フランク・ミルズ「ミュージック・ボックス・ダンサー(愛のオルゴール)」、ピアノ教室の私、イージーリスニング、昭和の喫茶店、諏訪湖のオルゴール、ガロ「学生街の喫茶店」、高田みづえ「潮騒のメロディー」、ハイファイセット「フィーリング」、横溝正史、金田一耕助、三協精機、日本電産サンキョー、ピアニスト、昭和歌謡、歌謡曲、洋楽。
 

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各コラムで紹介した曲目リストは、「目次」で…

  

あの曲や動画はどこ… 音楽家別作品

 

*今後の予定曲

 
 

音路 昭和の香り【2】

イージーリスニング・ミルズカフェ



◇昭和の香り

前々回のコラム「昭和の香り(1)ヒーローは帰ってゆく…帰ってくる!」で、昭和の時代に誕生したウルトラヒーローなどのことを書きました。
今回のコラムも含め、計6回(予定)の連載で、「昭和の香り」いっぱいで書いています。
「昭和」といっても、1960年(昭和35)あたり以降の「昭和」です。
1960年は昭和35年、1970年は昭和45年、1980年は昭和55年、1990年が平成2年です。

1945年(昭和20)からの終戦後の昭和の時代は、流行する音楽の種類が大幅に広がり、サウンドも多様になり、いろいろなタイプのミュージシャンが登場してきましね。
もちろん世界中の音楽業界が、新しい時代に向かって、まい進していった時代です。

そんな、多様化した流行音楽のひとつに、「イージーリスニング」と呼ばれた音楽分野がありました。
ひと言で「イージーリスニング」とは言っても、国によって、人によって、若干の相違があります。
音楽スタイルの「イージーリスニング」という呼称も少し違っていたりもしますが、日本では、おおよそ1960年代から1970年代あたりまでの、何かBGMに合うような、メロウなストリングス系の楽団音楽をイメージしますね。

ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・プウルセル、ファンシー・フェイスなど、多くの楽団系のイ―ジーリスニング音楽が、特に私たちの心を魅了しました。

もちろん、こうした音楽は、80年代以降にも引き継がれていきますし、後の「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)」系のミュージシャンにも大きな影響を与えていきましたね。

今回の連載では、それらの楽団を中心としたイージーリスニング・サウンドは横に置いておいて、比較的、ピアニストとしての個人演奏を主眼においたミュージシャンたちのことを、昭和の思い出とともに書いています。

* * *

いわゆる、イージーリスニング系のピアニストの音楽です。
60~70年代の、昭和の時代は、大スターのピアニストが何人も登場しましたね。

今回の一連の連載では、そうした数多い人気ピアニストの中から、 次の6名の、それぞれの楽曲を中心に、少し書いてみたいと思っています。
フロイド・クレーマー(主に60~70年代に大人気)、
フランク・ミルズ(主に80年代に大人気)、
リチャード・クレイダーマン(主に80年代に大人気)、
ジョージ・ウィンストン(主に80~90年代に大人気)、
アンドレ・ギャニオン(主に90~00年代に大人気)、
倉本裕基(主に90~00年代に大人気)。

例によって、関連した歌謡曲や洋楽曲、クラシック音楽曲などもご紹介していきます。
連載の最後は、高らかに「昭和のファンファーレ」で締めたいと思っています。

イージーリスニング系の大型楽団のことは、また別の機会に…。


◇イージーなの?

1970~80年代当時(おおよそ昭和40~50年代)、イージーリスニング系のミュージシャンたちの中には、「イージーリスニング」という何か軽薄にも聞こえてしまう呼称に抵抗を抱いていた者も多くいました。

彼らは、決して安易なくつろぎ環境音楽を作っている意識はなく、大真面目に必死に作品を生み出し、演奏していましたね。
決して「イージー(安易、容易、お手軽…)」な意識でつくり上げることのできる音楽ではありませんでしたね。
今現代の「くつろぎ音楽」ともいえる「スムース〇〇」と呼ばれるような漠然とした音楽呼称とは、少し違う印象を、私は持っています。

ただ、このシンプルでわかりやすい「イージーリスニング」という呼称があったからこそ、多くの人たちは、他の音楽スタイルの楽曲と区別でき、くつろぎを感じさせてくれる、ロマンチックなやさしい音楽世界に、安心して、のめり込むことができたような気もします。

* * *

「イージー(easy)」という言葉は、「安易」「容易」「軽便」「妥協」などをイメージさせる言葉ではありますが、「安心」「やすらぎ」「くつろぎ」「癒し」「やさしさ」「温かさ」などをイメージさせる言葉でもありますね。
人の耳にも、人の心にも、やさしく語りかけてくる音楽スタイルが「イージーリスニング」だと、私は理解しています。

この絶対的な安心感から、当時の昭和時代には、テレビやラジオの放送番組内やCM、そして、喫茶店、本屋、デパート、商店街など多くの施設で、ひんぱんに流されていたのだと思います。
ロックやダンスミュージック、歌謡曲ならまだしも、イージーリスニング曲を聴かされて、怒り出す一般市民など、そうそう考えにくいですよね。

* * *

「感動」や「やすらぎ」をロマンチックに与えてくれる音楽ではありますが、だからといって、その中に勇気、活力、希望、夢がないわけでは、けっしてありません。
ロマンチックな旋律やサウンドの中から、多くのエネルギーを私たちに与えてくれましたね。
その音楽を聴いて流す涙や、深い郷愁の中からも、大きなエネルギーがわき上がるのを感じたものです。

何より、あのロマンチックな雰囲気の大きな世界を、私たちの心の中につくり出してくれたのが、「イージーリスニング」音楽でした。
そういう意味では、けっして、何かの作業や現場の背景に流しておくような音楽ではありませんね。
「イージー」だけど、とてつもない「ディープ(深い)」なものが、その音楽の中にたくさん詰まっていた気がします。


◇昭和の「喫茶店」

その当時の昭和時代は、テレビやラジオの放送はもちろん、街なかの喫茶店のBGMの定番は、やはりイージーリスニング音楽で、楽団系の楽曲や、ピアニスト系の楽曲で、店内は包まれていました。
今から思うと、昭和の喫茶店の店内は、コーヒーの香りとともに、重厚な家具、メルヘンチックな壁紙、かわいい小物、そしてイージーリスニング音楽という、何か特別な空間が演出されていた気がします。

今現代の内装は、洗練されたシンプル系のビジネス的なデザインが多いですが、昭和の時代は、どちらかというと家の中のやすらぎの居間、家の中の豪華な応接室、会社の貴賓室などの延長上にあったようにも感じます。
「喫茶店」ではなく、「喫茶室」と表現していたお店もありましたね。

今現代の、カッコよさとスマートさが漂う、シンプルモダンのデザインの喫茶店は、昭和時代には、まず見なかったような気がします。

* * *

昭和時代の喫茶店は、たいていが個人経営でしたね。
今の時代のように、大規模チェーン展開の企業が、多数の店舗を主要な場所にかまえるということは、まずありませんでした。
ですから、店舗ごとに、内装はもちろん、メニューも味も千差万別でした。

今は ほとんど見かけませんが、昭和時代の喫茶店は、店内に焙煎機まで設置して、店主が毎晩毎晩、焙煎を行なっていた喫茶店も少なくなかったと思います。
その微妙なテクニックや、味の違いなどを、店主は、これでもかというほど語っていましたね。
私は、店主のその強いこだわりのお話しを、「なるほどね~」と言いながら聞きながらも、ほとんど頭に残っていなかった気がします。
とはいえ、味の微妙な違いを気にしながら、味わっていた記憶があります。

でもでも、何十万円もするコーヒーカップで出されたりすると、少し手が震えました…。
そこまで、やるの…。

そうした店内は、多くのコーヒーの種類の香りが混じり合ったような濃厚な香りが、いつも漂っていましたね。
酒蔵や酒場には酒の香り、しょうゆ屋さんにはしょうゆの香り、味噌屋さんには味噌の香り、お豆腐屋さんには水の香り、すし屋さんには魚と酢の香り、ケーキ屋さんには甘い香り、パン屋さんには焼きたての香り、デパート1階フロアーには化粧品の香り…、など、人がその場所にわざわざ出かけるのは、それぞれの香りを楽しみにしているのだろうとも感じます。
香りの空間がそこになかったら、わざわざ、そこに足を運んでも、楽しくない気もしてきますね。

当時の喫茶店の濃厚な香りは、「昭和の香り」のひとつであったのは確かだろうと思います。

* * *

昭和の喫茶店には、クラシック音楽専門の「名曲喫茶」や、ジャス音楽専門の「ジャズ喫茶」も、もちろん存在していましたが、たいていはイージー・リスニング系の音楽を店内に流す「純喫茶」が多かったと記憶しています。

クラシック音楽専門の「名曲喫茶」は、今はほぼ残っていないと思いますが、そのオーディオ機器類の凝り方、お金のかけ方は、尋常ではありませんでしたね。
再び…、そこまで、やるの…。
それに、コーヒー一杯で、1時間のクラシック音楽を聴かれても…、まさに店主のこだわりの極致ともいうべき「名曲喫茶」でしたね。
私は、今でも、その跡地を通るたびに、良き昭和の時代を思い出します。

* * *

昭和の喫茶店の店内では、コーヒーの濃厚な香りが隅々までいきわたり、まさに壁や椅子などにしみ込んでいる感じです。
酒席とはまた違う、何か人間どうしの、コーヒーを挟んだ会話空間がありましたね。
新しいコーヒー豆が入ったよ…、今年は産地の天候が悪くてね…など、店主のこだわりのコーヒー談議も楽しいものでした。
午前中は照明を明るくし、夕方に向かうにつれ、店内が少しずつ薄暗くなっていくような喫茶店も結構あった気がします。

* * *

もちろん趣味ではなく商売ですので、インベーダーゲームのテーブルが置かれていた時代もありましたし、ピーナッツのガチャガチャ、占いのガチャガチャ、水飲み鳥の小物、砂時計など、各時代の流行を追った品々が置かれていましたね。
絵画や装飾など、その時代の魅力が充満していたのは確かです。

朝の軽食であるモーニング・サービスも始まり、昔は、厚めの食パンのトーストは喫茶店でしか見ることがなかったような気がします。
クリームソーダ、アイスコーヒー、フルーツパフェ、ホットケーキなど、田舎者の私には、喫茶店は、まるで宇宙から来た最新スポットにも感じました。
おまけに、ロマンチックなイージーリスニング音楽まで…。
昭和の時代に、こんな場所が、若い男女のデートスポットにならないはずがありませんね。

* * *

今の時代、私は、大型コーヒーチェーン店の店舗を、その企業名で呼んでも、「喫茶店」とは言わなくなっています。
何か、日常の当たり前の場所になりすぎて、待ち合わせ場所、打ち合せ場所、簡単な仕事場所、ちょっとした休憩場所、軽食の場所、幼い子供までいる使い勝手の良い場所のような存在にも感じます。
かつては、都会のオアシスのような、隔絶された異空間の存在が「喫茶店」であった気がしますが、今や、使い勝手の良い便利な場所に変わった気がします。

こうした雰囲気になってくると、なかなか昭和の「イージーリスニング音楽」を流すというわけにはいきませんね。
今なら、やはり「スムース〇〇」系の音楽なのかもしれませんね。
耳に入ってくるような、入ってこないような、あまり記憶に残らない気もします。
同じ「イージー感」でも、今現代は、昭和時代とは、かなり違う気がします。

それよりなにより、今は、店内で、各自が好きな音楽をイヤホンで聴いていることのほうが多いですよね。
店内で皆が、同じ音楽を聴くような時代ではなくなりましたね。

昭和の喫茶店は、味わいのある店主がいて、こだわりの店ごとのコーヒーがあり、店ごとに、店内の世界観が相当に違っていましたね。
ペットボトルや缶のコーヒー飲料や、美味しい高級なインスタントコーヒーなどが、それほどなかった時代です。

でも、店によっては、あまりにも内装に無頓着…、あまりにも家庭的な雰囲気…、これって本当にコーヒーか?…、喫茶店なのに演歌を流してる…、それも昭和時代のいいところだった気もします。
今となっては、それも、懐かしい「昭和の香り」だったように感じます。

今でも、地方都市などには、高齢の店主が がんばっている喫茶店も少なくないでしょうね。
可能な限り、がんばってほしいものです。


◇学生街の喫茶店

さて、そんな昭和の喫茶店で、私も若い頃にアルバイトをした経験があります。

高校生くらいのカップルが、客として来ると、何か緊張感が伝わってくることもあります。
目をつむって音楽を聴き、静かにコーヒーを飲んでいるだけの客もいます。彼らの顔は、何かを考えているような、何も考えていないような…。
もちろん、新聞や本を読む場所として、やって来る人もたくさんいましたね。

店内の一番奥のテーブル席で、窓側を向いて、泣きながらコーヒーを飲む女性の背中が震えているのを見たりすると、バイトの私は、どうしていいのかわかりません。
そんな時、店長は私に、「サービスで、コーヒーのおかわり持ってけ…」とか言ったものです。

それはそれは、いろいろなタイプの人たちが、それぞれのかたちで、喫茶店にやって来ました。
スマホやケータイのない時代の喫茶店は、今とは、相当に風景が違っていた気がしますね。

そんな昭和の喫茶店の雰囲気を、見事に表現した日本の歌謡曲がありました。

* * *

近年、東京に暮らす私は、コーヒーを飲むためにお店に入る時、重い扉を開けて、カランカランという音色を聞くことが、まずありません。
昭和の時代は、喫茶店の重い重い扉を開けた瞬間に、私に飛び込んできた、コーヒーの香り…。
いきなり耳に飛び込んでくるイージーリスニング音楽…。

中には、ボブ・ディランの楽曲をかける、こんな店も…
人の姿も…、店のかたちも…、外の風景も…、音楽も…、そして君も…、時は流れてゆく…。

まさに名曲…、良い楽曲だったからこそ大ヒットした曲。
昭和で時が止まったような曲…。

三人組のグループ「ガロ」が歌った…

♪学生街の喫茶店

 

* * *

この楽曲の作詞は山上路夫さんで、作曲は「すぎやま こういち」さんです。
前々回コラムで紹介しました「帰ってきたウルトラマン」の作曲も、すぎやまさんです。
このコンビは、後に、ガロの楽曲「君の誕生日」も生み出します。

ここは、ガロのメンバーの大野真澄さんと、アルフィーの坂崎幸之助さんの歌唱で…


♪君の誕生日

 

* * *

当時のシングル曲は、レコードの表面「A面」に売り出す本命曲、裏面「B面」が、ついでに入れる二番手、三番手の曲でした。
楽曲「学生街の喫茶店」は、当初、B面に入っていた曲です。

たしかに、パッと聴くと、なんとも暗い地味な印象を受ける楽曲ですね。
この地味な楽曲タイトル「学生街の喫茶店」も、まさか歴史に残る楽曲名になるとは想像できませんね。

ですが、当時のラジオ放送局は、いい曲だと判断したら、A面でもB面でも関係なく、オンエアでたくさん流したものです。
昭和時代は、実は、当初B面だった曲が、超大ヒット曲になった例も少なくありません。

ある意味、昭和の時代は、既定路線を打ち破るような「ビジネス突破力」があり、それが多くのヒット商品を生んだ時代でしたね。
今は、「昭和のガンコ ジジイ」と呼ばれる世代ではありますが、突破力や反骨精神は相当なものでしたね。
既定路線に乗っているままでは、それ以上の成功は生まれてこない… いつの時代も同じですね。

* * *

2000年よりも前の頃だったと思いますが、私は、たまたま入店したお酒を出すライブ飲食店で、歌手グループ「ガロ」のメンバーの大野真澄さんだけで歌っている光景に出くわしました。
いろいろな楽曲を歌われていましたが、やはり、この楽曲「学生街の喫茶店」を歌う姿をよく覚えています。
昭和時代の姿のガロのひとりが、目の前におられました。

その店では、私はウィスキーを飲みました。
飲み物を、コーヒーから、ウィスキーに変えても、その楽曲の魅力はまったく変わっていませんでした。
時は流れても、その歌の中にあったものは、生き続けていましたね。

2017年の…
♪学生街の喫茶店

 

さてさて、今の巨大コーヒーチェーン企業の店舗から、名曲が生まれてくることはあるのでしょうか…。


◇フランク・ミルズ・カフェ

さて、ここからは、昭和の喫茶店のBGM(バック・グラウンド・ミュージック)の定番だった「イージーリスニング」音楽のピアニストたちの楽曲をご紹介します。
まずは、フランク・ミルズさん。

楽曲のタイトルが、まさに「カフェ」…。

* * *

私は、少年の頃に、「カフェって何?、何語?」と親に尋ねた記憶があります。
おそらくは、コーヒーが苦くて飲めないお年頃だったと思います。
それが、フランスやイタリアの言葉だと知ったのは、ずっと後のこと…。

いつしか少年の私は、「きっちゃてん」、「コーヒーショップ」、「コーヒー屋」から「カフェ」と呼ぶようになりました。
「サイドウォーク・カフェ」なんて言葉表現は、今でも こっ恥ずかしくて、使ったことがありません。
「路上のカフェ」、「道沿いのカフェ」、「カフェのテラス席」と呼ぶのも、少し野暮ったいですが…。

フランク・ミルズの1980年の曲…
♪街角のカフェ(フロム・ア・サイドウォーク・カフェ)

 

* * *

フランク・ミルズの数々のピアノ曲は、70年代末頃から80年代にかけて、喫茶店はもちろん、テレビやラジオ、街なかの商店街、本屋、ホテルのロビーなど、そこらじゅうで聴こえてきた楽曲でしたね。
昭和でいえば、昭和50年代後半あたりでしょうか。

フランク・ミルズの他のピアノ曲で、テレビやラジオでよく耳にしたのは…

♪ハッピー・ソング

 

♪古風なワルツ

 

♪アフター・ユー・ミスター・トランペットマン

 

今でも、NHKのAMラジオの朝の番組の定番曲…
♪詩人と私

 

* * *

その当時、フランク・ミルズさんのおかげで、日本にどれだけの数の「ピアノ教室」が生まれたことでしょう。
多くの庶民は、ピアノを買って、急に、ミルズの曲を練習し始めましたね。
クラシック曲は弾けなくても、ミルズが弾ければ、もう大満足…、そんな人たちが大勢いましたね。

いずれにしても、ピアノに触れるきっかけが、どこかで聴いたミルズの曲という昭和世代は少なくないはずですね。


◇愛を込めて、オルゴールを…

フランク・ミルズの多くの楽曲で、おそらく世界でもっとも有名な曲は、この曲だと思います。
「愛のオルゴール(ミュージック・ボックス・ダンサー)」。

1974年には発表されていましたがヒットはせず、1978年になってから世界中で大ヒットしました。
この楽曲のヒットも、たしかラジオ局のチカラだったと思います。


〔日本のオルゴールの歴史〕

さて、ここで「歴音 fun」としては、ちょっとだけ歴史のお話しを…。

実は、戦後の昭和時代は、「オルゴール」が売れまくった時代でしたね。
当時は、子供たちへのプレゼントにも、よく使われていましたね。
昔は多くの家庭に、ひとつくらいは あったものです。
1990年代あたりをピークに、どうも販売数は落ち込んでいるようです。

* * *

「オルゴール」という呼称は、日本的な言い方で、戦国時代にヨーロッパから入ってきた楽器「オルガン」から派生した言葉だと言われています。
楽器オルガンの意味の、ドイツ語の「オルゲル」、オランダ語の「オルヘル」から、日本語の「オルゴール」が誕生したのかもしれません。
1700年代の古い日本の文献には、「ヲルゴルナ」という記述があり、それが「オルゴル」に変化し、さらに「オルゴール」になったともいわれているようです。

実は、日本では昭和初期まで、オルガンのことを、アコーディオンも含めて「風琴(ふうきん)」とも呼んでいました。
オルゴールは、昔の漢字表現で「自鳴琴(じめいきん)」です。

日本に伝来した最初のオルガンは、パイプオルガンで、戦国時代にキリシタン大名の高山右近が、自身の教会に設置させたものが最初といわれています。
宗教活動には、絶対にオルガンは必要ですよね。

オルガンは楽器で、オルゴールは音楽を奏でる小箱で、別のものですよね。
名称の言葉の音色は似ていますが、まったく別の物です。
日本人の、微妙で繊細な言葉の使い分けですね。
何かつながっていそうでいて、実はつながっていない…、でも、両者とも音楽を奏でる素敵な箱であるのは間違いありません。

* * *

第二次大戦後、日本製のオルゴールは、世界市場の8割をも占めました。
長野県の諏訪湖のほとりにある精密企業の三協精機(現:日本電産サンキョー)が、1号機を作ったのが、1948年(昭和23年)です。
この企業は、その後、優れたオーディオ部品を開発し、今では精密ロボットまで作っています。

もともと、三協精機という会社は、1946年(昭和21年)に、今のセイコーエプソンと東洋バルヴという二つの企業の血脈を受け継いで誕生したといってもいいのかもしれません。
オルゴールで成功した後も、オーディオ技術を習得し、大きく発展していきます。
実は、「オルゴール」という和製の言葉でも世界で通用するのは、この三協精機の世界での成功があったためだとも思われます。

今は、日本電産グループの企業で、世界にその名を知らない市場関係者・技術関係者がいないほどの企業ですね。
「日本電産サンキョー」のスケート部の選手たちは、冬季オリンピックで毎回、大活躍してくれます。
メダリストもたくさん輩出していますね。
毎回、会社からのメダリストへのご褒美も話題になりますね。

長野県の諏訪湖から八ヶ岳の地域はもちろん、長野県の中央部地域は、実は、楽器生産に適した気候風土ともいえます。
ギター、ヴァイオリン、笛、太鼓をはじめとる和楽器など、大小さまざまな楽器製造メーカーがいます。
他県の方々にはあまり知られていませんが、良質な木材や、豊かな水資源、適度な気候がその要因かもしれません。
そして、何より三協精機の存在が大きかったのかもしれません。

大企業となった日本電産サンキョーですが、初心ともいえる「オルゴール」製造は手放してはいません。
まさに、オルゴールは、この企業の血であり、心臓なのかもしれませんね。

* * *

コロナ禍で、多くの音楽関連産業や音楽スクール業界がダメージを受けた中、実は楽器は相当に販売数を伸ばしましたね。
ステイホームが意外な効果を生み、世の中で楽器が売れまくったようです。
ひょっとしたら、楽器がよく売れた後に、他の音楽関連産業が復活してくるのかもしれませんね。
そして、この効果が、数年後に、多数のミュージシャン輩出となってあらわれてくるのかしれませんね…。

コロナ禍で、オルゴールがどのような販売推移なのかは知りませんが、長野県出身の私としては、郷土の誇りとして、永遠に鳴り続けてほしい、諏訪湖のほとり生まれの「オルゴール」です。


◇ミュージック・ボックス・ダンサー

さて、話しを戻します。

日本名の「オルゴール」という名の音楽小箱は、米国英語では「ミュージック・ボックス」、英国英語では「ミュージカル・ボックス」、発音がわかりませんが、ドイツやオランダでも「ミュージック○○」という意味の呼称になっています。

フランク・ミルズのこの楽曲の英語タイトル「ミュージック・ボックス・ダンサー」を、そのまま和訳すれば「オルゴールの中の踊り子さん」ですね。
この楽曲の一般的な邦題は、「愛のオルゴール」です。

この曲の冒頭のピアノのかわいい主旋律は、まさにオルゴールのやさしい調べに聴こえてきます。
オルゴールのかわいい調べは、その後、素晴らしい音楽に展開していきます。
この曲を、世界中の子供たちが、ピアノで弾いてみたいと思うのは無理もありませんね。
下記は、小さなバレリーナがピアノの上で踊る音楽動画です。

1978年、36歳のミルズが、世界で名を轟かせることになった曲。
彼の36歳の時の映像…
♪愛のオルゴール(ミュージック・ボックス・ダンサー)

 

下記は、2014年の彼が72歳の時の演奏です。
若い時よりも、むしろテンポが早い…
♪愛のオルゴール(ミュージック・ボックス・ダンサー)


わが家にもあったはずの昭和時代のオルゴール…、今でも、家のどこかにあるかな~。


◇歌声を奏でるオルゴール

この楽曲は、昭和時代に歌詞がつけられ、より多くの人に親しまれるようになりました。

レイ・コニフの…
♪ミュージック・ボックス・ダンサー

 

* * *

極めつけは、1979年の日本のこのヒット歌謡曲…

♪潮騒のメロディー

 

この日本語歌詞では、恋人たちの海、ひたむきな愛の世界が描かれ、まさに潮騒のやさしい波音をバックに、バラの花びら、美しい貝殻が、やさしく舞い踊るような光景が目に浮かんできます。
そして、このオルゴールの音色のようなメロディが、ロマンチックな世界観をさらに大きく膨らませてくれます。
まさに、ロマンチックな愛いっぱいのイージーリスニングの世界観ですね。
日本語歌詞の作詞は、斎藤仁子さんです。

 

今現代の言葉会話でのコミュニケーションが苦手な若者世代に、この歌詞の中の「言葉のあやとり」のニュアンスが伝わるのかどうか、少し心配…。
 

日本では、このトータルの世界観により、日本語歌詞のついた楽曲「潮騒のメロディー」のほうが、ピアノ演奏だけの原曲「愛のオルゴール(ミュージック・ボックス・ダンサー)」よりも好きだという方が、相当に多いようですね。

実は、原曲がこれほどのヒット名曲にもかかわらず、この「潮騒のメロディー」も、前述の「学生街の喫茶店」と同じで、シングルレコードのB面だった曲です。
この曲が、世に出たとたんに、A面の曲と大逆転します。
今 思うと、話題づくりのために、「学生街の喫茶店」商法を、わざわざ、ここで行なったのでしょうか?
やはり、名曲たちは、陰に隠れていることはできませんね。

* * *

歌ったのは、昭和の女性アイドル歌手の高田みづえさん。

実は、この曲は、歌手の「さこみちよ」さんも歌っています。
この楽曲タイトルをつけたのは、ラジオ・アナウンサーの大沢悠里さん。
やはり、イージーリスニング音楽は、ラジオ放送と深くつながっていますね。

この曲のメロディ… 結構、歌うのに苦労する曲だと思います。
昭和の女性アイドルの中でも、歌唱力に定評のあった高田みづえさんでしたので、当時の大物作詞家や、大物作曲家が、彼女に楽曲を結構 提供しています。


◇背負うのが…、耐えるのが…

ここで、もう一曲…
高田さんは、1983年だけ、作詞家の阿久悠さんの歌詞の楽曲を数曲歌っています。
私は、下記の楽曲の歌詞とメロディに、強い印象が残っています。

高田さんが、女性アイドル歌手から本格的な女性シンガーに脱皮していく時期だったのかもしれません。
私は、下記の楽曲で、彼女の歌唱力の成長ぶりを強く実感したからです。
1985年の結婚引退の2年前の楽曲ですが、彼女自身の中で、何かの「探しもの」をしていたのかもしれませんね。

歌うのに、ある程度の年齢と、人生経験が必要になるような楽曲です。
個人的には、今現代でも、ベテラン女性シンガーの方々に、ぜひ歌い継いでほしいと思っている楽曲です。
この曲が歴史の中に消えていってほしくないと、個人的には思っています。
これを読んでくださっている、ベテラン女性シンガーの皆さま、いかがでしょうか…。

阿久悠さんの詩の世界と、昭和歌謡のメロディと世界観が満載…
これが、昭和歌謡の「背負い」と「忍耐」…

♪純愛さがし

 

この楽曲は、1983年(昭和58)のテレビドラマ「高校聖夫婦」の主題歌でした。
俳優の伊藤麻衣子さん、鶴見辰吾さんが出演した、ある偽装結婚から始まる、青春恋愛ドラマでしたね。

* * *

私は、高田さんの歌唱力に大きく期待し、まだまだこれからと感じていたのですが、当時、相撲の関取の若島津さんとの結婚を機に、歌手を引退してしまいました。

今現代ではあまり考えられませんが、昭和の時代は、結婚を機に、プロ歌手を引退されてしまう女性歌手も少なくない時代でしたね。

まさかの結婚引退に、びっくり!
相撲部屋と親方を支える「おかみさん」で…、二度びっくり!。
高田さんが結婚して、なんと「日高さん」姓に…、またまた、三度びっくり!

私は、歌手を引退とは残念で仕方ないなと思っていましたら、その彼女夫婦が、わが家の近所に引っ越されてきて…これまた、びっくり仰天!
近所はまさに、大騒ぎの「潮騒のメロディー」!
数十年前のお話しです。

高田みづえさんは、「おかみさん」、「奥様」、「母親」として、まだまだたいへんな人生の時期だと思いますが、楽曲「純愛さがし」の中で、「背負うのが愛」、「耐えるのが愛」と歌ってい彼女ですから、きっと「真実の愛」を見つけられたであろうと思います。
どうか素晴らしい愛の人生であることを祈ります。

* * *

ヒット曲をたくさん持つ高田みづえさんですが、またあらためて、別のコラムテーマの時に、彼女のある楽曲のことを書きます。
彼女のヒット曲の中に、昭和歌謡では珍しい、なんと30秒越えのロングイントロを持つ楽曲があります。
作編曲者や制作スタッフは、その楽曲を制作しながら相当に楽しかったと思われます。
その楽曲を聴いている側も、これは遊んでるな…、スタッフは相当に楽しかっただろうなと想像させます。
「遊び心」いっぱいのその楽曲のことは、またあらためて…。


◇日本化フィーリング

前述の「潮騒のメロディー」は大ヒットし、高田みづえさんの代表曲のひとつとなりましたね。
日本では、この歌詞付きの「潮騒のメロディー(ミュージック・ボックス・ダンサー)」の楽曲のほうが、原曲よりも好きだという方も少なくありません。
日本語の歌詞といい、編曲といい、サウンドといい…、まさに日本的抒情感。

この楽曲「潮騒のメロディー」の編曲は、若くして亡くなった、音楽家の田辺信一さんです。
彼の代表作は、1970年代後半の昭和時代の、横溝正史の推理小説を映画化した、探偵の金田一耕助のあの映画シリーズの音楽です。
映画「犬神家の一族」は、彼の音楽ではありませんが、それ以外のシリーズ作品のほとんどは彼の音楽です。

* * *

1977年(昭和52)に、歌手グループ「ハイ ファイ セット」がカバーして大ヒットさせた楽曲「フィーリング」の編曲も、田辺さんです。
原曲は、モーリス・アルバートが歌った「フィーリング」ですが、日本のカバー曲「フィーリング」は、なかにし礼さんの歌詞と、田辺信一さんの編曲で、見事に日本の曲に変身しました。

私は、前述の「潮騒のメロディー」といい、この日本のカバー曲「フィーリング」といい、この両曲の中に、どっぷり日本サウンドである、映画「金田一耕助シリーズ」が生きている気がしてなりません。

「オルゴール」という味わい深い和製の言葉もそうですが、日本で当てるには、やはり、わかりやすい「日本化したフィーリング」が必要だと感じます。

♪フィーリング(ハイ・ファイ・セット)

 

日本の香りは一切しない…、南米ブラジルの香り…
♪フィーリング(モーリス・アルバート)

 

当時、米国では、このようなボーカルの入った、ノスタルジックな雰囲気のある楽曲も、「イージーリスニング」音楽の範ちゅうに含まれていました。
日本人には、わかるような…、わからないような…、フィーリング!

日本人がイメージする60~70年代の「イージーリスニング」音楽と、外国人のイメージの違いは、ひょっとしたら「喫茶店」にキー(鍵)があるのではないかと、私「天乃 ”金田一” みそ汁」は推理するわけなのです…。

* * *

さすがに、昭和40~50年代でも、髪の毛ポリポリの金田一耕助のあの着物の格好では、喫茶店で入店拒否されたかもしれませんね。
そういえば、金田一耕助シリーズの作者の小説家「横溝正史(よこみぞ せいし)」さんの奥様が、自宅で、ご主人の正史さんに、コーヒーを持ってくる映像が残っていましたね。
当時、よくテレビで放送されていました。

コーヒーも、カフェも、今や完全に、日本の社会にとけ込んだものになりましたが、ひょっとしたら、飲み物としてのコーヒーと、独特の雰囲気の昭和の喫茶店だけでは、定着できなかったのかもしれません。
そこに、イージーリスニングの優れた楽曲が存在していたことが、すべてをつなげてくれたのかもしれませんね。

見事に日本化した「カフェ文化」が、昭和の時代に誕生したのかもしれませんね。


◇思い出す… 昭和の昔と、モーツァルトと、私

最後に一曲…
セルビア生まれのアメリカ人ピアニストの、マリーナ・アルセニエビッチさんが、こんなお遊び演奏を…。

きっと、モーツァルトも、今 生きていたら、自身の曲と混ぜて、こんなお遊び演奏をしたでしょうね。

♪モーツァルト・ミュージック・ボックス・ダンサー

 

これを読んでくださっている ベテランのピアノ教室の先生方…、昭和の昔を思い出してきましたか?
ピアノ教室を始めた頃の、初々しい「夢見るピアニスト」の自分自身を…。
やさしい潮騒の波音の中に、はるか昔の自身のピアノの音が聴こえてきましたか…。

「ピアノ教室の生徒の大半が、平成生まれになったとしても、私は、昭和のモーツァルトやベートーヴェン、ショパン、シューマン、リスト…、そして昭和のイージーリスニングで育ったピアニスト… (^^♪
みなさん、これからも、一緒に がんばりましょうね!」。

* * *

次回のコラムでは、前述のマリーナさんの演奏の中に登場した、フランク・ミルズのやはり代表曲のひとつである「夢見るピアニスト(ピーター・パイパー)」のことや、有名なラジオ番組のこと、早クチ言葉のこと、スケートの伊藤みどりさんのことなどを書きます。
昭和の美しいピアノの調べは、まだまだ続きます。

さて、私はそろそろ、イージー気分で、一杯やることにします。
もちろん、昭和の香りのコーヒーを…
昭和のイージーリスニングの曲を聴きながら…
ここは、私の昭和の喫茶室「ミルズカフェ」。

* * *

コラム「音路(59)昭和の香り【3】ぴょこぴょこ。ピクペプ、早クチ言葉に噛むカム!」につづく

 

2021.11.6 天乃みそ汁
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