ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第62回「なぜネットフリックスを倍速再生で観るのか?」①

<直接的には、供給過多と技術進歩>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として細々と楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第62回開催になります。

 

前回の第61回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマ

この日の参加者は8名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

今回は、いつもの通りひじき氏進行役、私ちくわが書記役でやっていきました。

 

この日のテーマは、メンバーの推薦により選ばれた

 「なぜネットフリックスを倍速再生で観るのか?」

です。

 

映像作品の1.5倍速再生や、10秒飛ばし、あなたは使っていますか?使うとしたらその背景に何があるのでしょうか?映像作品に限らず類似の例はあるでしょうか?

 

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆倍速再生、10秒飛ばし、早送り

どういったケースで倍速再生が行われているのか?具体例を出し合いました。

・連続ドラマでの、おさらいの部分

・本筋と関係なさそうなシーン

・早く結末が知りたいと思ったとき

・スポーツ中継(録画)での、大事な局面以外の部分

・オーディオブックはちょっと倍速でも、違和感なく聴ける

 

等々、いろんなケースがあって、いろんな要因から来ることがわかりました。

・できるだけ多くを観たいという欲望

・時間が限られている

・つまらないシーンを飛ばす

・お目当てのシーンだけ観たい

 

◆観るべきものがたくさんある⇒観られてしまう

ネットフリックスという仕組み自体にも、原因がありそうです。

そもそもが「サブスクリプション」という見放題の仕組みをとっていて、ドラマ一気見とか、話題の映像作品がいくつでも見ることができ、そうなると欲望に歯止めがきかなくなります。

 

しかし自分の時間は限られている、必然と時短の方向に進みます。

そして、ネットフリックスにはあらかじめ1.5倍速、10秒飛ばし等の機能が実装されています。

 

直接的な原因としては、供給過多+視聴環境の進化といえるでしょうか。

 

◆人間の処理能力は向上しているのか

「最近の映画は、2時間を切って、短くなっている」

そのような話題から、映像作品の短時間化についての話題になりました。

ユーチューブの人気動画は15分ぐらいが多く、tiktokは15秒。アニメ「銭天堂」は7分です。

映像作品以外にも、スポーツ中継は短時間化のために、延長戦を短くするルール改正がなされています。

短時間化は、あらゆる面で一方向に進行しているようにみられます。

 

そこで、次の問いは、

「なぜ、そこまでして短くしないといけないのか?」なのですが、いっぽうで、

「人間の処理能力が向上しているのか?」という見方をする意見がありました。

 

確かに、それを裏付けるような現象があります。

うちの子どもの観ている、ゲーム解説のようなユーチューブ動画は、変に甲高い言葉でペラペラ早口でしゃべっていて、それを子どもは違和感なく受け入れているんですね。

 

しかし、それに対して、

「いや、処理能力が上がっているんじゃなく、処理されておらず、『流している』、『捨てている』ようなことが行われているのでは?」

という意見もありました。

 

確かに、そういわれてみると、そういうこともある。

なかなか、一筋縄ではいかない、いろんな要素がからんできます。

 

長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!