J.P. LAWRENCE 記者による2020-7-10記事「US Air Force pilot safe after plane crashes in northern Afghanistan」。
もうひとつの座席にアフガン人が乗っていたのかどうかについては、発表がない。
先月、ペンタゴンが議会に報告したところによると、29人のアフガン人パイロットが、15機のA-29ライトアタック機を飛ばせるようになっている、と。
アフガン人に対する米国内基地での操縦者錬成訓練は昨秋に中止されており、すべてアフガン国内で行なわれている。
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James Kraska 記者による2020-7-7記事「China’s Maritime Militia Vessels May Be Military Objectives During Armed Conflict」。
昨年、米海軍作戦部長のジョン・リチャーズ提督は、中共海軍のカウンターパートに警告した。
漁船からなる海上民兵のアグレッシヴな行為があればそれらは中共軍の一部であると看做して米海軍は反撃すると。
中共の海上民兵は、一個の統一団体ではない。地方の各レベルから、無数の組織が重畳している。
ほとんど漁業しかしていない団体もあれば、ほとんど漁業などしていない団体もある。
中共は世界最大の漁船保有国である。2015統計によれば、非動力漁船は37万艘。動力付漁船は67万2000隻ある。これでは違法出漁&無届&根こそぎ操業が促され、沿岸資源がたちまち涸渇したのも尤もだ。
2014-5には中共はベトナムのEEZに巨大試掘リグを持ち込み、その周囲をPAFMM(シナ海上民兵)の29隻のトロール漁船で輪形陣をつくって取り囲み、ベトナムの公船を寄せ付けなかった。「キャベツ戦術」と称する。
2016-3には、百隻以上のPAFMM漁船団がマレーシアのサラワク沖EEZにあるラコニア礁に押し寄せた。これらの漁船には、その所属を示す旗や標識が一切なかった。そして中共のコーストガード船×2隻によって指揮されていた。
中共がPAFMMの用法に味をしめたのは、1974に西パラセル群島をベトナムから奪った時である。米軍艦の介入をこれなら避けられるという手ごたえを掴んだ。
こんにち、最も優秀なPAFMM漁船は、海上人民戦争の尖兵たるべく、機雷、高角砲、そしてミサイルで武装されている。
海上民兵の漁船は有事には、敵国の商船の拿捕活動にも、従事するであろう。
国際法上、沿岸漁業用の小型漁船は、所属国の海軍をアシストしていない限りにおいては、戦時に敵国から攻撃を受けることはない。これは1900年の『Paquete Habana』号事件の結果、判例になった。そしてハーグ条約の11章、アーティクル3に成文化されている。
サンレモマニュアルや、米海軍指揮官用マニュアルでも、同様である。
だがそうした漁船も戦時には臨検の対象となるし、敵国海軍指揮官が目視距離内から指図をする制限には従わなくてはいけない。
遠洋漁船も、漁業だけしている限りにおいては、攻撃されない。
しかしサンレモマニュアルは規定する。その漁船が機雷を敷設したり、兵員を乗せていたり、ISRに組み込まれていたり、指揮管制していたり、こちらの臨検という「belligerent right(交戦者の権利)」に抵抗したり、個人自衛用とはみなせない兵器(例えば高射機関銃)を備えていたりすれば、こちらの軍艦からの攻撃対象となる。
またサンレモマニュアルによれば、その漁船に何の瑕疵がなくとも、戦時には、中立国領海の外では、拿捕の対象になり得る。
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Paul D. Shinkman 記者による2020-7-9記事「How the Coronavirus Has Changed the Way America Prepares for Nuclear War」。
地下60フィートのICBM発射管制室に交代で勤務する空軍将校たち。
新コロの流行で、スタイルを変える必要に迫られている。
2週間連続で、地下に籠もりっぱなしにするしかない。
げんざい米空軍は、2200名の新コロ陽性を把握している。これには民間契約者も含む。
そのうち、ICBM関係部隊の者の比率については、敵に有益情報を与えないために、秘密である。
2週間シフトにするのは、理由がある。次のシフトで地下に潜る待機組もまた、地上の隔離施設で14日間、外部の者とは接触を断つわけだ。
このようにすることにより、地下サイロに新コロウイルスが持ち込まれてしまう最悪事態を、予防することができる。
隔離待機期間や、地下サイロに詰める期間中、隊員を退屈にしないように、インターネット接続環境を、空軍は、改善する。待機組には、ビデオゲームも許す。
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Michael Shurkin 記者による2020-7-8記事「Modern War for Romantics: Ferdinand Foch and the Principles of War」。
1903年に仏元帥のフェルディナン・フォッシュは『戦争の諸原則』という本を書いている。
フォッシュをわかりやすくたとえると、WWII中の米陸軍のアイゼンハワーと、南北戦争中の北軍のグラント将軍をあわせたような役割を、WWIにおいて果たした。
陸軍大学校の教官であったフォッシュは、いかなる犠牲を払っても攻勢を取れ、という主義を定着させた人物と思われている。その主義は、1914から1915の西部戦線で、天文学的な戦死者を仏軍に強いた。
1916年までにフォッシュは考えを改めた。5歳年下のペタン元帥が主張した、重砲尊重主義に傾いた。
ただし、ペタンの守勢主義にはくみしなかった。
ペタン主義の間違いは、1940年に証明されているだろう。1940年にはフォッシュ主義が必要だったのだ。
それで、フランス降伏後にボーフル将軍が、フォッシュ主義を再構築したのである。
フォッシュは保守派で、いちど、カトリックに熱心である咎によって陸大教官の座を逐われたこともある。ドレフェス事件では、ドレフェス方を敵視した。
1870年の普仏戦争の敗北を、フォッシュたちは、意志の敗北だったと考えた。当事者が負けたと思ったとき、その会戦ははじめて敗戦になるのだ、と考えた。これを最初に言った人物は、カトリック哲学者の Joseph de Maistre で、よく引用された。それにフォッシュはこう付け加えた。当事者が退却を承認しなかったなら、その会戦は、勝ったのである、と。
一人で二兎は追えぬ。これはラテン語の警句である。
ナポレオンはこう言っている。少数部隊で大軍と対したとき、わたしは全力をもって敵の一翼だけに集中し、敵を混乱させ、ひとつ、またひとつと、敵軍の一部だけを局所的劣勢に追い込んで殲滅し続けた。そうすることにより、トータルでは少数であっても、多数の利を手にできるのである。
フォッシュは前衛部隊は独断専行しなければならないと信じており、みずからその主義に殉じた。1914-8-20に、動くべきではない部隊を敵陣攻撃に投入して、悪い結果になった。
フォッシュは心理戦を重視した。戦略的奇襲とは何のためにするのか。敵人をして恐怖させ、麻痺させるためだ。ただしそれには物理的な殺傷は必須ではない。敵人が、じぶんたちは全く無力だと思い込むようになれば、それが奇襲の成功ということなのだ。