徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

鹿児島から帰還すると美術館回りに大阪フィルの定期演奏会へ

鹿児島から帰還する

 翌朝は5時半に目覚ましで起床する。やはりいつもよりもかなり早い時刻だけに体がズッシリと重い。それにここまでの疲労もかなり蓄積している。さすがに若い頃と違って、どれだけ体が疲れても一晩寝れば翌朝はすっきりとはならないものだ。

 とりあえず荷物をまとめて支度を調えると、目を覚ますために朝風呂に出向く。やはりこれこそが旅の醍醐味である。

 入浴をすると朝食に出向く。朝食はバイキングだが疲労とまだ完全に体が目覚めていないのか食欲がサッパリ。ご飯が喉を通らないのでパン食で済ませることにする。こういう時に和洋両対応のここの朝食はありがたい。和食のみだとこういう食が進まない時に困るし、洋食のみだと腹にガッツリたまらないから、和洋両対応というのも私がホテルの朝食を評価する時のポイントの一つになる。

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今朝は食欲がない

 朝食を終えるとバスターミナルへ。バスターミナルへは徒歩で数分。これも最終日の宿泊にこのホテルを選んだ大きな理由。バスターミナルに到着すると既に空港バスに長蛇の列。それを見ていささか慌てたのと、券売機が分かりにくかったのとで釣り銭を取り忘れるという痛恨のミスをしたことに後で気付いた。まあ誰かにわずかな幸福を与えたと考えることにしておくか。

 予定より数分遅れで既に天文館前から乗客を乗せてきているバスが到着。乗客がゾロゾロと乗り込むが、補助席まで出る満席状態になる。やはり鹿児島空港はバス以外のアクセス手段がないのでバスの利用率は高いようだ。しかも道路はひどい渋滞で高速に乗るまでかなりの時間を要することになる。ただこういう渋滞になっても、路面の軌道中を走行する馬鹿はいないだけ、鹿児島市民はかつての神戸市民よりは遵法精神を持っているようだ。遙か昔に神戸にも路面電車があったのだが、道路が渋滞になった時に軌道上を走行する無法者が続出して、それによって路面電車が立ち往生することが増えたのが、神戸の市電が廃止になった一因と聞いている。

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鹿児島空港内は大混雑

 渋滞でかなり手間取った印象だが、バスのダイヤは当初からそれを織り込んでいるのか、空港にはほぼ予定時刻に到着する。空港内もかなり混雑していて、荷物検査場には長蛇の列。やはり地形的に鹿児島からはどこかに出る時に飛行機以外になかなか交通手段がないという現実もあるように思われる(例えば東京まで新幹線で移動しようとすると何時間かかるか)。フランスが二酸化炭素削減のために航空機の国内路線を廃止するという政策を打ち出したというが、国全体がほぼ正方形に近いフランスと、弓形で南北に細長い日本では事情が変わってくるので、単純に真似は出来ないだろう。もっとも東京-大阪、大阪-福岡辺りは廃止も可能かもしれないが(ただしそうなったらドル箱路線を失うことになる航空会社の猛反発が必至)。

 

 

神戸空港にはグッタリ状態で帰還

 鹿児島空港からスカイマークで神戸空港へ。往路はANAのマイルを使用するために伊丹から飛んだが、帰りはANAの正規料金などとても出せないのでスカイマークである。往路のANAはほぼ満席だったが、こちらは乗客は5~6割というところか。おかげで少々余裕がある。座席に着くとほぼなくウトウトしてしまい、気がつくと神戸空港。

 車はここの駐車場に置いているので往路と違って楽。ただ分かっていたこととはいえ、駐車場料金の高さには驚く。コロナが完全に終息すれば移動も電車に切り替えられるので、そうすれば駐車場料金の負担はなくなるが、まだしばらくは電車での長距離移動は出来る状態ではなかろう。コロナ以降、ガソリン代と駐車場料金がジワジワと家計を苦しめている。特に大阪周辺の常軌を逸した駐車場料金と阪神高速のやはり常軌を逸している通行料の高さは参る。

 さて車を回収したところで今日の戦略。当初予定では阪神間の美術館をかけずり回ってから夜7時からの大フィルの定期演奏会に出向くつもりだったが、現状それだけの体力が残っていないのは明らか。計画をかなり絞り込むことにする。その結果、後に回せる展覧会は後に回し、優先度の低い展覧会は切り捨て、結果として平日でないと混雑必至である兵庫県立美術館の「古代エジプト展」と大阪市立美術館の「メトロポリタン美術館展」の2つにだけに絞り込むことにする。

 まずは兵庫県立美術館に出向いて「古代エジプト展」。以前から私が言っている集客力の高いイベントは「エジプト、浮世絵、印象派」という法則の通り、本展も結構混雑しており、コロナによる密対策のせいもあって入場を待たされることに。しかも会場に行ったら「予約はされてますか?」と聞かれることに。どうやら予約制になっていたらしい(予約が一杯でなかったので当日入場も出来たが)、これは週末だったら大変なことになっていたかも。

 

 

「ライデン国立博物館所蔵 古代エジプト展」兵庫県立美術館で2/27まで

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 大英博物館などに並ぶ古代エジプトコレクションを誇るオランダのライデン美術館の所蔵品からミイラなどを中心に展示。

 エジプト文明初期の産物などかなり地味目の展示品も多いのだが、その辺りはなかなかに渋くて通好みという印象。独得の石像や、かなり鮮やかな死者の書などが目を惹く。後はお約束の神像の類い。エジプトの神々はトトだのアヌビスだのパステトだのととにかく動物にかたどったかみがおおいのでその辺りが造形としても面白いところである。

 当展の一番の目玉に据えてあるのはやはりミイラ。十数点の鮮やかなミイラの木棺がずらと並ぶのは壮観であるが、技術的におもしろかったのはミイラのCTスキャン結果の紹介。技術の進歩によって今ではサンプルを損ねることなく内部の状態を観察することが可能となったという。そのことによって解明される謎と、新たに生まれる謎があったりするのだが、その辺りの話も実に興味深い。

 ミイラをメインに置いていることから、エジプトの独得の死生観なども絡んでくるのだが、その辺りも含めて古代エジプト文化を理解するための展覧会となっている。まあそこまで深く考えずに、木棺の緻密な装飾に唸っているだけでも楽しめるのではあるが。


 ミイラを見て回った後はいっそのことここのレストランで昼食を済ませようかと思ったのだが、平日水曜の昼というのが祟って休みの模様なので大阪を目指すことにする。阪神高速をひとっ走りすると、天王寺公園の駐車場に車を入れて市立美術館へ。こちらも結構な人だかりで、やはり入口で「予約してますか?」と聞かれて戸惑うことに。まあこちらも平日と言うこともあって問題なく当日券を購入できたが、やはり週末だと大変なことになったかも。どうもこれからは展覧会に来る前にもこの確認は必要になりそう。

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美術館はかなり混雑している

 

 

「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」大阪市立美術館で1/16まで

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 メトロポリタン美術館収蔵品から65点、うち46点が日本初公開と銘打つ展覧会である。

 まず最初は「信仰とルネサンス」と銘打って15世紀から16世紀にかけての宗教絵画が展示されている。これらは私の目には玉石混淆。基本的に定型化した宗教絵画はあまり好きではないのだが、その中でも何点か目を惹くものはある。例によっての縦長の引き伸ばされた人物像が独得なインパクトを与えるエル・グレコなどはやはり印象は強い。

 ただ個人的にはメインと感じられるのは第二部以降。第二部は17~18世紀の時代の絵画となるが、ここになるとカラヴァッジョやラ・トゥール、さらにはルーベンスなど知った名前が出てくることになる。

 本展の表題作ともなっているのがカラヴァッジョの「音楽家たち」なのだが、本作はカラヴァッジョを象徴する劇的な明暗表現がそれほど強いものではないので、彼の作品としてはインパクトはそう強くない。

 個人的には一番興味を惹かれるのがフェルメールを中心としたこの時代のオランダ絵画。今回はフェルメールの日本初公開の「信仰の寓意」が展示されていたが、本作は彼の作品としてはオーラは中級。むしろそれ以上に興味を惹かれる作品も存在した。その中でやはり個人的にはムリーリョの日本初公開「聖母子」がもっとも心惹かれる。柔らかいムリーリョ独得の表現が心に迫ってくる。

 終盤は近代化した19世紀以降の革命期の絵画となるので、日本人には馴染みの深い印象派なども登場、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴッホなどと言った一般にも馴染みの深い画家の作品が登場する。そんな中で興味深かったのがゴッホの「花咲く果樹園」。構図や色遣いにあからさまに日本の浮世絵版画の影響が見られると思ったのだが、やはりそういう作品だった模様。さらにルノワールの柔らかい美しさは流石。


 なかなかに楽しめる秀作揃いだったが、既に集中力と体力が限界に近いのが明らかで、本来なら一回り見て回った後にもう一度最初に戻り、気になった作品をじっくりと眺めてくるのだがその余裕が既になかった。時間的にはまだ展覧会2つぐらいはハシゴできる時間があるが、もう限界が来ていてこれ以上回っても単に入場料金の無駄遣いなのは明らかであるので、まずは昼食を摂ることにする。

 

 

天王寺の地下で昼食

 天王寺の地下のレストラン街をウロウロ。食欲が今ひとつである状況から「古潭」ラーメンと餃子のセットを食べることにする。

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古潭ラーメン

 オーソドックスな餃子とラーメンが今の私の状態にはピッタリか。もう少しコクのあるラーメンかと思っていたが、意外とあっさりしている。なおメトロポリタン美術館店のチケットで割引がある。

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ラーメンと餃子

 

 

ついでにお茶もする

 とりあえず昼食は済ませたがもう一息つきたい気持ちがあることから、さらに「甘党まえだ」に立ち寄る。メトロポリタン美術館展のチケットでクリームわらび餅のセットにみたらし団子が付いてくるとのことなのでそれを注文。とりあえずこれでホッと一息つく。

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甘党まえだ

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クリームわらび餅にみたらし

 

 

体力的に限界が来た模様・・・

 そのまましばし休息をしたい気持ちはあったが、残念ながらこうしている間にも駐車料金がカウントされているのであまりゆっくりともしていられない。どうせもう限界なんならどこかでしっかりと休息を取るべきだろう。でないとこのまま夜の大フィルに出向いてもフェスティバルホールで爆睡になるのがオチだ。ザッと調べると、大阪市街をやや外れたところに駐車場付きのネカフェがあるようなのでそこに向かうことにする。

 しかし大阪市内は異常な混雑で目的地には予定の倍近い時間を要することになる。どうもコロナの緊急事態制限が解除になって以降、その反動のように以前よりも車が急増している様子がある。多分今まで外に出られなかった連中が一斉に出だした上に、私のように「鉄道はまだ恐いので車で」という者が多いのだろう。最近の渋滞は半端なくなっている。

 飛びそうになる意識をつなぎながらようやく目的のネカフェに到着。入会手続きを済ませるとフラットブースを押さえて、これから2時間ほど完全に爆睡する。

 2時間ほどの爆睡で、まだ体に疲れは有るものの、どうにか意識は復活した。フェスティバルホールへと向かうことにする。

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第553回定期演奏会

指揮/尾高忠明
チェロ/横坂 源
ソプラノ/安井陽子

曲目/ハイドン:チェロ協奏曲 第2番 ニ長調
   マーラー:交響曲 第4番

 尾高の演奏はゆったりと旋律を歌わせるものであり、なかなかに大阪フィルも弦楽陣を中心にしっとりと聞かせている。それに合わせて横坂のソロもしっとりと歌う味わい深いもの。そして基本的に陽性の演奏である。その辺りがハイドンの曲想とも合致してなかなかに美しく味わい深いものに。正直な感想は「ハイドンも意外と良いじゃん」というもの。どうも私はまだこのハイドンという作曲家の真髄を理解していない模様であることを改めて認識させられた。

 後半は安井を迎えてのマーラー。この第4番は、いつも七面倒くさくて首を吊りたくなるような交響曲ばかりを書いていたマーラーが、どういう心境の変化か気の迷いかは定かではないが、珍しいまでの一服清涼剤のような爽やかさを持って書いてしまった作品である。冒頭の「雪原を行くソリのイメージ」とも言われる導入部から、一面に清々しい爽やかさが満ち満ちており、尾高の演奏はそれをさらに強調したような陽性のもの。

 基本的に急がない抑え目のテンポでゆったりと歌わせてくるのは相変わらず。こうなると元々マーラーの交響曲は歌曲の要素が強いのでそういう面が前に現れてくる。尾高の演奏は時折、今までは背後に隠れていたような旋律を突然に表に引き出してくるので、今までのこの曲とは違う曲のように聞こえる場面もある。

 大フィルもその尾高の指揮に合わせて、ゆったりしっとりと奏でてきた。しっとりした弦楽陣と煌びやかな管楽陣が絡み合ってなかなかの演奏。最後は安井のソプラノも無難にまとめてなかなかに上々の演奏であった。

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夜のフェスティバルホール

 これで今回の長期にわたった遠征も終了となった。なお当初予定は温泉でゆったりした最後は大フィルのコンサートで心身共にゆったりと癒やしを・・・というはずだったのだが、終わってみると例のごとくにグッタリの遠征となってしまった。やっぱり温泉で本当に体を癒やすには2、3日では不十分で、それだと体の悪いところがいろいろと表に出てくるだけで終わってしまうようである。本来なら1週間は期間をとって、表に出てきた体の不調をゆっくりと癒やすのが本当の湯治というもののようだ。ただ残念ながら今の私にはそれだけの時間的余裕はとれない。定年になれば時間の余裕は出来るかもしれないが、今度は金銭的余裕が皆無となるから、結局は私がそんなゆったりとした湯治に出かけられることは一生ないのか。

 

 

本遠征の前の記事

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