じんべえ時悠帖Ⅱ

日光街道、日光市に入る

 宇都宮から今市までの一日目のゴール、松本のバス停から

50分ほどで宇都宮駅に戻る。宿は駅前のホテルだがチェック

インよりも生ビールを優先。

 ホテルの周囲を回って食事処を物色するが、結局、泊まる

ホテルの入口と道を挟んだ居酒屋に決める。

 壁一面の大きな「SUPER  "DRY"  EXTRA GOLD ー8.8℃」の

看板が決め手。下の写真は翌朝のもの。

 さて、二日目は宇都宮駅前7時20分発の今市車庫行のバスで

「松本」のバス停へ。駅前大通りの混雑で市街地を抜けるのに

三十分かかるが、あとはスイスイでジャスト1時間。

 今日も街道脇の遊歩道を歩く。間もなく「うらない地蔵」

が現れる。本来は体の悪いところに赤い布を巻くと治る、と

言われる「お願い地蔵」。しかし、三つの石から一番軽いもの

当てると願いが叶うとの説から「うらない地蔵」。

 見てもわかるように真ん中の小さいものが一番軽かった。

 街道の右や左の遊歩道を歩くうち日光市に入る。2006年に

今市市から日光市になった。

 大沢宿手前で国道119号の旧道となり車が一気に減ると、

松平正綱の「並木寄進塔」が建つ。この寄進塔は日光街道、

日光例幣使街道併せて四基あるといわれる。

 杉並木が切れ大沢の交差点が見えてくる。大沢の地名は、

頼朝がこの地を家臣に与えて開墾させ「御恩沢」と名付けた

ことが由来と言う。度々の火災で大沢「宿」の面影はなし。

 大沢小学校の前で再び国道が別れ旧道となる。途中からは

樹勢回復のため車止めされ、更に鬱蒼とした杉並木となるが、

落葉や折れ枝が溜まり却って歩きにくくなる。

 徳次郎(トクジラ)宿の入口で見た「第六接合井」と似た

塔は「第三接合井」。今市地震(昭和24年)によって倒壊し

建て直されたもの。六基のうち倒れなかったものは最後の

第六だけだった。

 尚、当時今市には震度計がなかったので、発表された震度

「4」は信ぴょう性がなく「6」だった可能性もあるという。

 江戸から三十二里目の「水無(ミズナシ)一里塚」も東西の

両塚が残る。水分の多い梨が採れたことから「水無」?!

 このあたりの街道脇の土塁は一段と高い。この土塁は街道を

歩く旅人を強盗から守るためと言われるが、これでは逃げるのも

大変なことである。

 日光街道を横切る県道の改修などで一旦杉並木が途切れる

ところに「延命地蔵」。昭和三年の御大典(ゴタイテン)記念の

奉納とあるから昭和天皇即位の御大典であろう。

 ここを過ぎると再び旧道となって、その先にも杉並木は

続きそう。今日の今市宿までの行程の中間点というところ。

 お、「水無湧水庵」、しかしまだ10時半、昼には早い。

尤も、左折した先の距離がわからないから、もし昼時でも

歩きでは敬遠したことだろう。

 続きは次回。

 

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
確かに過疎化による合併、吸収は止むを得ない面もありますが、
工夫で「生き残っている」小さな町村もあります。
長野県でも松本市や長野市が県の面積の多くを占めるようになる姿も
寂しいものがあります。
以前の町名、村名、集落名までなくならないように願うばかりです。
ykoma1949
今市市・・が今は日光市とか・・時代の流れで、平成の大合併
を経て、これを寂しいとと思うか、地方行政の合理化ととるか
今になると、地方都市の少子高齢化の波を考えれば止むを得ない
事だったのか・・人口の大都市集中の回避策のない現在はよかった
ということになりますね。将来のことはともかく・・
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