飛び込むBlue

終わりはまだまだ遥か先の方だ

ひとりぶんのごはん

ひとりぶんのご飯を作るということへの感覚が少し変わりつつある。

以前はひとりごはんを作るのが大好きだった。いや今も好きなのだけれど、少し変わった気がする。

以前は、「人にご飯を作りたくない」というのが先にあった。それは失敗が許されるからだ。どんなに失敗しても、自分が作ったのなら自分で食べるのだし、自分さえ美味しいと思えれば良いので、そういう意味でひとりごはんを作るのが楽しかったのだ。

一方で、いまは「できるなら人にご飯を作りたい」という気持ちになってきている。それは多少美味しいご飯をつくれるようになってきたからかもしれない。いや、別に上手ではないのだけれど、例えば、人を招いたときに「これくらい用意すれば喜んでもらえるだろう」という感覚で、「簡単で美味しいもの」の作り方くらいはわかるようになった。

それから、たまに手の込んだものを作ったりもするのだけれど、そうするとなんというか自分ひとりで食べてしまうのがもったいないような気がする。だれにもシェアしないままごはんが自分の胃に消費されていく。

また、だいたい、食事というものはひとりぶんを作るのが難しい。ラーメンいっぱい、焼きそば一皿、というようなものならどうにでもなるが、小鉢を何品か揃えて品数を増やそうとすると、とたんに難しい。

それも勿論できなくはない。むしろ品数を多く作るのは楽しい。できあがってテーブルに並べたときの満足感と言ったらない。多く作っても、作りおきとして冷蔵庫や冷凍庫にしまっておけばよいというのもその通り。

けれど、それが美味しくできてしまうとまずい。多く作ったはずなのに、気がつくとそのまま一回の食事でうっかり平らげてしまう。腹回りがとても気になる中年男性としてこれは困りものだ。