未来2 (75)

1960年代、1970年代は、欧米SF映画の黄金期である。そこには、以前書いた「猿の惑星」シリーズも勿論含まれるわけであるが、他にも注目すべき作品が幾つかある。今回はその流れから2作品ほど印象を述べてみたい。

 荒廃した陸上ではもはや穀物生産や畜産はできず、管理されたごく限られた空間で生産されたものが、一部の特権階級に供給されるのみで、それ以外の民衆は、ソイレント社から支給される、ソイレント・イエローという海洋性プランクトンから製造されたクラッカーのようなものを食して命を繋いでいた。そのような状況下、ソイレント社の幹部が殺害される事件が発生する。そして、世間ではイエローの配給が終了し、新たにソイレント・グリーンの支給が始まる(後日、海洋性プランクトンが絶滅したことが判明する)。先の事件を捜査する主人公の刑事は、捜査過程で驚愕の事実を知ることになる。直ぐにお分かりの方もいるであろうが、これは ハリイ・ハリスン小説人間がいっぱい」を原作とした、「ソイレント・グリーン」(リチャード・フライシャー:1973年)の展開である。

  本作品で印象に残るシーンは2つほどある。1つ目は、主人公のソーン(チャールトン・ヘストン)が、手に入れた牛肉を、相棒の辞書人間ソルと楽しむ場面である。だいぶ前のことなので正確ではないが、入手した肉の塊を見せると、ソルが「牛か」とびっくりしたように言う。貴重品であり、もはや特権階級にしか、口に入れることができない牛肉を、二人はシチューにして賞味する。

  そのシーンを初めて見た時、何故ステーキ或いは焼肉でないのだと思ったことを覚えている。肉の塊は結構大きかったので、そのようにして食べる事も可能なはずである(最後にシチューにしたという可能性もあるが)。ソーンは、器に付いたシチューを指でさらえ、それを舐めとり堪能する。個人的には、食事をうまそうに見せる事に最も成功したシーンの1つであるように思う。

  2つ目は、辞書人間ソルが、事件の真相を知り絶望して、公営の安楽死施設、ホームに行った後、それを知った主人公が安楽死を止めようと施設に行き、処置室の隣の窓の付いた部屋から内線で、台の上に横たわるソルと会話する場面である。安楽死の処置はすでに始まっており、悲しむソーンをまだ意識のあるソルが労わる中、ソルが横たわる処置室の天井に、極彩色の映像が映し出される。ベートーヴェンの田園と共に、青き草原、風になびく色とりどりの花々、清流、森林、大海原など、それは美しい、かって地球に存在した大自然が映し出されるわけである。それを見たソーンが、「こんな綺麗なもの見たことないよ・・」と慟哭する。猿の惑星のラストに匹敵する心に残るシーンである。

 

秀れたSFは秀れた未来予測であると、しばしば言われる事であるが、この作品には、人口増加による食料問題、人間活動による環境破壊がもたらすディストピア的世界が描かれている。このままでは、地球や社会は抜き差しならぬ暗澹たる未来を迎えるのではないかという、そこはかとない不安を具現化した作品となっている。また、同作品で興味深いのは、個人が自由に安楽死を選択できる世界であるということである。欧米において積極的安楽死を導入する国が増えてきた現状を先取りしていたと見ることもできるわけである。

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2つ目の作品は、未来惑星ザルドス(1974年)である。ジョン・ブアマンによるこの有名な映画は、未来を呈示するという点で前作と共通しているが、さらに未来の世界である。

  遠い未来、地球は、科学技術により不老不死となった特権階級のエターナルズが住む世界(ボルテックス)と、彼らのために食料生産を行うブルータルズが住む世界に別れており、両世界の行き来は、ブルータルズが神と崇め、貢物の食料を運ぶ、ザルドスと呼ばれる巨大な人頭像(飛行体)のみで可能であった。簡潔には、このザルドスに忍び込んだ一人のブルータルズが、ボルテックスに侵入し、永遠に続くと思われたこの理想郷に終焉をもたらす物語である(この終焉は、エターナルズの一人により周到に計画されたものであったが)。

  本作品では2つほど興味深い点がある。エターナルズのメンバーは、中央コンピューターにより支配され、脳に埋め込まれたチップにより、思考を監視されており、反逆等の思考を持つ者に対しては、歳を取らせるという刑罰が科せられる。ちなみに現代日本の刑罰は、死刑(生命刑)、懲役等(自由刑)、罰金等(財産刑)、公権停止(名誉刑)であるが、これはそのどれにも属さないある意味斬新な刑である。

主文、被告を30年の老化刑に処す、

不死なので死ぬことはないが、容姿が衰え、行動の潤滑さが低下するというところであろうか、いかにもSF的アイデアであるが、未来、老化のメカニズムが解明され、それをある程度制御できるようになると、このような刑罰が登場する可能性もあるのかと思った次第である。

  もう1点は、先程、少し登場したが、ボルテックスを維持し、エターナルズを監視する中央コンピューター、タバナクルである。物語の終盤、ボルテックスのすべてを司るタバナクルの正体が、両手で持てるほどの小さなクリスタルであることを知った主人公ゼット(ショーン・コネリー)により破壊され(思考を読まれてしまうエターナルズにはできないわけである)、2つの世界を隔てていた力場が失われ、侵入したブルータルズにボルテックスが破壊される(エターナルズにとっては永遠に続く監獄から解放される)ことになる。

  ボルテックスを理想郷として作り上げた科学者たちの、技術の到達点の1つがこのタバナクルである。Frontierや富岳など、現行の最高性能のスパコンでも、専用の建物或いは1フロアの規模となるが、タバナクルはハンディーである。現行のスパコンから、タバナクルへの移行を想到することは困難であるが、以前、どこかの研究所が、クリスタル(クオーツ?)の内部にレーザーでエッチングし、その情報を取り出すことに成功したという記事を見たことがある。そのような技術の遥か遥か未来にタバナクルが存在すると想像することは可能である。

 

さて、「猿の惑星」から、「未来惑星ザルドス」まで、自分の好きなSF作品を取り上げ、印象を述べた(他にもあるがそれらはまた別の機会ということになる)。これらは、第二次世界大戦が終了して成長期が始まり、1960年〜、1970年〜に頭をもたげてきた、人口増加、食糧問題、環境問題、科学技術の発達などの要素に触発された、未来に対する旺盛な想像力が、結実した作品である。

  これらが発表されてから、半世紀ほど経ったが、作品に含まれる幾つかの要素は、当たらずとも遠からずと言える。しかし作品に示されるほど明瞭ではないのも事実である。それは、ヒトの努力により、問題の進行が遅れているのか、或いは、今後、指数関数的に顕現化してくるのかは、もう少し経たないとわからない。

 

未来惑星ザルドスが、深夜などに放映していると、もう何度も見ているのに、 ついつい最後まで見てしまう。ボルテックスを脱出したゼットとエターナルズの女性(シャーロット・ランプリング)は、墜落したザルドスの中で生活を始める。やがて子が生まれ、成長し、旅立っていく、残された二人は老人となり、死去して骨となる所で物語は終わる。この最後のシーンを見たいという事もあるが、やはりザルドスが魅力的である。長髪有髭にした、巨大ダルマ或いはメソアメリカの人頭像のような構造体が、独特の背景音とともに飛んでくるのをまた見たいのであると思う、信仰はないが、ザルドスには巨石や巨木に通じるような魅力が潜んでいるのかもしれない、

 

 ザールドース

 

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