝布団の持ち帰り
パンパンの洗濯物を子供と一緒に押し込み
布団2つを肩からたすき掛けでぶら下げて
帰ってました。
いやー、凄い絵面ですよね笑
けど歩いていくのは遠い!
当時息子はまだ歩けないので、自転車以外の選択肢はありませんでした。
お散歩中のおばあちゃんに可哀想な目で見られたのもいい思い出です笑笑
それでも自転車での送り迎えはそれほど苦ではなかったんです。
自転車に乗りながら歌ったり、道中にある草木を見てたりしました。
しかし、問題は3歳と4歳になった時でした。
娘の体重が18キロ息子の体重14キロになり、2人で30キロを超えました。
子供30キロと大人の体重についに自転車は悲鳴をあげました。
ちなみにわたしはおデブです。
ついに自転車の後輪が破裂しました。
「もう限界だ」
「自転車しんどい?」
「いや、自転車が限界」
「???」
わたしが自転車登園に限界を感じていたと思った旦那でしたが、限界を感じていたのは自転車そのもので、話したら爆笑されました。
仕方ないので免許を取る決意をしました。
職場には免許とりたいので午前休もらえるようにおはなしし、仕事の合間に教習所に行きました。
「免許とりたいんです」
「自転車やったもんね、やっぱりしんどいやろ?」
「いえ、子供とわたしの体重に耐えれず自転車が悲鳴をあげました」
ええ、笑われましたとも。
娘と息子は背が高い部類でそれに比例して体重もそこそこありました。
翌年も自転車登園していたらホイールがおかしくなっていたでしょう🤣
今でもその自転車には乗っています。
娘は自分の自転車があるので、息子かスーパーの袋を乗せてくれています。
頑張ってくれた自転車。
あの時パンクしたから免許を取るキッカケをくれました。
あれがなかったら、今でも私の最速は自転車だったと思います。
雨の日も風の日も暑い日も寒い日もありがとう‼️これからも乗り続けるぞー‼️
年子育児
うちの娘と息子は1歳2ヶ月差の姉弟になります。
いわゆる年子です。
結婚して5年目にしてようやく授かった娘。嬉しかったです。
子供は2人欲しくて、また5年も待つのはしんどいなぁ、という気持ちから早々に子作りを開始しました。そしたらまさか、こんなすぐに出来るとは(o゚∀゚o)
嬉しい驚きでした笑
体質なのか、つわりがひどく娘の時で体重がマイナス10kg、息子の時でマイナス8kgを妊娠初期で落ちてしまう吐きずわりでだったので、娘が活発に動き回る前での妊娠はある意味よかったのかも知れません。
それでも娘にはきっと寂しい思いをさせていたと思いますが、今のところ息子が生まれた時のことはまったく覚えていないそうです。
年子だとそこが少し寂しいかな笑
よかったことは、大きい赤ちゃんと小さい赤ちゃんを並べれたこと。お下がりが古くならないこと。
年子あるあるだと思うんですが、オムツのLとオムツのSを同時に買うのでお店の人にサイズあってますか?ってよく聞かれました。
店員の皆さん親切ですよね(≧∀≦)
完ミだったんですが、娘が1歳と同時にミルクを卒業したのでミルクの被りはなかったです。
よく、年子は双子より大変だから、と言われました。
実際、年子以外を育ってたことがないので比較は出来ませんし、その子の性格に左右されところが大きいので何とも言えませんが、イヤイヤ期は大変でした。
赤ちゃん返りはなかったので、その分イヤイヤ期に凝縮されてたのかも知れません。
上の子がイヤイヤ期後期にさしかかったら下の子がイヤイヤ期初期みたいな状態で常にイヤイヤされてました笑
娘は癇癪持ちなところがあり、泣くと止まらなくなってしまって近所の方に通報されたこともありました。当時、虐待のニュースは頻繁に報道されていたので近所の方が心配してくださったのだと思います。
児童相談所の職員の方が来ました。実際に殴ってもないし、ぷくぷくの健康優良児だったの、玄関先でお話ししたら帰っていかれました。その後は特に連絡がきたりはないです。
正直にお話すれば児童相談所の方が来られた時期は、限界ギリギリだったのかもしれません。
もちろん子供は可愛いですし、大好きです。けど母親として好きや可愛いだけじゃ育てられないことを痛感していた時期でもありました。
この子たちが大人になるために、立派な大人にしなくちゃ、そんなプレッシャーを日々感じていました。私自身がまっとうな人間ではないから、だからちゃんと育てないと、私のようになって欲しくないと、そんなことを思うようになりました。
赤ちゃんだった子供たちは自分の意思を持っている、そんな当たり前のことがとても重圧に感じました。
けど、愚痴や弱音を言うことが怖かった。
愚痴弱音を言えば「年子で産むから」と言われてしまいます。大抵、年子と言えば避妊に失敗したや、無計画というイメージが付いて回ります。
だから平気なふりをするのが私の精一杯のプライドでした。
それから4年。
課題は多いですが、なんとか無事に子供たちは元気に過ごしています。
年子だからいい、なんて言うつもりも、2歳差や3歳差がいい、と言うつもりもありません。
ただ、その子その子、その兄弟や姉妹によって大変な時期があると思います。
2歳から思春期までは何かしらの反抗期らしいので(;゚∀゚)
子育てに楽なんてことはないのかもしれません。
けどそれは子供のことが大切だから悩むことなんだと思います。
さて、今日も1日がんばりましょー!!!
昨日はイライラdayでした
昨日は1日イライラしてました。
仕事が12時から
いつもと違うスタートで、お仕事モードに上手く切り替わらず
なんだか上の空で、、、
退勤後、自宅に帰ってくると職場の備品を持ち帰ってしまっていて
慌ててお店に電話しました。
この時点でもう冷や汗が止まらず、今から届けますと言うと
明日の出勤でいいけど、次からは気をつけてください、と言われました。
自業自得なんですけど、なんだか上手く行かない1日だなぁと感じていたら、
そんな日に限って旦那は遅い。
世間的にはそれでも早い方なんですが定時帰宅が基本な旦那さん
残業してくれるのは有難いことなのに、イライラしてる自分がいて、さらに悪循環
そんな日は娘もイライラ。完全に私のせいなんですが
巾着が開かないというだけで、叫ぶし、1人で遊んでいる息子に娘が八つ当たりして
私に怒られて、2人もイライラでさらに悪循環。。。
お風呂に逃げ込んで、自分を洗い気持ちを落ち着け子供達を呼びました。
月に何度かこういうことがあります。
寝ればたいていのことはスッキリするんですけど(寝不足というわけではありません)
自分の身体をどう落ち着けていいかわからない、というのか
妙な焦燥感を感じて、空回りしているというか、
若い頃は、そんな日を何日も引きずっていました。
結局1週間もの間上手く行かないことなんてザラで、
最終的1ヶ月の間、上手くいかない悪循環に陥ってました。
けど、年齢を重ねて諦めるや、切り替えるを覚えて
それほど長引かなくなりましたが
毎日元気で心穏やかに過ごせたらいいですね。
小学校でのお友達関係
保育園まではわたし自身フルタイムで働いていたのですが、小学校に行くようになって仕事を週3に変えました。
これで娘も友達と遊んだりしやすいだろう、と思っていたんですが。
娘が通っていた保育園から娘と同じ小学校に通う子がおらず、娘は完全にぼっち状態。
友達は出来たものの、わたしも娘もそのお友達がどこに住んでいてるのかすら知らない。さらに娘はまだ一年生で時計も読めないから時間を合わせての待ち合わせが出来ない!!!!
という悪循環で、、、
今日も電信柱で待ち合わせした、と言うものの相手も宿題をして来るのか、してこないのか、いつ来るのかもわからないまま電信柱で20分待った後、相手は来ずっていうのを繰り返しています。
昔は連絡網があったけど、今はないから連絡も取りようもない。
子供の口約束だけだから、帰ってきてからお母さんに習い事があるとか、用事があるってことが発覚してもわたし達が知るすべもない。
遊ばしてあげたいけど、最初の一歩の踏み出し方がわからない( ;∀;)
掃除のモチベーション
尻に鉛が入ってるんじゃないかってほど、尻思い鯖です。
けど、掃除しなきゃっ‼️
って時は、YouTubeを見ます(≧∀≦)
お掃除してる動画をひたすらみて
動きます😃
けど、キラキラ系のママさんばっかりで
正直疲れちゃう時もあるんですよね…
庶民の僻みかな…(^-^;
あんな生活感のない生活なんて無理っ‼️
けど片付けたい時は見ます笑
キラキラ系ママに憧れもありつつ、僻みもありつつ、けど自己嫌悪にならないように
あの人はあの人、自分は自分と言い聞かせて
私の出来るとこをとりあえずやろう‼️
と気持ちを切り替えてます✨
いつかキラキラ系ママになれるとこを祈って✨
まずはダイエットですね笑笑
今日も元気に出勤だー‼️