<想像の枠は超えてみないと、枠に気付けない>
おはようございます!ちくわです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今回は、先日参加した「たかつき哲学カフェ」の「ブックトークと哲学カフェ」の記事を書いていきたいと思います。
「たかつき哲学カフェ」は、大阪府高槻市にて毎月1回のペースで、「緑町カフェ(哲学カフェ)」「烏鷺文庫(ブックトーク×哲学カフェ)」の2種類が行われています。
詳しくは、こちらのブログ記事をご参照ください。
今回は、私設図書室「烏鷺文庫」さんにて行われました「ブックトーク×哲学カフェ」の2月開催に参加してきましたのでその記事を書いていきたいと思います。
今回のテーマは、「想像の枠を超える」であり、テーマに沿った本を持ち寄り、前半はブックトークの時間、後半はテーマに関する哲学対話の時間となります。
参加者は、主催の野尻さん+参加者7名+烏鷺文庫オーナーさんの計9名。
テーマに沿って、それぞれ紹介された本はこちらです。
①「三体」 劉慈欣
②「ガラスの道」 由水常雄
③「彼らは世界にはなればなれに立っている」 太田愛
④「生き物の死にざま」 稲垣栄洋
⑤「わかってよ」 詩集(自費出版)
⑥「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 伊藤亜紗
⑦「気流の鳴る音」 真木悠介
⑧「離婚しそうな私が結婚を続けている理由」 アルテイシア
⑨「言葉の海へ」 高田宏
テーマに沿っていれば、ジャンルは自由ですので、見事に出てきた本のジャンルはさまざまなものとなっていました。
各3~4分、それぞれが持ち寄った本を紹介し、この本はどんな本かということと、なぜこの本が「想像の枠を超える」のかを説明し、質問や雑談を行い前半の1時間は終了。
後半は、「想像の枠を超える」というテーマについての哲学対話の時間となります。
今回、出てきた本の中から、「想像の枠を超える」ことについての共通点を探りながら、「想像の枠を超える」とはどういうことかについて話し合いました。
読書を通して「想像の枠を超えた」経験というのが、このメンバーにとっては、それは恐らく知らず知らずのうちに日常的に行われているのだろうという感想を持ちました。
そして最も印象的だったのが、「想像の枠を超える」ということは、「枠を超えた時にしかわからない」ということではないでしょうか。
例えば仕事をしていて、上司や他部署への批判は日常的に出てきますが、いざその立場に替わってみるとその批判が、ほとんどわがままに近いものだったと気付くことがそういう例に近いのではと思います。
読書をしていて、自分が普段経験することのない他者の経験・考えが刺激となって、「自分の了見はまだまだ狭かった」ということは多いです。
ここにも出てきましたが、夫婦間のこと、障害をもった人のこと、動物のこと、知らなかった世界を手っ取り早く追体験できるのが読書の魅力だとも感じました。
もう1点印象的だったのが、「想像の枠を超える」ということは、いままで築いてきた自分の判断基準を否定されるということで、そのことがストレスであり恐怖になるということです。
いっぽうでそれは、自分を「成長」させるということでもあるので、過去の自分の価値判断を否定されることをポジティブに受け入れるのか、ネガティブに拒絶するのか、また、それが人によって違うのはどういうことか、について話し合われました。
人生において一定の成功を収めお金持ちになった人、ある程度の地位を築いた人が、他者の助言を聞き入れにくいことがあるよね、という意見は印象的でした。
この哲学カフェを通して感じたことをまとめると、
「想像の枠」というのは、自分が今まで生きてきた中で築いてきた、これはこうだ、これが正しいといった価値判断であり、「その枠を超える」ということは、その価値判断が否定されたり、その判断がたくさんあるなかの1つにすぎないということを思い知らされるということではないでしょうか。
そして、「枠を超える」きっかけとなるものは、外からの刺激、住む場所や、置かれている立場が変わること、あるいは本を読む、対話するなどで他者の経験を追体験すること。
しかも、それは「自らが気付くこと」でしか得られないものではないかということです。
この、気付くまでわからない、気付いてしまったら戻れない、非対称性というものが「想像の枠」のおもしろいところですね。
ということで、長々と書きましたが、「たかつき哲学カフェ」ブックトークと哲学カフェについてのレポートを終えたいと思います。
最後になりましたが、この私設図書館「烏鷺文庫」さん、本に囲まれたとっても素敵な空間なので私はすっかり気に入ってしまいました!
楽しい時間をありがとうございました。
では、また!