前回の記事【記紀の成り立ち】でも見てきましたが、古事記と日本書紀は同時代に編纂されていますが、性質的に違いがみられるし、明らかに自分たちの都合がいいように編纂されているし、天智天皇に勝った天武天皇が編纂を命じている。
いわば『勝者の歴史書』と言うわけである。
権力者側が創ったという事は、都合よく書かれるのは世の常ですね。
では今回は記紀がどこまでが信用できるのか?考察してみましょう。
まず古事記は天地創造から始まる。
現れるのは天地中心の神『天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)』、次に『高御産巣日神(たかみむすびのかみ)』、そして、『神産巣日神(かみむすびのかみ)』の三柱である。
いわゆる造化三神と云われている神である。
そして、ここから幾つかの神々が登場し、有名な男女一対の神『伊耶那岐(いざなき)』、『伊耶那美(いざなみ)』が登場し、皇祖神となる天照大神、出雲神の須佐之男が誕生するのですが・・・・
造化三神には異教徒の意図が組み込まれているように感じます。
編纂された7世紀ごろには大量の渡来人が日本の地には居ました。
その中に秦氏がいる。秦氏がもたらしたのが「景教」すなわち古キリスト教ネストリウス派である。
くわしい説明はここでは割愛するが、古代キリスト教の教派の1つで7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わり、唐代の中国においては景教と呼ばれる。
キリスト教の教典の教えの中に組み込まれているのが三位一体の教えであり、造化三神はそれにあたり、ゼウスやヤハウェと同じである。
「神代史」の疑問が、皇祖神であるはずの『天照大神』が登場するのが、『天の岩戸』の部分だけなので不思議に感じます。
この天の岩戸の部分は日食を表してるという説もあるが、なぜこの部分にしか天照大神の逸話がないのか?
対して須佐之男は前半の部分は天照大神に疑われ、仕返しに反抗期の子供のように高天原で大暴れし、それを嘆いた天照大神が岩戸に引きこもるのですが・・・・
そして、高天原から追放になり、出雲へ天降りヤマタノオロチ退治の逸話になる。
前半と後半では別の人間になったような変貌である。
前半の部分は、天の岩戸の神話を惹だすために創作された話だろうと思われる。
あと、八百万の神々という考え方は古代日本の地にいた縄文人の自然の一つ一つに神がいるという考え方に共存させていったのであろう。
だから多くの神は創作であり実在はしていないだろうと思う。
しかし、日本全国の神社に祀っている神々は実在性が高いと私は確信しています。
問題なのは、天照大神がなぜ皇祖神となり、須佐之男が出雲の中心の神となったのか、ということ。
つまり、これら神々の足跡をたどっていけば、日本誕生の真実が明らかになるのではないかと思われます。
結論的に言うと、記紀は半分はホントの伝記など古代から伝わっていた逸話を取り入れて、半分は都合のいいように編纂されたのでしよう。
神々の系図などもどこまでが信用できるか結局はわからない。
これから、どこまで真実を明らかにできるのか追求していきたいと思います。
ではまた次回の記事でお会いしましょう。
サイナラ、サイナラ。
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