【追い詰められていた、何も起こっていないのに】発達凸凹5歳

人生が子ども中心になり、気持ちが追い詰められていた。同時に自分の人生も、ハーフハーフで暮らしたい。っておはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC ばらがきさん


 【追い詰められていた、何も起こっていないのに】発達凸凹5歳 


わたしが大学時代、不登校ひきこもり支援に関わっていたとき、印象に残った言葉がある。

子どもが不登校やひきこもりだからといって、お母さんも一緒の気持ちになる必要はない。自分の人生を楽しめばいい。

当時は、そりゃそうだと思っていた。しかし、母という立場になって思う。そうはいっても、子どもの困りごとと、自分の気持ちを、完全に切り離すことはできないよ、って。

ここのところ、わたしは息子の発達障害による困りごとに対して、過敏に反応していたと思う。追い詰められていた。

追い詰められていた、というと、なにか悪いことが起こったように聞こえるが、特に何も起こっていない。いつも通りの日常のなかで、未来を想像して追い詰められていたのだ。

(・ω・) なんでなん

そう、なんでなん? まだ起こってないこと悩んで、どうするん? 結局、その想像は現実にならず、他の問題が起きるんや。人生そんなもんやで。

と気づいて、心が平穏になった。

わたしは発達の遅れのこと、つまり子どものことを考えすぎているのだと思う。だから、追い詰められてしまったのだ。

趣味を作ろうと思う。作る、というか、思い出す、というか。昔の自分が何を好んでいたのか、思い出そうと思う。子どもが生まれる前、結婚する前、就職する前、わたしはいったい何に喜びを感じていたのか、思い出そうと思う。

(・ω・) 気持ちを分散したい。

子どものために生きると同時に、わたしはわたしの人生を生きたい。自分だけの人生を、とはいかないが、ハーフハーフで暮らしたい。

必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。
織田信長

ほな、また(・ω・) よしなにー。

スポンサーリンク