THCやCBDについての考え | ハンチントン病の病名に笑った日から始まった

ハンチントン病の病名に笑った日から始まった

24歳の時にハンチントン病を発病した同い年の妻。結婚生活 = 自宅介護を約15年続けてきた体験談や感じた事を綴っています。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

梅雨にしては強過ぎる雨が降っていて、少し怖いです。

 

 

さて、今まで何の前振りも無かったTHCやCBDについて少し書いておきたいと思います。

 

当事者や家族などの関係者間ではなかなか語られない話題ですが、どう考えているのかは大事だと思いました。

 

THCやCBDは、大麻成分を由来とする製品の説明書きに登場します。

 

オイルだったり食品に添加されている形で摂取し、効果を期待するもの”らしい”です。

 

ただ、違いや効能については他の人に語れるほど勉強している訳ではありません。

 

なので、私たちが不随意運動の抑制や介護に使用していたかどうか、その判断を行った理由を中心に書いて行きたいと思います。

 

 

まず結論として、私たちは使用する事は選択肢に入りませんでした。

 

使用するしないでは無く、それを選ぶ前段階から選択肢に入れていませんでした。

 

それは、妻がそれを自分の意思で選択できる間には話し合う様な品が無かった事。

 

そして、その当時の情報を見る限り何のメリットも無いと判断しました。

 

 

今では色々な情報が手に入る時代になったので、緩和方法を探す中で一度は目にすると思います。

 

ただ、その情報の中で謡われている内容は私たちが求めていた形とは違っているので、妻の意思決定を私に委ねる段階になっても使用する選択はありませんでした。

 

 

私たちが思っていた治るとは、『最終的には全ての薬を絶っても日常生活を送れる事』でした。

 

タバコやお酒、お菓子(糖分)、性快楽などなど麻薬成分由来以外の依存は多く存在しています。

 

例えば、今後画期的な薬や治療法が確立されて病気から解放された時にそれらを依存無く絶つ事が出来るかどうかを考えます。

 

それらを使用して、病気から解放されたのに今度は依存と闘わなくてはならないと言うのは悲しい事だと考えました。

 

過去からの今だけを見ていると以前の自分を比較対象にしてしまうので悲観が大きくなってしまうと強く意識していないと考えも体調も悪い方へ引っ張られてしまう様な気がしていました。

 

替わりに、治験や確立されていないリハビリでも取り組めたのは、今から先の未来を少しでも明るいものにしたかったからです。

 

なので、妻も率先して取り組んでいたし、そんな妻のそばに永く居れる様に私自身も一日ごとに変わっていく妻を受けいれながら妻が見ている未来になるべく近い未来を見ていたいと考えていました。

 

私たちが出した結論は、不安や苛立ち、自分ではどうしようも無い不随意運動に見舞われた時には可能な限り近くに居て抱きしめると言う方法でした。

 

 

投薬や治療に関して、どうなるかは個人差もあるので誰も判りません。

 

この『判らない』ことほど恐ろしい事はありません。

 

お願いしている医師からこの言葉を聞く事がどれだけ心細く、悲しい事なのか。

 

その立場になった事がある人でなければ判らないでしょう。

 

そこから、THCやCBD。宗教を始めとしたスピリチュアル的な方向に救いを求めるのは至極当然の事だと思います。

 

ただ、個人的にはそれ以外の【それが無くても今までの日常に戻れる】方法があればそれもやった方がいいとも思います。

 

 

心の声

・依存せず、コントロール出来ていると言う人は、それを言い続けないといけない状況だと言う事。

 

・より良く(欲)生きる方法の宗教よりどう死ぬかを説く宗教の方が健全だと考える。