2020年10月24日土曜日

成層圏準二年振動の発見(1) クラカトア東風とベルソン西風

 クラカトア東風

 気球が発明されると、19世紀初めから上層大気の調査が行われるようになった。しかし、このブログの「高層気象観測の始まりと成層圏の発見(3)」で述べたように、19世紀の有人気球を使った上層大気の調査は、一種の冒険だった。また同様に「高層気象観測の始まりと成層圏の発見(11)成層圏の存在と原因の広がり」で述べたように、成層圏の存在がわかった後も無人の気球を使った気象観測は行われたが、測定器の回収に数日から数週間かかることもあり、観測の範囲や頻度は限られていた。そのため、成層圏の状態や性質の詳しい解明は極めて困難だった。

 本の「9-4-3 世界のラジオゾンデの拡大」で述べたように、1930年頃にラジオゾンデが発明されると気球の回収の必要がなくなり、またリアルタイムで観測結果が手に入るようになった。そのため、「9-5 高層の波と気象予測」では高層大気の気象観測が注目を集めるようになったことを述べた。さらに第二次世界大戦後、「10-1-2高層気象観測の拡大」に書いたように、高層気象観測の場所や頻度の大幅な増加によって、成層圏で起こっていることが少しずつわかってきた。その一つが熱帯上空の成層圏で西風と東風が約2年程度の周期で入れ替わっているという奇妙な事実だった。しかし、この発見の事の始まりは19世紀末に遡る。

 赤道近くに位置するインドネシアのクラカトア火山(Krakatauであるが、世界的にクラカトア火山と広く呼称されているので、ここではクラカトア火山と記す)は1883年に大噴火を起こした。特に8月27日の朝の最終的な大爆発による津波は、およそ40,000名の犠牲者を出した。しかし、大規模噴火という大気中の特異な現象は、当時の大気の科学に対してさまざまな知見を提供した。これによる空の色の変化は、このブログのムンクの「叫び」とクラカタウ火山」で述べたように、絵画にも影響を与えた。

1883年のクラカトア火山の噴火の様子https://en.wikipedia.org/wiki/1883_eruption_of_Krakatoa#/media/File:Krakatoa_eruption_lithograph.jpg

 クラカトア火山の噴火の兆候は春からあったが、主要な噴火は1883年8月26日に始まった、そして、8月27日の現地時間午前10時頃に島の最終的な破壊的噴火が起こった。島の大部分は吹き飛んで、3つの小島が残された(その後新たな島ができて現在4つ)。この噴火によってジャワ島沿岸には最大で40 mの津波が襲ったという。

 当時世界規模の電報ネットワークが出来ており、また大規模で活動的な国際的な科学コミュニティがあったため、クラカトア火山の噴火に関連した出来事は、準即時的に世界中の至る所で追跡され、その科学的な調査が行われた。噴火の爆発音は3000 km離れても聞き取れた。そして、その超低周波の気圧波動は世界中の自記気圧計に記録された。その記録時間と島からの距離から、爆発時の衝撃による気圧波の水平速度は、330 m/sと推定された [1]。

 クラカトア火山噴火後の観測によるもう一つの気象学への貢献は、噴火によって成層圏に生成されたエアロゾル層の追跡だった。鉱物質のエアロゾルの大部分は噴火後の最初の数週間で落下するが、成層圏にいったん注入された気体の二酸化硫黄は、成層圏内の水蒸気と反応して非常に小さな硫酸液滴のエアロゾルとなる。これらの液滴は大規模でゆっくりした循環によって低層大気へ除去されるまで、約2年間程度成層圏中に滞在する。そしてこの液滴エアロゾルはその間に太陽光に対する光学現象を引き起こす。近年だと1991年に起こったピナトゥボ火山の大噴火によって同じような現象が起きた。

 クラカトア火山噴火による太陽光の異常に最初に科学的な観察を行ったのはハワイ・ホノルルの聖職者セレノ・ビショップ(Sereno Bishop)だった。彼はアマチュアの地質学者だったが、大気の科学にも興味を持っていた。彼は9月5日にハワイで夕日の残照を観察して、太陽の周囲に光輪のようなものを記録した。そして9月19日にクラカトア火山の大噴火のことを知って、その影響が9月5日にハワイに最初に現れたと分析した [1]。この太陽の周囲に光輪のようなものが見える現象は現在でも「ビショップ・リング」として呼ばれることがある。現在では、これは微小な硫酸液滴による太陽光の散乱によって起こることがわかっている。

 彼は他の地点の異常な夕陽も調べて、そのことをNature誌に発表した [2]。さらにもっと総合的な分析から、火山の煙が西に流されて、低緯度上空においておよそ10日で地球を1周したと考えた [3]。これは、秒速30 m/sに相当した。これによって赤道のはるか上空では東風が吹いていることがわかった。この煙を運んだような上空の東風は、この後「クラカトア東風(Krakatoa easterly)」として広く知られるようになった [1]。

ベルソン西風

 一方で、1908年にドイツの気象学者ベルソン(Berson)が熱帯アフリカで行った気球を用いた高層気象観測によって、高度およそ15 kmでの西風が明らかになった。その熱帯の上空の西風は、「ベルソン西風(Benson’s westerly)」と呼ばれた。以後ほぼ半世紀にわたって、熱帯成層圏では東風が吹き、成層圏の底部近くでは西風が吹いていると広く信じられた [4]。

 1946年から核実験がマーシャル諸島で始まったの契機に、熱帯の高層大気の調査が行われるようになった。これらのデータを用いて、1954年に成層圏下層の西風と上層の東風の間の遷移層での風が年や月によって異なっていることがわかってきた。そういう状況の下で1954年にビキニ環礁などで行われた一連の核実験では、広範囲にわたって想定外に散らばった放射性物質によって、日本の第五福竜丸などの放射能被害が起こった [4]。これらを契機に、熱帯成層圏の振る舞いをもっと詳しく知る必要性が起こってきた。

(成層圏準二年振動の発見(2)発見 へとつづく)

Reference
[1] Kevin-2012-Sereno Bishop, Rollo Russell, Bishop's Ring and the Discovery of the Krakatoa Easterlies, Atmosphere-Ocean, 50, 2, 169-175. 
[2] Bishop-1884-The remarkable sunsets, Nature, 29, 259-260. 
[3] Bishop-1884-The equatorial smoke stream from Krakatoa, Hawaiian Monthly, 1, 106-110. 
[4] Maruyama-1997-The Quasi-Biennal Oscillation (QBO) and Equatorial Waves - A Historical Review, Papers in Meteorology and Geophysics, 48, 1, 1-17. 

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