滋賀県大津市坂本5丁目13−1
和束町〜信楽〜滋賀県大津市へ。🛵。。。
9時24分到着。
明智光秀公と一族の菩提寺。
総門。
坂本城もんを移築
沢庵禅師の碑。
聖徳太子創建。
風車があちらこちらに。
いざっ
参道。
勅使門。
宗祖大師殿唐門。
琵琶湖が見えました
本堂へ。
仏前結婚式の撮影されてました
手水。
風車の道
妻木(明智)一族と西教寺。
明智光秀一族の墓🙏
比叡山焼き討ち。
その後、光秀は再興に尽力
それ以来、光秀との由縁が深く、本能寺の変後、山﨑の合戦で秀吉に敗れ非業の最後をとげた時、光秀一族とともに当寺へ葬られた
光秀の妻(細川ガラシャの母)凞子の墓🙏
芭蕉の句。
本堂前の様子。
鐘楼。
大本坊から入って、本殿を拝観させていただきました。
客殿庭園。
駕籠。
風車いっぱい
書院庭園。
NHK大河「麒麟がくる」
明智光秀・凞子の位牌。🙏
石灯籠。
退散します。
御朱印。
西教寺
京阪電鉄坂本比叡山口駅の北西約1.5km、比叡山(848.3m)の南東山麓に大きな寺域を持っています。全国に450以上の末寺を持つ天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山です。寺伝では、聖徳太子(574-622)が創建し、のちに天智天皇(626-671)から西教寺の勅願(ちょくがん)を賜わり、平安時代に延暦寺中興の祖良源(りょうげん)(913-985)が、続いて横川の源信(げんしん)(942-1017)が庵を結んで修行道場としたと伝えられています。その後、長らく荒廃していましたが、室町時代末期に延暦寺で20年間もの修行を積んだ真盛(1443-93)が入寺して再興しました。 当時は、混乱した世相を反映して宗教界全体が大きな転機を迎えていたので、真盛は戒律の厳守と称名念仏(しょうみょうねんぶつ)の励行を唱えました。以来、西教寺は戒律(かいりつ)・念仏(ねんぶつ)の道場となり、現在に至るまで1日も絶えることなく念仏が唱え続けられています。幽玄静寂(ゆうげんせいじゃく)な空気が漂う境内には、念仏と鉦(かね)の音が低く響き渡り、独特の雰囲気が漂います。
荘厳な風格を誇る本堂、伏見城の遺構を移したという客殿、その内部の狩野派(かのうは)による人物・花鳥襖絵(ふすまえ)など、多くの見所があります。また、戦国時代、織田信長(1534-82)による延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀(あけちみつひで)(1528-82)が寺の復興に尽力したことから、境内には、光秀一族の墓もあります。(ネットからいただきました。)
see you again 👋