くらし手帖

甲状腺腫瘍摘出手術、子宮摘出手術をうけました。その備忘録と、その後の生活を綴ります。

再入院② 父からの電話

下書きしている途中でしたが、 記録として残しておきます。

ステント交換まで胆汁を出す

溜まってしまった胆汁を出すため、 また絶食に。

緊急入院し、 即その日に古いステントを出し、

胆汁を鼻から出すチューブをいれ、

その後はナースステーションに1番近い個室に移ったようでした。

5月2日に電話で話す。 また弱ってしまったと言う。

5月3日に 千葉から数年ぶりに兄がやっと帰省。 少しだけデイルームで面会できる。

今後のことなどお願いしていたよう。

ただ、兄は初めから無関心で、 今回の帰省も私に促されての面会。

でも一緒にやる予定だった、 夏野菜の苗の植え付けを頼まれて

母と2人でやったようだった。 父もホッとしただろう。

どうしても話せるうちに、 父に兄を会わせてあげたかった。 実現できてよかったです。

母と兄は似ていて、 どこか無邪気で、現実味がなく、 この頃はきっと父の死ももっと先と思っているようだった。

5月8日 父から電話

この日の朝、コメダにモーニングに入る前、 父の方から初めて電話。

「あまりに暇だから、ちょっと相手してもらおう思うて」

と言ってくれてうれしかった。

1時間くらい話しました。

今の症状や母への愚痴、自分の仕事、子育てのこと。 溢れていました。 聞いて欲しかったんだと思います。

入院は2週間になり面会禁止のため、

今までのことをたくさん振り返る時間だったと思います。

母も父のことが好きだから、 認めて貰いたくて頑張っちゃったんだよ、と言ってあげました。

母は全てを父に頼っていたため、

何をどうしていいか分からず、 外部とのやりとりもできないため、

父は今後を含めて頼りなく思っているようでした。

心配していたのだと思います。

私は私で、

母は子どもの頃怖くて厳しくて、 甘えられなかったこと。

父には遊びを教わり、甘えられたこと、 など

今まで話さなかったような事も話せて、有意義な電話でした。

この時話せて良かったと 今は本当に思います。

父の思いを受け止めて、 自分の思いも伝えられて、

やっと本当の父との対話と 絆が結べたような気がしました。

お父さん、 思いを口に出せてよかったね。

無意識のうちに 魂は

死が近い事をわかっていたのかもしれません。

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