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人生100歳まで楽しもう!



最近歳のせいか、よく将来について考えるようになりました。
そんななか、ライフシフトという本を読み、100歳まで生きるために
何が必要かを考えるようになりました。人生100まで楽しもう!

夢に出てきた「三四郎 小宮」から考えさせられた「イジリ」について思う事

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どうも、ぶりっちゅです。

今日は6時過ぎに目覚ましなしで起きたのですが、夢を見ていたので、すでに眠りが浅い状態だったからのようです。

そして、その夢が、ちょっとユニークで、振り返ると色々考えさせられる内容だったので、思い出しながら書き出してみます。

 

夢のあらすじ

とある学校の教室です。自分も学生です。。。30年以上遡ることになりますが。。

それはいいとして。

なぜか、クラスメートに三四郎の小宮(夢の中ではクラスメートなので、敬称略)。私の夢の中では初出演です(笑)。

特に思い出があるわけではないのですが、なぜでてきたのでしょうか?(笑笑)

それもいいとして。。

 

夢の中でも小宮はいじられキャラ。テレビで見ている状況そのままなので、イメージしやすいかと思います。

そこで私は、その小宮をいじっているわけです。

小宮は「なんだよ〜っ」と言いながらおどけています。私もその場を楽しく感じで小宮をいじり続けます。

 

しかし、周りの反応がどうやらおかしい。。。

ある時、他のクラスメートから、「小宮へ対する行動に悪意がある!」と指摘されます。

私は何を言っているのか意味がわかりません。

悪意などあるわけがありません。小宮とじゃれているだけです。

どちらかというと小宮とじゃれているのが楽しいわけです。

 

ですが、外から見るとそうは見えないようでした。

外から見えるのは「私が小宮をいびっている・いじめている」という状況のようでした。

 

私にそんなつもりはあるわけもなく。。。。

改めて考えると、小宮はどう思っていたのか?ということを考えたこともなく、聞いたことももちろんありません。当然、一緒に楽しんでいるものと思っていましたが。

 

自分が良いと思っていたことでも、他人にはそう思われないということです。

 

バラエティでのイジリシーン

バラエティ番組では、いじられキャラのお笑い芸人が「おいしい」と思っていじられキャラを担っているケースも多々あると認識しています。そこは本当だと思いますし、私もそれが楽しいと思ってみています。いじめられているという感じではみていません。

いじられている芸人も結構楽しそうにやっています。

自分にとってそれが普通の光景だと思っていましたが、実はそうでない場合も?

 

芸人はプロです。芸歴の浅い方々はわかりませんが、ゴールデンなどで放送している番組に出演している、よくみる芸人は本当にお笑いのスキルが高い方が多いかと思います。その方々は、「本当に面白いイジリ」「イジられる方にメリットのあるイジり」を計算してやっていると思います。

 

一方、素人はその辺りの線引きが怪しい場合もあるのではと思います。そのような人が、身近な人を気軽に「いじる」と、相手や周りに思いもよらぬ不快感を与えることになるのでしょう。

 

そういう意味では、そのような人たちがプロの芸人の「イジリ」に触発されるのは少々危険なように思います。

不良ドラマなどをみて、不良を気取る子供たちがでてくるのも同じかもしれません。

信頼関係があってのイジリ

成立する「楽しいイジリ」というのは、やはり、「いじる側」「いじられる側」の信頼関係があってのこと。その関係が見られないイジリは、単なるイジメ。あってはならないこと。

自分的にはその場を楽しんだつもりが、周りはそう思っていない。。。ということをしっかり感じとることができなくてはなりません。

一方的にイジリ倒すのもおかしいでしょう。バラエティ番組でよく見るシーンとして、よくいじっている側も時には、イジられていた芸人に逆にイジられるケースもあります。

それが逆転劇のようで楽しく思える。つまりは、バラエティ番組でよく見るイジリシーンは、実は「対等な関係」であり、「信頼関係」があってこそですね。なので、見てて面白いし、気持ちがいい。

 

今日の夢を見て思うこと

今日この夢を見て、初めは「三四郎 小宮」が出てきた、という風変わりな夢という印象でしたが、内容を改めて振り返ると、自分が学生の頃、誰かをいじって、その場の笑いをとったり、盛り上がったりしたことを思い出しますが、幾度か噂で、「その時のことをそいつが文句言ってた」という話を耳にしたことがあります。

自分は楽しかったし、その場も盛り上がりましたが、イジられた当事者は不快に思っていた。そのことは、その際には気づきもしませんでした。

悪意はなかったのですが、周りから見ると、悪意のある行動のようにみえたようです。

自分では自覚していなくても、実はそのようなことを行ってしまっているのでは?ということを改めて意識することになりました。