のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・ご近所編Part3(71)~鐵砲洲稲荷神社~稲荷社感が薄い?

 唐突ですが、皆様は人気番組「必殺仕事人」をご覧になられたことがおありでしょうか。主役の中村主水藤田まこと)を仕事人仲間が「八丁堀」と呼んでましたね。なぜ町方役人を八丁堀と呼ぶのか。寛永年間に隅田川に通じる舟便のため堀が掘削され、その堀の長さが八町(丁)あったことからその一帯を八丁堀と言い、江戸の治安に当たる町方与力、同心の組屋敷があったことに由来するそうです。
 そして、八丁堀の東端の亀島川沿いに「鉄砲洲通り」という、ちょっとおだやかならぬ名前の通りがあります。家康入府のころ、この地の砂州が鉄砲の形をしていたとか、大砲の試射をしたとか言われています。さらに、この鉄砲洲という名を冠した神社があるということで行ってきました。中央区湊にある鉄砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)です。

 前置きが長くなりました。フーッ!

 

 

1.場所

 ここです。

2.ご由緒とご祭神

 平安初期の承和8年(841年)、凶作が長年にわたり続いたため住民たちが自らの産土神(うぶすながみ)を奉斎したのが創祀とされています。その後、東京湾の埋立などの影響で幾度かの遷座を経ることになるが、江戸時代には鉄砲洲の港は物資の集約港となり海上守護の神として船員たちに崇敬されました。明治元年(1872年)に現在地に遷座されています。
 ご祭神は稚産霊神(わくむすびのかみ)、豊受比売神(とようけひめのかみ)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の三柱の神です。総称して生成大神(いなりのおおかみ)と言います。

 
当社のHPはこちらです。

3.参拝

 東京メトロ八丁堀駅B4出口を出て、鉄砲洲通りを南へ5分ほど歩くと大鳥居前に着きます。パット見の第一印象は、「稲荷社の割には地味だ」。鳥居のすぐ前に狛犬がいるのですが、とても小さく大鳥居とのバランスがビミョー!


▼小首をかしげているようにも見える狛犬。壁との隙間にカメラを突っ込んで日付を見たら「皇紀二千六百年記念」と読める。昭和15年(1940年)のことで、詳しくは知りませんが、当時は神武天皇即位2600年の奉祝式典が国を挙げて行われたみたいです。


▼鳥居は昭和59年の建立です。


▼鳥居をくぐると右手に手水舎があるのですが、水も張ってなく使えないみたい。


▼正面が拝殿で、その前には屈強な狛犬が。


 ここまできて感じたのは、稲荷神社なのに独特の赤い鳥居や正一位の幟や、なによりキツネさんが見当たらないこと。ホントに稲荷社なの?でも、門扉の社紋を見ると稲荷社系であることは間違いない。それにしても地味だ~。

4.社殿

 社殿等の建物は、関東大震災後の復興建築として中央区文化財に指定されています。詳しくは同区HPをご覧ください。現在の社殿は昭和10年(1935年)の造営。
  写真でお気づきでしょうが、軒下に扁額止め金はありますが肝心の扁額がありません。文化財ならなんとかしたら?(意見には個人差があります)


▼本殿は、いったん外に出て隣の児童公園の方から見ることができます。

5.境内社

〇合祀殿

天満社、浅間社・三輪社、八幡神社琴平神社、住吉社
社前中央には鏡、左右に随神が鎮座


〇富士浅間神社
 この富士塚中央区有形文化財。幾度か移築、縮小があり現在のものは平成29年に復元されたもの。


 富士塚の周りでやっとキツネさんに会えた。

6.その他境内

百度


二宮金次郎


〇舞殿


〇力石


〇針塚


社務所

7.ご朱印

8.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有難うございます。

 参拝後に分かったのですが、当社は江戸時代初期に正一位稲荷大明神の神位、神号を授かって以来、関東総司稲荷神社と称したそうです。ただ、今では東京で稲荷神社というと王子稲荷神社がダントツ有名ですよね。なかなか当社の名前は出てこない。

 何度も言うようで恐縮ですが、稲荷神社と言ったら狛キツネや赤い鳥居、正一位幟がないとねぇ、と思いながら帰ってきました。

 

 


神話ランキング

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

ブログランキングに参加しています。ポチッと押していただけるとうれしいです。

ブックマーク、読者登録いただけたら励みになります。