<父親が病院に行くのを先延ばしするのは、あるあるなのか>
おはようございます!ちくわです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「先延ばし」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆先延ばしと準備期間
先延ばしとじっくり考えて行動に移すのとは違うのか?という意見がありました。
準備が不十分なので、延期する場合、(外部の)期が熟していないので延期する場合。
それは「先延ばし」という使い方とはちょっと違う、という意見もありました。
どちらかというと、「逃避」の意味合いが強いという印象です。
◆父親が病院に行かないのは、あるあるか
父親が病院になかなか行かない、という「先延ばし」例が出てきました。
これは、いまやることの面倒 vs やらなかった時起きる悪いこと の構図から考えると、どうなるでしょうか。
病院に行って指導されるのが嫌、
自分で何とかしてきた人だから、他人に指図されたくない、
最悪の事態を知ってしまうことを恐れて、
そんな「先延ばし」の理由が見えてきます。
この話題は結構盛り上がったのですが、うちの父親も、うちもそうだ、という「あるある」を発見したようでした。
ここから、
(わかっている)悪い結果と直面するのが怖くて、確認することを先延ばしにするという別の例も出てきました。
◆先延ばししていると、問題が解消した
先延ばしにしていると、他の人がやってくれた、という例がありました。
自分がその課題をやらずにいると、見かねた他人が埋め合わせをしてくれたという例です。
この例では、先延ばしにしている負荷を、誰かが被っているという例です。
さらに、この「成功体験」を活かして、先延ばしする癖がついてしまうこともある、という意見もありました。
仕事であれば本来の職務以上のこと、家庭やプライベートであれば作業の偏りになってくる問題ですね。
◆先延ばししない人、先延ばしする人
最後のほうに、先延ばししない人とする人の違いは?という観点から話されました。
期限ギリギリまで粘る、試験前日に勉強する、と、集中力が上がるので効率が高まる。
溜めると一気に片付くのでむしろ効率がいい、などのポジティブな「先延ばし」の論理もありました。
逆に、「先延ばしせずにその都度」「毎日コツコツ」が苦手だから。という意見も。
先延ばししないテクニックとしての話もありました。
「案ずるより産むが易し」という、「とりあえずやってみる」論がありますね。
「いつ、なにをやるか」のように、できるだけ具体的に決めてしまう、というライフハック論のような話も出てきました。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間が来たら終わりです。
今回は、「先延ばし」について、とにかくざっくばらんにワイワイと話せたように思います。
色んなパターンの「先延ばし」についても、検討できました。
そこから、先延ばしの構図についてある程度、抽象化できていた面もありましたし、なかなか楽しい回になりました。
以上で、今回の、みんなの日常哲学カフェ「先延ばし」の振り返りを終わりたいと思います。
では、また!