りんちゃんの物語
この物語は 最愛の猫を亡くしたあなたへ 虹の橋の使者 17歳と3歳と私の場合 の続きです.
実を言えばりんちゃんが亡くなってから,すでに1ヶ月以上経過しているのだが,どうやってこの記事を書くか考えあぐねていた為である.
とりあえず,りんちゃんの紹介と我が家に来た経緯については,以前の記事の2014年から 物語が盛大にかぶっているので,そちらからお読みください.
今回は,以前の記事を書いた直後から,私に起こった出来事について,時系列で紹介していこうと思う.
オズ君を拾った場所に,オズ君の遠い兄弟達が生き残っている事は,以前の記事に書いた通りであり,その後,子猫が生まれたらそこの子をお迎えするつもりであった事も,以前書いた通りである.
あの記事の後,私は少なくとも数ヶ月にわたって,フードなどの手土産を持ってあの家に通い続けた.
そして次の春,待望の子猫達が生まれた.
出前がシャムちゃんで,奥の黒猫はシャムちゃんの姉妹の子供らしい.
この黒ちゃんは一度は背中を掴む事に成功したのだが,激しく抵抗されて逃がしてしまった.
(その時,シャムちゃんも家族を守る為に私にパンチしてきた)
コクワガタを取ってきたりんちゃん.
この時期は,りんちゃんの生涯でたった一度だけの,家に猫が自分しかいない時期だった.
何日も子猫を保護しようと奮闘したが,結局それはかなわなかった.
数ヶ月が過ぎ, 子猫たちは育ったり,姿を消したりした.
実は,先ほどの黒の子猫も,あの何日か後に,川で死んでいるところを近所の人が見つけたらしい.
色々考えるところはあったのだが,結局シャムちゃんをお迎えしようと決心した.
何故なら,恐らくはシャムちゃんだけが唯一,オズ君と直接の血縁関係にあると思われたからである.
(性格も他の子達とは全然違っていて,オズ君の血統の面影が多分に見え隠れしていた)
実は,一度は入って捕獲成功したかに思われたのだが,踏み板を踏まなかったので逃げられてしまった.
翌日,釣り糸での手動トリガーを決めたが,土壇場で,シャムちゃんに子猫がいて育児中である事が発覚し,捕獲は中止となった.
あれから三年が経つ.シャムちゃんももう姿を消した.
もし,あの時,捕獲に成功していれば,我が家の猫の歴史は,まったく違ったものになっていただろう.
きっと,良きパートナーになってくれたであろう事は,この写真を見ても間違いないと思う.
そして,以下に続く,子猫達の物語は,なかった事になっていただろう.
ともあれ,あそこの子猫たちは今も,何匹かは元気に走り回っている.
が,いかんせん半分野良なので,たまに疥癬に感染した子や,腕が折れた子がいたりする.
それでも白猫の家系はまだ続いている.
シャムちゃんの捕獲を諦めた時点では,オズ君を亡くしてから八ヶ月前後であっただろうか.
その間も,オズ君がどこかで生まれ変わっていないか,ジモティなどで調べ続け,時には里親募集に会いに行ったりもした.
しかし遂には,寂しさが限界に達し,結局白猫を諦めて別の出会いを優先する事となった.
それがやお君との出会いである.8月8日に我が家にやってきた.八百屋君である.
しかしその二週間後,あんなに探したにも関わらず,見つからなかった白猫が,今になって,遂に動物愛護センターに現れた.
私は気が気ではなくなった.すぐにどこかの家に引き取られて行ったなら,それはそれで諦めもついただろう.
しかし,誰にも迎えに来てもらえず,ずっと愛護センターのページに載り続ける様な事にでもなれば,私は発狂してしまうかも知れない.
そんな訳でお迎えした.次郎(オズ君二世)君である.
やお君とは血は繋がっていないが,まるで兄弟である.
ちなみに愛護センターには次郎君の兄弟達もいて,その中には黒猫もいた.彼らはガツガツと貪欲な性格だったが,次郎君だけは控えめな性格で,一歩後ろで静かに伺っていた.その性格はいまも変わらない.
どんどん大きくなって,りんちゃんの隠れ場所だったところも侵略した.
りんちゃんが一日にバッタとカマキリの二匹も虫を取ってきた日.
2023年の2月.この時点では,りんちゃんが体が一番大きい.
まだ腎臓がやられている気配はないように見える.
ゴールデンウィーク.
いつも通り来日してご飯をあげるママさん.
子猫が来てからというもの,ご飯を盗まれない様に,りんちゃんにはこの様に窓の外などで個別にあげるようになっていった.
それまでは,ごはんは好きな時に好きな分量を食べられたのだが,今から考えると,あまりにも急速に症状が進行したのは,これも無関係ではない気がする.
あんなに立派で体の大きなりんちゃんが,わずか二年で骨と皮だった.
そして2023年の10月25日.
突然食欲をなくす次郎君.
速攻で病院に担ぎ込んだら,なんとまさかの尿道結石!
トイレに篭もる事もなく,いきなりの事だったので,あまりにも意外だった.
あれほど警戒していたにもかかわらず,詰まる時は詰まるものなのだ.
万が一の可能性も考えて覚悟はしつつも,数日間,病院に通ってなんとか命は助かった.
これも,オズ君の経験があったからとは言える訳で,もし次郎君が私の家ではなく,別の家に引き取られて,その家の飼い主が経験不足だったならば,次郎君は死んでいた可能性はかなり高い.
そう考えると,引き取ったのは正しい判断だったし, やはり,オズ君は次郎君を助ける事も含めて,いろんな使命を持った猫だったのだ.
すでに我が家のフードはDr’sとヒルズになってはいた.
しかし,成長期の子猫は幾らでも食べるし,大きくなるまでは大した違いはないと考え,この時までにあげていたフードは「カルカン 下部尿路経路の健康維持」であった.
療法食は大人になってからと思っていたのだが,全然気が付かないうちにこの体の大きさになっていた.
その何日か後,とある事情があって仕事場に置いていたカリカリの袋を狙って子猫が家に迷い込んで来た.
保護するために餌付けしているところ.
体の大きさの違い.すでに次郎君の方が大きい.というか,写真では解りづらいが,この時すでにりんちゃんは一年で相当小柄になってしまっていて,背中はもう骨ばってぼこぼこである.
フードはヒルズの高齢猫用だったが,それも徐々に徐々に食が細くなっていった.
実は,このお正月,ママさんが居る時に,りんちゃんは久しぶりに恒例の,そして最後のプチ家出をした.
その時点では,まだりんちゃんの隠れ家である空き家があったのだが,夏に取り壊される事になる(後述).
やおくんをペロペロするりんちゃん.
りんちゃんは空気が読めないやお君の事があまり好きではないのだが,大人しい時は別である.
11/11
ポッキー君がやってくる.
このあたりから,時系列で,なるべく感情を排除して起こった事実のみを正確に記してゆく.
りんちゃんは10歳だけど,もうすでに限界レベルに小柄で,15~17歳くらいの体型に見える.
そしてポッキー君が持ち込んだ猫風邪で,みんな一週間ご飯を食べられなくなった.
11/15 りんちゃん朝から病院.二日食べてない.みんなの分も薬貰う.
次郎君とりんちゃん.あまりにも信じがたいこの大きさの差….
なぜ急速にここまでガリガリになってしまったのか?
11/17 血液検査.BUN96と判明.この時になって初めて,腎臓が相当やられている事が判明.
ここから りんちゃんの闘病生活が始まった 毎日病院に点滴に通う事に.
11/19 ほぼ一週間食べてない.なんとか持ち直してちょっとずつ食べる様になってきた.各日で点滴開始.コバルジン開始.
11/20 五人で会食.
11/23 最後の屋根パトロール.
少なくともこの時点では,回復の兆しは見えていた.コバルジンさえ飲ませていなければ…助かっていた可能性は非常に高い.
釣ってきたアジだけは食べられる事があるので,この頃,新鮮なアジの確保に奔走していた.
11/29 まったく食べれなくなる.お別れの準備をはじめる.もはや二日前から点滴してない.
11/30 最後の砦,ヒルズのK/D缶も食べない.
夏に取り壊しになった,りんちゃんの隠れ家の空き家跡地で,二人で最初で最後の日向ぼっこ.
私の心は,どん底の暗闇にいた.
12/02 絶対におかしい.尿毒症の症状が全然出ない.本当なら死んでいる筈だ.コバルジンの副作用を疑う.
12/03 諦めきれない.再び病院に.便秘ではないと言われるが….家で点滴開始.
体温維持の為,昔リスナーさんが編んでくれたセーターを着ている.
着るのが嫌いだったので,今の今まで使っていなかったが,役に立つ日が来た.
12/04 コバルジンをネフガードに変更.カチカチのうんちが出る.チュール一本食べる.続いて腎臓ケアチュールも一本食べる.ほぼ六日食べてなかった.
12/06 かつおを食べる.カリカリもモリモリ食べてDr.sのキドニーを注文.かつおとチュール丸々一本食べる.
12/09 また食欲がなくなりはじめる.抗生物質切れか?クリンダマイシンを注文.Sanさんがイベルメクチンを教えてくれてぽちたまに注文する.
12/15 イベルメクチンが届かないのでSanさんが送ってくれた.1/8くらい飲ませる.アジ,カツオを食べる.
12/16 さらに1/8より少ないくらい飲ませる.が,直後からふらつき始める.投薬中止.
12/17 殆ど動けなくなる.たまにトイレに行こうとヨタヨタ歩こうとする.点滴を補充しに行く.80ml補液.
12/18 80ml補液するが吸収が遅く,殆ど効果がない.これ以上は無理と判断.
もう,本当に本当の骨と皮….
12/19 スポイトでお湯も飲めなくなる.たまに寝返りを打たせてあげたりする.
12/20 最後の夜,小脇に抱える様にして一緒に寝た.そして朝の三時頃,遂に旅立った.
それから四日間,生きている時と同じ様に,みんなで過ごした.
そして遂にお別れ.
柿の木の下,オズ君のとなりに埋めてあげようとした.
しかし,根っこが邪魔で,どんどんオズ君が埋まっているあたりまで穴が広がってきた.
そして,オズ君に持たせた,チャオチューブの玩具が,なんと,三年間も腐らずに,地面から出てきた.
という事は,オズ君が埋まっていたゾーンを掘り起こしてしまったという事だ.
しかし,骨はどこにもない.だったら,オズ君と重なる様にして眠らせてあげよう.
と思ったら,埋め戻す時に,大腿骨であろうか?結構大きな骨を発見してしまった.他にも数本.
なんという事か….
よく探した.そして発見した,オズ君の頭蓋骨.
事故とは言え,墓を掘り起こす事になってしまうとは.
まさかこんな形で,現世で再会するとは思わなかった.
しかし,こんな姿になってしまっても,最愛の我が子である事には変わりない.たまらなく愛おしい.
慎重に撫でて撫でて,そしてりんちゃんと一緒に土に還してあげた.
チャオチューブだけは,これは,子猫ともっと遊んであげよというオズ君からのメッセージかも知れないと思い,一応回収して洗ってみた.
そして,子猫達が気に入らなければ,焼くなりして,やはりオズ君に返すつもりだった.
一応,それなりに遊んでくれるので,もうしばらくは借りておくつもりだ.
あんなに優しくて,純真で穢れを知らず,愛おしかったオズ君.
失って,悲しみのどん底に落ちて,立ち直って,ここまで来た.
ある意味では,りんちゃんのおかげで,現世で再会出来て,吹っ切れた気もする.
色々経験して,ある意味で私は,達観した境地に到達してしまったと言える.
りんちゃんは十歳で旅立ったけど,以前の記事で紹介したとおり,拾った時にあの状態だったから,子猫の時にすでに生命力や運を使い果たしてしまっていたのかも知れない.
しかし,これも前の記事に書いた事だが,生きた時間というのは,長くても短くても等しいものだ.
等しく愛おしく,喜びも悲しみも等しい.
そして結局のところは,等しく無意味である.いずれは虚無に還ってゆく.情報は失われ,保持されるのだ.
そうでなければ,苦しみが永遠に続く世界になってしまう.
願わくば,私の経験から学んで,これをお読みのあなたの経験が,苦しみの少ないものであって欲しい.
とは言え,目の前の現実問題として,猫飼いとしての経験は,これからも積んで行く事になる.
我々は,一生をかけて学んでゆくのだ.
※この物語は 最愛の猫を亡くしたあなたへ 虹の橋の使者 17歳と3歳と私の場合 の続きです.