なぜ「英会話」ができないのだろうを考えてみた話

日本語の日常会話を思い返すと

「おはよう」に始めり、「天気は?」「今何時?」があって、「コーヒー飲む」「飲みたい」と続きます。

もしかすると「今日の予定は?」とか「何時に帰る」が続き、「急がないと」「行ってきます」で朝の会話は大筋で補えるでしょう。

アプリを使っての異国の人との会話では、「どこの生まれ?」「名前は?」「何歳ですか?」が定番で、「何をしていましたか?」「何が流行っているの?」「それは何?」などを使えばある程度のキッカケができるはず。

つまり、初対面の人との会話なら、これくらい知っていればあとは愛想笑いしていても1分2分の間は潰せそうです。

そしてバックボーンの知識として、世界的に有名な観光名所や都市名、有名人を知っていれば、「どんな所ですか?」「行ったことはありますか?」などのフレーズも使えます。

つまり、「英会話」の習得で、確かに文法や語彙をしっかりと身につけた方が、知識を系統的に理解できるので、さらに曖昧で繊細な表現まで可能になるかも知れません。

しかし、それを期待するあまり、結局は英会話が苦手に思い、しかも勉強を始めるにもまず「大変そう」と思ってしまいます。

そう考えるようになった理由

youtube で世界各国の人とお話しできるサービスを使って、日本人の方が生まれた場所も育った地域も異なる人々と楽しそうに会話を楽しんでいる映像を見つけました。

「こんにちは」から始まり、「どちらの方ですか?」がセットになっていて、場合によっては「日本に来たことは?」や「そこに行ったことはありません」と続き、「有名スポットは?」などの話題に進みます。

決して、「今後の景気はどうなると思いますか?」のような質問はしないでしょう。

話すとしても「職業は?」とか「学校は楽しいですか?」のような質問で、「何が流行っていますか?」「それは何?」というような内容でしょう。

例えば、電子レンジを使った料理にハマっていたとして、そのレシピや操作方法の詳細を話す流れにはなりません。

むしろ、「いい趣味ですね!」とか「母国の定番料理は?」というようなもので、事実を知りたいというよりも、実際対面で言葉をやり取りしていることに意味があるのでしょう。

聴き取る「耳」があるかないか

日常会話を思い返すと、そう複雑な話題はしていません。

あれこれと全てのパターンまで想定し過ぎると、結局は一歩も進めないことになります。

だっだら、パターンとして流れで覚えてしまうと、同じような場面を繰り返し体験することで、その対応が完璧ではなくても、部分的に行えるようになるのではないでしょうか。

しかし、全く一言も聞き取れない状況を延々と繰り返しても、サッパリ分からないままになります。

母国語をネイティブの子どもが自然に習得できるのは、見よう見まねでもフレーズを少しずつでも理解していくからです。

朝のタイミングで聞かれることは、天気や時間、予定などでしょう。

候補となる質問から、聞きれたワードをヒントにして答えてみれば、相手の反応で合っていたかそうではないかったのかが分かります。

しかしそれができるのは聞き分けられる「耳」があるからです。

中高年になると老化現象で聴力が低下し、聞き慣れた日本語でも聞き取れないことが増えます。

音としては聞こえているのに、会話冒頭の一音目が不鮮明なことで、後の言葉だけでは内容の理解が不十分になるからです。

まして間違えていたらという意識が、会話することから避けさせ、さらに聴き取ることができないようになってしまいます。

その意味では、補聴器や集音器を使うことで克服できるになら、このまま話せなくなるよりもずっと賢明な判断でしょう。

そこまで聴力問題がなくても、会話が聞き取りづらく感じることがあるので、ネイティブな子どものような慣れて覚えるということだけでは習得できないかも知れません。

英会話で「今何時?」と聞けば、英会話できなくても理解できるはずです。

つまり、文法的に理解しているのではなく、音声認識のような感覚で、抑揚を覚えていて、それに合致するから「今何時?」と理解できるのでしょう。

だとすると、ありそうな会話を繰り返し聞き続けることで、少なくともそれらは「今何時?」と同じくらいで理解できるはずです。