記紀の成り立ち | HISTORYガイドミスターKのブログ

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古代史から近代史までの歴史の探求ブログです。人類誕生のなぞから超古代史、宇宙飛行士説、日本国誕生、明治維新、日本人のルーツなど幅広く綴っていきます。

どうも、ミスターKです。

 

前回の記事「記紀の呪縛」は読んでいただけたでしょうか?

 

歴史の探求は人間の知的欲求を満たしてくれます。

 

我が国日本は嘘で塗り固められた歴史認識の上に成り立っています。

 

日本とは何か?

 

日本人とは?

 

天皇とは?・・・・

 

 

 

過去の歴史を知ることで、我々日本人にとって大切になってくると思います。

 

 

では、今日の本題の考察と行きましょう。

 

 

古代史を探求していく上で最初に確認しておかないといけない事があると私は思う。

 

それは多くの古代史の考察や探求の参考文献として『古事記』『日本書紀』のいわゆる『記紀』が前提条件としてあるという事。

 

その『記紀』の内容がどこまでが信用できるかを検証しなければならない。

 

その前に古事記と日本書紀の成り立ちを確認してみよう。

 

古事記とは

 

和銅5(712)年、元明天皇(第43代)に献上された。

上、中、下巻の全3巻で構成され、天地のはじまりから第33代の推古天皇までが記されている。

 

編纂を命じたのは壬申の乱(672)年で天智天皇(てんぢてんのう)に勝って新王朝を築いた天武天皇(てんぶてんのう)(第40代)の命によってその編纂が成された。

 

朝廷や各氏族が伝える帝紀(天皇家の系譜)と旧辞(朝廷の伝承・説話や物語)に間違いが多いとして、それを再編集して誤りを正し、稗田阿礼(ひえだのあれ)に読ませ暗誦させた。

 

天武天皇の死により編纂作業は一旦中断するが、のちに元明天皇が阿礼が語る内容を大安万侶(おおのやすまろ)に筆録させ、完成し元明天皇に献上された。

 

簡略に成り立ちを記したが、古事記の全体の3分一を神代が占め、一割に満たない日本書紀に比べて、国譲り天孫降臨などの神話が多く占めていて、歴史書としての性格が強い日本書紀に比べ、古事記は和歌を織り交ぜ演出を図り、神々の感情や復讐の物語、人間の喜怒哀楽を描き、文学的色彩が強い

 

 

 

日本書紀とは

 

日本書紀は古事記の8年後養老4(720)年、元正天皇(げんしょうてんのう)(第44代)の時代に完成された。

 

全30巻からなり、第41代持統天皇までの事積を記録している。

 

古事記は第23代顕宗天皇(けんそうてんのう)で物語的要素の記述をやめ、以後推古天皇(すいこてんのう)まで簡単な系譜のみになるが、日本書紀は顕宗からのボリュームが多く全体の半分以上に達する。

 

編纂を命じたのは古事記と同様に天武天皇で、日本初となる正史をつくるため、天武10(681)年に国家事業として発足した。

 

編纂事業は川島皇子(かわしまのみこ)忍壁親王(おさかべしんのう)ら6人の皇子に加え、中臣大嶋(なかとみのおおしま)上毛野三千(かみつけののみぢ)ら6人の官人。

 

その後40年かけて作成され、最終的には天武の子の舎人親王(とねりしんのう)がまとめあげた。

 

 

 

ここまで『古事記』『日本書記』の成り立ちを見てきましたが、古事記は文学的色彩が強く、日本書紀は記述の仕方も古事記とは異なり、神話部分を除き、年代を追っていく編年体で記述されている。

 

40年という歳月をかけた大プロジェクトだった日本書紀は丁寧に正確な記述がされたというように思える。

 

しかし、一部の内容には明らかに自分たちの都合のいいように改纂された節がある。

 

 

では次回は「記紀」がどこまでが信用できるのか?考察していきましょう。

 

次回の記事でまたお会いしましょう。

 

サイナラ、サイナラ。

 

 

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