自燈明・法燈明の考察

真言亡国からの考察

 今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はとても面白いですね。もう間もなく終わってしまいます。このドラマは鎌倉幕府二代目執権の北条義時が、伊豆の豪族の次男として生まれ、源頼朝の挙兵に従い戦う中で側近となり、頼朝死後に頭角を現して二代目執権になるまでの物語で、とても興味深く見ています。
 この北条義時を扱った大河ドラマには「草燃える」(昭和54年)が過去にありましたが、このドラマでは吾妻鏡を元にストーリーが構成されていたので、今回の「鎌倉殿の13人」とは異なり、何か淡々としていました。

 もともと北条義時に関する歴史の文献は少ないと言われており、明確な人物像が見えないとも言われていますが、今回の脚本家の三谷幸喜氏は、様々な歴史的な文献を用いながら、この北条義時像を作り上げ、今回の大河ドラマのストーリーを構成していて、私なんかは毎回ドラマを見てこの物語の展開に唸っています。

 私にとって、鎌倉時代というのは、ある意味で特別な時代なのです。それは鎌倉仏教僧の日蓮が生きた時代であり、日本でも初めての武家政権が成立した時代だからです。鎌倉仏教とは、それまでの貴族仏教から人々の間に仏教が広がり、多くの人の救済を目的としたものに日本の仏教が変化をしたものです。また武家政権とは、それまで朝廷の警護役の臣下であった武家が、朝廷の権威を凌いで日本の政治舞台へと躍り出たものです。

 平安時代末期の平家は、一族が公家へと喰い込み、自らが公家となって朝廷の頂点に立ち権勢をふるったもので、確かに平家は武家出身でしたが、政権としては朝廷・公家の政権の延長でしかありません。しかし鎌倉幕府は武家のまま、朝廷を凌ぐ力を持って権勢をふるったもので、そこが平家とは異なります。
 今回のドラマを見ると、三代将軍の源実朝が後鳥羽上皇から短期間に高い官位を授けられ、暗殺される時には父親の源頼朝を凌ぐ「右大臣」になり、「源氏の世を取り戻す」という事を言っていましたが、結果、その源実朝が目指した「源氏の世」とは、従来の朝廷・公家政治の時代へと戻す事でもあり、「坂東武者の世を作る」という幕府の設立の目的とは異なるものでした。そしてそれもあって源実朝は暗殺された様に描かれていました。

 歴史を見ていくと、この鎌倉幕府は約148年続き、最後の鎌倉幕府の執権は北条高時でしたが、新田義貞によりうち滅ぼされ、それ以降は足利尊氏が室町幕府を創建する事に繋がっていきました。
 ただこの鎌倉幕府から室町幕府への移行期間の中で、後醍醐天皇による「建武の新政」という時期もありました。そこで後醍醐天皇が目指したのは、鎌倉幕府により壊された朝廷を中心にした政権の再興だったのですが、結果として武家からの反発を受けて建武の乱で崩壊してしまいました。

 つまるところ、時代の潮流として武家が力を持ってしまった後なので、朝廷を中心とした公家社会は、政権を再度握る事が困難になってしまったという事なのでしょう。

 要は日本社会の時代の大きな節目を迎えたのが、鎌倉幕府の創立した時代だったという事なんでしょうね。

 さて、日蓮は「撰時抄」という御書の中に以下の言葉を残しています。

「今現証あるべし。日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行ひ候へば、日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとをもひ候なん。但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが、調伏せられ給ひし権の大夫殿はかたせ給ひ、後鳥羽院は隠岐の国へ、御子の天子は佐渡の嶋々へ調伏しやりまいらせ候ぬ。」

 日蓮が言ったという言葉に「四箇の格言」というのがあります。「念仏無間、律国賊、禅天魔、真言亡国」という言葉ですね。創価学会や日蓮正宗の中では、誰もが知っている言葉です。

 この中で「真言亡国」と呼び、弘法大師が開いた真言宗は「亡国(国を亡くす教え)」と言っていますが、これについて創価学会や日蓮正宗で多少教学を齧った人間であれば、鎌倉時代に幕府の権威を決定づけた戦いである「承久の乱」について、朝廷側(後鳥羽上皇)が真言宗の僧に調伏(相手が亡ぶ事を祈祷させる)させた事で、結果として朝廷側が敗北した事を取り上げ、だから真言宗は国を亡くす教えなんだと考えています。

 しかしですね。ではこの朝廷の祈りを天台宗がやったら、その教えの力によって、果たして「承久の乱」は朝廷側が勝利をしたとでも言うのでしょうか。

 先の「鎌倉殿の13人」を切っ掛けに、当時の社会情勢とか、朝廷や幕府の事情を見直してみると、私なんかは単なる仏教の中の一部の人間(仏教僧の一部)が言う様な「正邪の観点」なんてのは、この「承久の乱」の勝敗には無関係だと思うんですけどね。要は単にこの真言宗の行った加持祈祷が、法華経の調伏祈祷に変わったからというだけの、つまり宗派の教えの「法の功力」とは全く関係なく、当時の朝廷は既に時代の潮流の上で「敗けていた」という事ではないでしょうか。だからこの「撰時抄」の先の紹介部分にある事だけで「真言亡国」なんて言葉は言えないでしょう。

 ちなみに先の「撰時抄」の続きを読むと、以下の記述もあります。

「結句は野干のなき(鳴)の己が身にをうなるやうに、還著於本人の経文すこしもたがわず。叡山の三千人かまくらにせめられて、一同にしたがいはてぬ。しかるに又かまくら、日本を失はんといのるかと申すなり。これをよくよくしる人は一閻浮提一人の智人なるべし。よくよくしるべきか。」

 ここでは後鳥羽上皇側が真言師に調伏をさせた事は、ここでは「野干」と呼んでいますが、まるで野犬が吠えた声が自分自身に覆い被さる様に還ってきている事を宣べ、この真言師に調伏させた事で鎌倉幕府に比叡山を攻める口実を与えてしまい、そこで鎌倉幕府は比叡山に対して同じく祈祷をさせたというのです。またそこで祈祷させたのは「日本を亡くす事」なんてのは祈らせていないとあります。
 当時の比叡山は「日の本の戒壇」として権威を持っていて、朝廷もその後ろ盾として大いに権威を持っていましたが、後鳥羽上皇が幕府滅亡の調伏を真言師に命じた事で、比叡山に対して幕府が攻め込む口実を与え、そこから、朝廷が比叡山に対して持っていた権威をも失わせ、それが幕府に惨敗する遠因の一つになったという事なのです。

 これを見ると、後鳥羽上皇が行った宗教政策には間違いがあって、単に「法の功力」ではなく、宗教政策の間違いから、鎌倉幕府に比叡山が利用されたと言う事ですよね。実は日蓮もそう見ていたのではないでしょうか。

 単に仏教僧の言う「正しい教え」が「正しい世」を築くという事では無いでしょう。

 「真言亡国」とは「真言宗を利用した行為が、亡国を導いた」という事を述べていた訳であり、政治と宗教の関係性について、注意喚起をした言葉なのかもしれないですね。

 さて、創価学会では来年の統一地方選挙での「大勝利」を目指して、お得意の選挙活動を始めています。最近では統一教会の被害者救済法案にもブレーキを掛けている公明党ですが、この公明党を支持している創価学会では、この「四箇の格言」のまま、自分達の宗教の教えが広がり、創価学会が力を付ける事で、日本の社会も安定し、世界平和になると信じさせています。そしてその教えを信じさせる為に、多くの日蓮の言葉を利用しています。

 しかし日蓮の言葉とは、扱い方には十分注意する必要がある訳です。何故ならば「正義」を妄信させてしまう様な言葉が随所にちりばめられているからです。

「かかる日蓮を用いぬるとも、あしくうやまわば国亡ぶべし」(種種御振舞御書)

 どうでしょうか。自公政権となって二十年近くなりますが、日本は興隆しましたか?

 私なんかは日本は近年、なにかと没落傾向を強めている様にしか思えません。まさに「創価亡国」とも言うべき様相を呈している様に思えるんですけどね。

 統一教会で世間は騒いでいますが、宗教と政治の関係。その本質に目を向けて、すこし考え直してみませんか?


クリックをお願いします。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日蓮仏法再考」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事