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3月17日は神戸大空襲の日

明日は三月十七日
1945年3月17日神戸大空襲の日。
1995年1月17日神戸淡路大地震の日。

半世紀を隔てて神戸を襲った2つの災害。

今も覚えているのは、神戸からの友人の電話。
神戸淡路大震災の一週間後のことでした。

「家の前で人が亡くなってた。 戦争みたいに...」
戦争なんて体験したことのない筈の友人の言葉。
「言うんじゃなかった。 大阪の人に言っても仕方ない。 わからないよね。」直後にそう続けました。

戦争と震災、全く異なるものの街が破壊された事には変わりはありません。



「言うんじゃなかった。」
「大阪の人にはわからない。」
神戸の震災の後、何度も耳にした言葉です。

震度4の大阪中南部に居ては震度7の神戸の状況は想像を絶します。 震度4では、本棚から本が落ちて家が散らかり、近所の水道管が損傷し道が水浸しになり、信号機が赤のまま止まって交通がマヒする、その程度でした。 そんな軽度の被害しか体験しなかった私には友人の言葉は刺さりました。

それでも神戸の震災はリアルタイムに体験しましたが、神戸大空襲については全く知りませんでした。

令和5年1月、一人の年配女性に出会うまでは。。。

 

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二度、神戸を焼け出された

そう話してくれたのは、優しく穏やかで上品な年配女性。
入院中に知り合いました。

「二度、神戸を焼け出された後、夫婦で大阪にやってきた。」
そう言っていました。

ご主人が亡くなるまで夫婦で「商売をやっていた」との事。
話の内容から工場を経営されていたように感じたものの、定かではありません。

その女性は病室でよくモノを失くしました。
飲まないといけない薬すら、毎日、どこかに置き忘れてしまいます。

そして、一日に何回も同じことを話します。

ほんの少し認知に問題を抱えているのかも知れず、できるだけ手助けになるよう心掛けました。

「私は2度、神戸を焼け出されたんよ。」ある日、そう話し始めました。

「1度目は子供の頃、空襲で家が燃えて、親が亡くなったの。 2度目は地震で家が潰れて焼けて、大阪に引っ越してきたの。」

1945年3月17日の神戸大空襲

米軍の空襲で焼け出された後、小さな子供だった彼女はどう生きたのだろう。

神戸空襲体験記〈総集編〉 (1975年)

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話したくない事は聞く必要もない為、想像しかできません。
混乱の中、親を失った子供は当時たくさん居たでしょう。

「口の悪い人は言うんよ。 『戦争で親を亡くした身寄りのない子は躾がなっていない。』ってね。」 優しく上品な女性ですが、子供時代や思春期は周りの目を気にして苦労されたのでしょう。

国からの補助や支援が殆どない時代、その世代の子供たちが逞しく生き続け、大人になり、高度成長を成し遂げました。 その下の世代は皆、その恩恵に預かり、今があります。

その現実だけで十分です。 感謝と畏敬の念がわきます。


無差別焼夷弾爆撃

米軍による神戸周辺への空襲は3月17日大空襲だけでなく、大小合わせて計128回あったそうです。

ウィキペディアによると「被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、戦災家屋数14万1,983戸、罹災者53万858人、死者7,491人、負傷者1万7,002人とされるが、これは確定的なものではなく実際はさらに膨大な被害であったと推測されている。」との事。

特に2月4日空爆は後に3月10日の東京大空襲、17日の神戸大空襲に先立つ米軍による市街地への実験的な爆撃だった、と言われています。

それ以前の軍事施設や軍需工場への精密爆撃とは異なり、2月4日の神戸への爆撃は実験的な市街地絨毯爆撃だった、との事です。



神戸淡路大震災

「2度、神戸を焼け出された」と話す女性が、2度目に焼け出されたのは、働き盛りを過ぎ、余生が間近に迫った頃だっただろうと想像します。 幼少期に親を失ったのも悲しく辛い経験ですが、人生の後半に焼け出されるのも相当悔しく辛かったことと思います。

地震で焼け出され、神戸に居ても仕方ないから大阪に来た。」
そう言っていました。

恐らく、家財道具も商売道具も全て失くし、裸一貫のスタートだったのでしょう。

焼け出され一人で生きて来た子供が大人になり、家庭を持ち、必死で働き、何十年もかけて培った財産を老齢近くなって失う。  想像しただけで悲しく悔しいことです。

「神戸に居ても仕方ないから...」
老齢近くなって新天地で生活を立て直す決心をしたのでしょう。

すでに子供も大きくなった中、新たな場所で夫婦で一から商売をやり直したのだと想像します。


6,434人の犠牲者を出した神戸淡路大震災が起こったのは1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒。 太平洋戦争の神戸大空襲の50年になる2か月前の事です。 

震災時、太平洋戦争終戦直後の神戸に駐留していた退役軍人達が米国で寄付を募ったという話を聞きました。  また、全く関りがなく、むしろ遠ざけていた宗教団体や反社と思しき(?)怖そうな若者に助けられ、心から感謝しているという言葉も友人から聞きました。 「人は人の善意で生かされている。」そう感じさせられます。



そう言えば、ザ・ブルーハーツが好きだった元上司も神戸で大変な経験をしました。

finitykt.hatenablog.com



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今日も最後まで、お付き合い頂き有難うございました。 m_ _m 

 

なお、3月17日は悲しい話だけの日ではありません。

この日はアイルランドの祭日聖パトリックスデー」です。 ↓

finitykt.hatenablog.com

 

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