「家政婦ではない!?」と訴えるある介護士の気持ちに迫ってみよう!

 家政婦とは何か?

一般に家政婦とは、個人の家事代行を行う人を指している。

家事とは、炊事洗濯など、日常生活を営む際に遭遇する様々なこと。

では、介護士とはなんだろうか。

一般的に、介護士の担当する相手は高齢者や障がい者などの日常生活に何らかの支障が生じている人を指す。

つまり、家政婦が広く家事の代行を求める相手に行うのに対して、介護士は「家事を含んだ業務」を支援が必要な人に行う。

「家政婦ではない!」と発言した介護士の気持ち

誤解を恐れずに発言するなら、介護士としての「プロ意識」が根底にあるのだろう。

そのプロ意識の源をどう解釈するのかがポイントではあるが、発言した介護士の性格や生活環境を踏まえれば、「家事をして稼ぐ」ではなく「支援して稼ぐ」を強く意識しているのではないだろうか。

もう少し踏み込んで発言するなら、「支援」を「人助け」と理解し、それがたまたま家事を行うことかもしれないが、家事代行で稼いでいるのではないと考えているのだろう。

そして、働くために「家事代行をしているのではない」という意識は、利用者の言動に対する反応に現れる。

例えば、みんなが集まるフロアにいる利用者に、「私の部屋からぺんを取って来て欲しい」と頼まれたとしよう。

その人が歩ける場合、生活支援という意味では介護士の業務には当てはまらないと判断することもできる。

しかし、「歩けること」だけで「発生している支障」を否定して良いのかは問題になるだろう。

つまり、「ペンを取って来て欲しい」と頼む心理には、「甘え」の他に「他者からの承認」も含まれているからだ。

「他者からの承認」とは、施設生活を送る利用者はサービスの受け手ではあっても、そのサービスで日常生活は補われても、精神的支援に繋がっているかは別問題だからだ。

例えば、毎日、3食の食事を提供されれば、人として生きていると思えるだろうか。

少し余談になるが、昨日、仕事帰りの電車の中で、マナーの悪い同年代を見た。

座りたい一心での行為が根底にあるのだが、「すいませんが、座っても良いですか?」とひと言言えたら、狭いスペースに無理矢理お尻をねじ込むこともしないで済む。

仮に座れたとしても、お互いが気分悪い時間を過ごすことになるのなら、こみちは席を譲りたいくらいだ。

「座ること」は正当な権利。譲らないのは「空気が読めない人」と一方的に解釈してしまう思考力に、正直なところ戸惑いを感じる。

しかし、電車がホームに着いて、まだ下車していない内から乗り込むようなマナー違反も同年代に多い。

しかも肩が当たって、不満顔なのは乗り込んだ客だ。

介護士の仕事は、例えばそんな常識を知らない人に、「電車は先に降りる人からですよ」と支援することと同時に「すいません。先に通してください」と周囲に了解を得ることも含まれる。

なぜなら、加齢や認知機能の低下、障がいの内容によっては、一般人が当たり前に行えることが困難だったりするからだ。

その人には当たり前でも、それが社会の中ではトラブルの原因になりかねない場合、サポートが必要になる。

つまり、介護士という仕事では、多かれ少なかれ「不足」した言動に対してフォローを入れて、それをスムーズに行うことが求められる。

断ることも出来ずに無理矢理座ってしまう相手に「断るのが常識だ!」と詰め寄っても、問題解決はできない。

なぜなら、「その常識」を知っていたなら、そもそも窮屈になると分かりながら座っては来ないだろうし、疲れてどうしても座りたいなら「すいません、良いですか?」と断ることができただろう。

その機転が利かないということは、その人は日常生活の様々な場面で周囲に違和感を抱かせて、でも特別な支援の対象には含まれないままに生きている人でもある。

支援の対象をどこまで広げるべきか。そして支援の対象となる行為をどこまでとするかは、社会という枠組みの中で決めることは容易ではない。

心身機能や環境によって、その範囲や内容が異なるからだ。

そんな風に考えると、ペンを持って来ることが家事代行なのか介護なのかは簡単には識別できないだろう。

そこに、「早く持って来い!」とか、「お金を払っているんだ!」と利用者が言い始めたら、簡単に従うことでは介護支援にはなっていない。

しかし、例えば「このペンを見せてあげたかった」という意識が含まれていて、コミュニケーションの一環であったなら、介護士はペンを取って来ることも支援にとらえていいだろう。

利用者に使われることを家事と捉え、「自分は家事代行ではなく介護士だ!」と思うのもいいが、「支援」の解釈次第では様々な考え方や見解があることも理解しなければいけないだろう。

少なくとも、できないことやできなかったことを理由に問い詰めたり、責めてみたりしても、それだけでは介護支援にはなっていない。