【動画はこちら】

 

【全文掲載】

正信偈(しょうしんげ)は7文字を1行とし、合計120行の段落で構成されています。

 

120行の内、3段目の法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさ)(いん)()()から44段目の難中之(なんちゅうし)難無過斯(なんなかし)までを()経段(きょうだん)と言い、45段目の印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)から120段目の唯可信斯(ゆいかしんし)高僧説(こうそうせ)までを依釈段(えしゃくだん)と言います。

 

()とは、()るという意味です。

 

何に依るのかと言えば、()経段(きょうだん)経典(きょうてん)に依り、依釈段(えしゃくだん)(しゃく)に依ります。

 

経典(きょうてん)にはお釈迦(しゃか)様の説いた教えが、(しゃく)には経典(きょうてん)に対する仏弟子(ぶつでし)の解釈が書かれています。

 

親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)は、()経段(きょうだん)でお釈迦(しゃか)様が浄土(じょうど)の教えを説いた経緯を説明し、その教えが多くの仏弟子(ぶつでし)によって広がっていく過程を依釈段(えしゃくだん)で説明しています。

 

その中の()経段(きょうだん)は、次の二行から始まります。

 

法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさ)(いん)()()

(ざい)()自在(じざい)王仏(おうぶっ)(しょ)

 

菩薩(ぼさつ)とは修行僧の総称であり、法蔵(ほうぞう)とは阿弥陀仏(あみだぶつ)の修行僧時代の名前です。

 

(いん)()とは、修行僧がさとりをひらいて仏に成るという意味です。

 

()自在(じざい)王仏(おうぶつ)とは、法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)が修行僧だった頃に、さとりをひらいていた仏の名前です。

 

つまり()経段(きょうだん)の最初の二行は、「法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)がさとりをひらいて仏に成る時、法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)()自在(じざい)王仏(おうぶつ)という仏の所にいました((いま)した)」と読むことができます。

 

仏とは、さとりをひらいた全ての人を指す言葉であって、お釈迦(しゃか)様一人を指す言葉ではありません。

 

経典(きょうてん)には、過去・現在・未来という繋がりの中で、数限りない仏方が誕生し、その数はガンジス川の砂の数ほどであると説かれています。

 

その大きな流れの中で、阿弥陀仏(あみだぶつ)という仏が、南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)念仏(ねんぶつ)によって、全ての人を等しく救うという浄土(じょうど)の教えを完成させ、お釈迦(しゃか)様という仏が、その教えをこの世の人々に伝えました。

 

さらに浄土(じょうど)の教えは、多くの仏弟子(ぶつでし)によって新たな解釈が加えられ、その時代に合った形に変化しながら、人々の間に広がっていきました。

 

親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)もまた、仏弟子(ぶつでし)の一人として、浄土(じょうど)の教えを人々に伝えるため、正信偈(しょうしんげ)を書き残したのでしょう。

 

※過去記事は、こちらにまとめてあります。