しょっちゅうやってしまうが、ぼーっとしてるとついつい 「~されたかから~なのだ」「~いわれたから自分は~なのだ」について、アホみたいだけど自分に聞いて対話してみた。返事してくれてるつもりで。
偶然よんだ小説で、西郷さんがやむに已まれず決起したとか、大久保さんはそうはしたくなかったのに外交 内部政治 国内紛争 財閥からの資金面の圧迫 旧武士団からの声・・・・・で、ぐわあ!という境遇にあって、あまりのことに「西郷どん いつまでやっとるか!」と叫んだとか叫んでないとか(マンガで見た)。
やむに已まれず そうはしたくなかったけど そうせざるを得なかった・・・・というの。うっすらと 美学とか 犠牲心とか 他のために自分を殺すとか そういうのにあこがれを感じてしまうのだが、ふと、これは 本当に自分の本心か?と 思った。

 

これは本当か?だれかの想いを勝手に背負って 自分自身のこじんてき行動の責任逃れをしてただけじゃないか?責任逃れのためにかっこつけて他から 周りから あの人から ああされた こうされた こうしてくれなかったを理由づけにしてしまっていないか?と自分に問うてみると、暴れる 暴れる 暴れる。

そんなことはない そんなはずはない お前は わかってない お前までそういうのか!と まるであの人のように、自分が暴れる。泣き叫ぶ。そんなんいうんやったら!もいいわ!どうせ私は!とか 自己犠牲に 逃げていく。

ああああ。これか。ネガじゃない。きりすてようとも思わない。自分のなかにこのかわいそう(?)なことを言う存在がいる。外は内の現れというのは これだ。だからこれら暴れるモノと一緒になって沈んでいくのもいいけど、まあまあ 気持ちはわかる。そうやな。そらそう思うわな。たしかにひどいよな。と同情もする。が、このありがちな、どこかで見たような聞いたような読んだような他人がしてたのをみたようなドラマ。結論づけてまとめて解決してしまうところまではまだいってないし、油断してると脳内でグルグルおわらない三文オペラのようなセリフが聞こえる。

 と ここまで自分かってに ドヨンという気分に浸って 浸って 浸って、尿意を催してトイレにいったら すっきり。

 

なんだ?

これで 終わった 気分がかわった 単純すぎて 申し訳ない気持ち?だれに なぜ 落ち込みがたらん?というの。

「すべてすべて 言葉 セリフ にすぎない」と 湧いた。

セリフは 自分か 本当か。しっかり苦しんであげないと もうしわけないという思いも言葉。

 

というのが 昨日の夜から今日の昼までの内面の吐露。なんだこれは 。掃きだめか。書いてすっきりしたから良しとしておく。

 

 

こんだけやっても お腹はすくし 眠くはなるし 頭はかゆくなったら風呂にもはいる。雨もふるし 風でまどもゆれる。空たかく朝日も昇る。大きな雲と朝日は いつもながらきれい。問題らしきことはおこるけど 誰に見られることなく誰に褒められることなく 日は昇り 電車は動き バスは動き 信号は変わる。ゴミの収集車は走り回る。

社会を動かすために 動く人達 モノ 出来事が おこる。

 

相変わらず結論のない話。落ちはない。