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とても苦しいことを「四苦八苦(しくはっく)」と言います。

 

四苦八苦(しくはっく)とは、元々、仏教から生まれた言葉です。

 

()()とは、老いること、病むこと、死ぬこと、そして、それらを避けて通れない生きることそのものという人間の根本的な苦しみを指す言葉です。

 

この(しょう)(ろう)病死(びょうし)に加えて、さらに四つの大きな苦しみがあると仏教では説かれています。

 

その苦しみとは、いつかは必ず愛する人と別れなければならない(あい)別離(べつり)()、嫌いな相手と出会わなければならない怨憎(おんぞう)会苦(えく)、求めるものが得られない()不得(ふとく)()、心も体も自分の思い通りにはならない五蘊(ごうん)(じょう)()です。

 

(しょう)(ろう)病死(びょうし)に、この四つの苦しみを加えて八苦(はっく)と言います。

 

技術が進歩し、娯楽が増え、どれほど便利な世の中になっても、私達の住んでいる世界は四苦八苦(しくはっく)に満ちています。

 

たまたま外見や才能、財産や若さに恵まれて、ほんの一時楽しく生きられたとしても、それらは長く続きません。

 

命あるものは死に、形あるものは崩れ、手に入れた全てのものは、あっけなく消え去ってしまいます。

 

そのような現実に逆らって、あらゆるものに執着(しゅうちゃく)すればするほど、人生の苦しみは深まっていきます。

 

このような人々の有り様を見て、お釈迦(しゃか)様は「執着(しゅうちゃく)を捨て、さとりをひらき、心の平穏という変わることのない幸せを手に入れなさい」と教えました。

 

本来、仏教は出家(しゅっけ)をして僧侶となり、修行をしてさとりをひらくことを目的としています。

 

しかし、お釈迦(しゃか)様がこの世を去ってから長い年月が経ち、仏という指導者もいない現代において、自分の力で修行をしてさとりをひらける人が、一体どのくらいいるのでしょうか。

 

釈迦(しゃか)様は、遠い未来を生きる私達にも、さとりをひらく道が残るようにと願い、大きな誓いを建てた仏がいると人々に説きました。

 

その仏の名前を、阿弥陀仏(あみだぶつ)と言います。

 

阿弥陀仏(あみだぶつ)は「全ての人を等しく救いたい」という願いを起こし、その願いを必ず成し遂げるという誓いを建てました。

 

これを、本願(ほんがん)と言います。

 

本願(ほんがん)について、正信偈(しょうしんげ)の7行目と8行目には、このように書かれています。

 

建立(こんりゅう)無上(むじょう)殊勝(しゅしょう)(がん)

超発(ちょうほつ)希有(けう)大弘(だいぐ)(ぜい)

 

建立(こんりゅう)とは「建てる」、無上(むじょう)とは「この上無い」、殊勝(しゅしょう)とは「とりわけて優れている」という意味です。

 

超発(ちょうほつ)とは「起こす」、希有(けう)とは「(まれ)である」、大弘(だいぐ)(ぜい)とは「大きく広い誓い」という意味です。

 

つまり正信偈(しょうしんげ)の7行目と8行目は、「阿弥陀仏(あみだぶつ)は、この上なく優れた願いを建て、世にもまれな大いなる誓いを起こしました」と読むことができます。

 

阿弥陀仏(あみだぶつ)は、どのような時代を生きる、どのような人であっても分け隔てなく救い、必ずさとりをひらかせると本願(ほんがん)の中で約束しています。

 

本来、さとりをひらくことなど叶わない人に、さとりをひらかせる本願(ほんがん)の有難さを、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)は、世にもまれで、この上なく優れた、大きく広い約束であるとほめたたえているのです。

 

※過去記事は、こちらにまとめてあります。