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こんにちは、私は瀬戸内海の小さな島に住んでいます。トンチーです。2018年5月から、ブログをはじめました。フェースブックを利用して皆さんにお役に立つ情報、面白い情報を投稿していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

信長の妻 濃姫には、謎が多すぎる?

こんにちは、ライフデザイナーのトンチーです。
 
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戦国時代の武将信長については、かなり資料がありますが、
 
濃姫に関しては、謎だらけなのです。
 
信長と結婚してからは、詳しい情報は、ぱったりなくなり憶測で
 
話をしないといけません。
 
濃姫さんの人生は、どんなかったのでしょうか?
 
 
1・離縁説(不仲説)
 
  信長との間に子供がいなかったので、離婚したのだという説
 
  しかし当時は、女子が生まれても記録されてない場合があり
 
  本当に子どもがいなかったという確証はないので疑わしいですね。
 
2・本能寺の変で死亡説
 
  ドラマでは、信長とともに戦って一緒に死んだというストーリーも
 
  ありますが、戦(秀吉の応援?)に行くのに妻を連れていくと
 
  いうのもどうも疑問に思います。
 
3・信長の死後も生き延びた説
 
  私は、もしかしたら、生き延びて秀吉、家康の天下統一まで
 
  みたのでは、ないかと思います。確証はありませんが、濃姫は、
 
  時代とともにいろいろと呼び名が変わっています。
 
 
 
  濃姫の名前の移り変わり
 
 
元々の実名は、帰蝶(きちょう)とか胡蝶(こちょう)とか呼ばれていました。
 
濃姫というのは、美濃の国から来た姫なので、美濃姫が、略して濃姫と呼ばれる
 
ようになったのです。信長は、お濃と呼んでいたそうです。
 
その後、鷺山殿、北の方様、安土殿、御台様、養華院と言われたのでは
 
ないかと思われる資料が、出てくるので、もしかしたら濃姫の事かと
 
推測されるわけです。
 
 
濃姫は、再婚?
 
実は、信長と結婚する前、美濃の土岐頼純に12歳で嫁いでいます。
 
いわゆる政略結婚です。
 
後に斎藤道三によって、土岐頼純は、殺害されます。
 
信長の父信秀と道三は、争っていましたが、和睦する為、濃姫
 
信長に15歳の時嫁がせたのです。
 
太田牛一による信長公記によると濃姫が嫁ぐとき、道三は、「もし信長が
 
噂通りのうつけなら、この短剣でさせ!」といいました。
 
すると濃姫は、「もしかしたらこの短剣で父上を刺すかもしれません」と
 
いう有名なセリフがあったとか?いわれています。
 
 
最後に
 
 
最後になりますが、生き延びたのではという理由は、信長の次男の信雄
 
(のぶかつ)の分限帳という資料に安土殿 慶長17年(1612年)に
 
お亡くなりになられたと記録されています。
 
もし、安土殿が、濃姫なら78歳でこの世を去ったという事になります。
 
信長、秀吉、家康の栄枯盛衰をみてきた生き証人であったのかと思うと
 
感慨深いものがあったような気がします。