教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/15 NHK 歴史探偵「巨大地震」

歴史に残る南海トラフ地震

 阪神淡路大震災から30年ということで、今回は歴史上の巨大地震についてとのこと。神戸出身の俳優で、今の朝ドラにも出演しているという新納慎也氏がゲストに来ているが、例によってこれはどうでも良いこと。

 現在世間の大きな関心事となっているのが南海トラフ地震だが、歴史を眺めると過去に9回発生しているという。最も古いの飛鳥時代の白鵬地震で、大体90年~260年の間隔で発生しているという。

 幕末の南海トラフ地震であるが、東京大学の地震研究所を訪問してその特別資料室を見学している。ここに収蔵されいるのは地震に関する歴史書だという。当時のかわら版によると被害の範囲は広く、関東から近畿に及ぶ広範囲で被害を催している。被害状況からマグニチュード8.4で最大震度7と推測出来るという。しかも翌日にさらに別の地震が発生している。2回目の地震は震源が西だったことから、大阪で津波被害が発生している。

 大阪では道頓堀川に津波が押し寄せ、外洋航海用の大船が津波で流されてきたという。記録によるとこの大船が100隻以上押し寄せたとのこと。これらは4つの橋を破壊して川を遡って大黒橋にまで流されたという。さらに川の両岸の建物100軒も損壊した。

 

 

津波の被害の拡大と教訓

 なおこの地震の際に住民が川の小舟に避難したことで大きな被害を出したという。実はこの地震の5ヶ月前にも地震が起こっており、その時に重い家財道具を持って逃げるために舟で逃げた人が多くおり、前日の地震でも同様に荷物を抱えて小舟に避難して事なきを得たのだが、この地震で津波にやられて1000人以上の犠牲を出したのだという。想定外の被害であるのだが、当時の被害を記録した石碑には、この150年前の地震でも津波で多くの犠牲を出したことが記されており、この時の教訓が生きていたら犠牲者が減らせたはずだとの痛恨の思いが込められている。人の入れ替わりの激しい大阪では災害の記録が伝わらなかったのだという。この石碑は被害の状況を後世に伝えるという強い思いが込められており「文字が読みやすくなるように毎年墨を入れて欲しい」と記してあるとのこと。1年に1回、地元の人々による墨入れが今も行われている。

安政地震の教訓を伝える石碑

 なおこのような災害の伝承碑は日本各地の巨大災害の被災地に多く残っており、国土地理院では歴史に残る災害の伝承碑の位置を記録した「自然災害伝承図」を公開しているとのこと。

www.gsi.go.jp

 

 

隠された大地震被害

 最後は81年前の昭和の南海トラフ地震について。この地震は1944年12月7日に発生したが、大戦末期であったことからその被害については隠されたので世間にあまり知られていないという。地震発生直後に気象庁の地震研究者などが直後に現地入りして被害の調査を行って報告書にまとめているが、これらの資料は極秘扱いになっており、新聞などにも「軍需工場や鉄道の被害など戦力低下の推測につながる事柄を掲載してはならない」と報道を禁止したという。この地震では軍需工場が倒壊して動員されていた学徒ら1200人が亡くなっている。しかしこの地震は各国でも観測されたことから、翌日にはニューヨークタイムズに地震の記事が掲載されており、皮肉なことに地震の情報が伝わらなかったのは国内の日本人にだけだったという。当時の日本政府は馬鹿軍部に支配されて馬鹿の極みを突っ走っていたが、まさにそういう馬鹿っぷりを示す一例である。しかも結果として、これが今日まで南海トラフ地震が上手く伝わっていない原因にもなっているという。


 と言うわけで最後には大日本帝国軍部の馬鹿っぶりの一例を紹介して終了ということ。こういう時代の政府を理想と考えている奴等って、どれだけ馬鹿なんだろう? まあ今の政府も、地震が起こったら原発利権を守ることを最優先にして被害を隠そうとするが。

 番組最後はゲストの新納氏による朝ドラの宣伝という蛇足をやっていたが、私のような視聴者にとっては完全に不要であったが、この番組の本音としては実はこれが一番大事なんだろう。なんせこの番組、半分以上はNHKの他の番組の番宣なんだから。どうせその内に大河ドラマの宣伝をやるだろう。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・歴史的に見ると、南海トラフ地震は飛鳥時代から9回が記録に残っており、90~260年の間隔で発生している。
・幕末の地震では、マグニチュード8.4と推測される巨大地震が甚大な被害をもたらしたが、さらに翌日に別の震源で新たな地震が発生し、大阪が津波の被害を受けた。
・この時、道頓堀川に外洋航海用の大船が流されて、4つの橋や周辺の建物を破壊する被害を出した。
・さらにこの際、家財を担いで小舟に避難した住民が多く、1000人以上の犠牲が出たという。
・同様の被害は実は150年前の地震でも起こっており、当時の記録を伝える石碑には、災害の教訓が伝わっていなかったことに対する痛恨の思いが刻まれている。
・昭和になっても大戦末期の1944年12月7日に巨大地震が発生した。しかし政府は軍需工場の倒壊などによる戦力低下の情報が漏れるのを恐れて、地震の報道を禁じたために当時の情報がほとんど残っていないという。
・しかもそれにも関わらずアメリカなどはこの地震を観測しており、日本の被害を完全に把握していたという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・南海トラフ、その内に必ず来ると言われています。阪神淡路大震災の被災者である私としては、もう二度と地震はゴメンです。ましてや今はあの時のように若くないので、ここで被災したら二度と立ち上がれません。しかも政府は被災者を見捨てる気持ち満々なのは能登をみていると明らかだし。

次回の歴史探偵

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