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ここ最近は、県内の文化財を訪ね歩いています。
前回も県内の宝篋印塔の優品を訪ねました。県内の文化財は一度は訪れたことがあるところがほとんどなのですが、今一度、この目で現在の姿を見ておこうと再訪して回っています。
今回は埼玉県内でも最古級の建物であることは間違いないといわれる、福徳寺阿弥陀堂を訪ねました。
ここも以前に訪ねたことがありまして、再訪は実に数十年ぶりです。周囲は静かな山村で、とても心が落ち着くところです。
最寄りの駅は西武秩父線東吾野駅になります。集落までの公共交通機関は通っていませんので、駅から歩くことになります。
北東方向におよそ30分から40分ほど歩くことになるでしょうか。山中の集落に入ると高台にポツンと建つ端正なお堂が見えてきます。
このお堂を、山奥のお寺の単なるお堂と侮ってはいけません。
埼玉県最古とされるお堂なのですから。なぜそういわれるのか、それは細部を見るとわかります。
とても簡素な造りです。もっと時代が下ってくれば、禅宗様や大仏様が様式に取り入れられるので組物が複雑に組み合わさって屋根を大きく造ろうとするようになります。
そうなる前の建築手法です。棟札などの記録は見つかっていないのですが鎌倉時代後期の建築とみられるとのこと。私的にはもっと古いのではないかと思います。
方三間、宝形造の阿弥陀堂形式のお堂ですね。時代的にも浄土信仰が流行ったころです。同様の建築は中尊寺金色堂や福島県いわき市の白水阿弥陀堂などが思い当たりますね。
そうなると実はこのお堂、前面に浄土庭園を構えていたんじゃないかな、とも想像されますが、現在の正面側は民家を建てるために斜面ごと大きく削られ整地されいて、遺構らしいものはありません。伝承もなく、おそらく遺構があったとしても破壊されてしまったことでしょう。
それほどの力を持った有力者がこの地を治めていたという話も聞きませんので、あったらおもしろいな、くらいの話です。
ちょっと細かい所も見ていきましょう。貫を支えているのはその形から、舟肘木といわれる肘木です。
もう、これだけでも古い様式の建物だとわかるのです。舟肘木は平安時代頃の組み物とされているのですから。
また、屋根の垂木は平行垂木。まだ禅宗様が入って来る前の和様の様式です。
これらから、なかなかの古い建築であることが推測されます。
古ければ古いほど、マニアの血が騒ぐ…。
正面は、上に開き上げる蔀戸になっています。
これもなかなかな古さを感じさせます。ただ、蔀戸はもっと後の時代まで見られます。
と、ここまでは外観から福徳寺阿弥陀堂がいかに古いと推測されるのかを紹介しました。
これほど古い様式を残す建造物なのですから、ぜひ外観ばかりではなく内部も見てみたい、と思うのがマニアの心ではないでしょうか?
「どうにかして中まで見てみたいものだなぁ…。」
と思っていたら、なんと、一年に一度だけ、2時間ほど内部を見る機会があるというではありませんか。
それは、阿弥陀堂御本尊の御開帳日。11月14日とのこと。再訪を期して、この日はお堂を後にしました。
そして、今年(令和4年)の11月14日。
埼玉県民にとっては「県民の日」でもあります。この日は埼玉県内の小中高の学校はお休みとなり、博物館などは無料開放になります。
ただ、一般の人にとっては会社も休みではないし、通常の一日になることが多いです。ましてや私の仕事は不定期休なので、この日に休みが取れるかはその時の成り行きでしかありませんでした。
しかし、何のめぐり合わせかわかりませんが、たまたま今年は休むことができたのです。縁を感じました。これは何かの縁に違いない!
早速、朝から出かけました。そして、ついにお堂の中を拝ませていただく機会に恵まれたのです!
福徳寺に到着すると、正面の蔀戸が開かれているではありませんか。
御開帳の準備をされていたご住職に堂内の撮影のお願いをしまして、お堂の中を撮影させていただきました。
堂内には厨子があり、この中に秘仏の鉄造阿弥陀三尊像が安置されています。この日は年に一度の御開帳をお待ちになっておりました。
正面から見て左右は遣戸だったんですね。今日は遣戸も外されて堂内が明るく照らされ、隅々までよく拝観できます。
内側から柱を見ると、肘木が見えていません。天井もあります。古いと天井はなく、屋根裏を見せることが多いです。ただ、禅宗様は時代が下っても天井を設けず、屋根裏をあえて見せる「化粧屋根裏」という手法があります。
「あれ?」
舟肘木は天井に隠れてしまっているのですね。このような点が建築時期を下ってみる要因なのでしょう。
(こうなってくると、天井裏に入って屋根裏を見たいですね。)
仏像も撮影は問題なさそうでしたが、さすがに気が引けましたので撮影しませんでした。
ここで、厨子と来迎壁もよく観察してみましょう。
「おっ?」
建物全体の手法と違って、来迎壁周辺はなんか雰囲気が違う…。上の写真を見てもそう思いませんか?
その理由はすぐにわかりました。来迎壁が天井に取り付く上部周辺の組物はかなり複雑です。これが建物外観とは印象を大きく違えている理由でしょう。
細かく見ると、柱の上部がすぼまっている(粽柱という)ところや、貫の上部に台輪のある木鼻など禅宗様の様式が見られるのです。来迎壁はお堂と同時代のものではなく、もっと後世に造られたのでしょう。
さらに解説板の説明からすると、厨子の欄間の装飾も時代的には室町時代のものと見られるそうです。
建物自体と須弥壇や来迎壁周辺は造られた時代が違うとは、すっごい興味深いですね。
こんなお堂が埼玉の山奥で埋もれているのはもったいない。檀家の方にお話を聞くと、この人口減の時代に檀家も減って修繕費用の捻出もままならないそうです。
にもかかわらず、建築史学の分野では偉い先生も見学に来るほど注目されているとのこと。いっそ、宣伝をうまくやって拝観料を取ればいいのではないですか、と提案しました。
今回は私の少ないお小遣いから、せめて修繕費の足しになるようにと御賽銭を目いっぱい投げ、我が家の安泰と貴重な建築物が未来永劫、いつまでも保存されるよう願を掛け、帰途につきました。
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福徳寺阿弥陀堂(昭和24年2月・重要文化財 埼玉県飯能市虎秀・福徳寺)
埼玉県飯能市虎秀にある福徳寺は臨済宗建長寺派のお寺です。参道左手の高台にある阿弥陀堂は方三間、宝形造の阿弥陀堂形式のお堂です。
平安から鎌倉時代になると、浄土思想が流行し、邸宅内に持仏堂を建てることもありました。そのため、この時期には阿弥陀堂形式に住宅風意匠を取り入れた建築も見られるようになりました。福徳寺阿弥陀堂も蔀戸や遣戸を建てて舟肘木を用いるなど、住宅風意匠が見られます。
棟札などは見られませんが細部の様式から鎌倉時代末期の建築とみられ、埼玉県内では最古級の寺院建築です。内部には時代が下ったころに設けられたとみられる来迎壁の前に須弥壇を置き、その上に来迎壁と同時期とみられる厨子が置かれています。中には埼玉県指定文化財の鉄造阿弥陀三尊像が安置されています。この阿弥陀三尊像は一光三尊形式のいわゆる「善光寺式」の阿弥陀像であり、鎌倉時代のものとされています。
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