手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

父親の最期に間に合わなかった無念

父が亡くなって今月11月で丸2年が経ちます。

 

今回は2019年11月に、95歳で亡くなった父のことを書きたいと思います。

 

今でもまだ、父がなくなった日のことはもちろん、亡くなる前までの父の様子は鮮明に思い出すことができます。

 

11月に入った途端、この時期らしい空気感とか空の色とか、夕暮れの雰囲気とか、そういったものにより、父への想いが、普段より強く引き出されてくる感じがします。

 

父は入院し2ヶ月足らずで亡くなってしまいましたが、それまで自宅で生活できていたことは、95歳という年齢を考えれば、とても恵まれた晩年だったといえるような気がします。

 

病院から危篤の連絡を受けて駆け付けたときにはもう、父は亡くなっていました。

 

夜遅く、大急ぎでタクシーで向かっていた途中に、亡くなったという連絡は受けました。

 

できれば亡くなる瞬間に立ち会いたかったという思いは、今でも残ります。

 

母親の時には、なんとかその願いが叶わないものかと今から思っています。

 

テレビドラマのワンシーンのように、手を握って最期を看取れる家族は、意外と少ないものなのでしょうか。

 

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亡くなる10日前くらいからでしたか、父は点滴だけで、食事もとれなくなりました。

 

亡くなる3日前に面会した時には、かなり衰弱している様子でしたが、なんとか会話はできました。

 

亡くなる数時間前も、看護師さんの問いかけに反応していたと聞きました。

 

父は、どんな意識状態で亡くなっていったのかな、と時々考えます。

 

眠っている間に亡くなっていったのか、朦朧とした意識の中で、私達家族のことも心に浮かべながら亡くなっていったのか。。。とか。

 

たぶん、亡くなる瞬間にはもう意識はなかったかもしれませんが、意識が薄らいでいく段階で、父の傍に寄り添っていたかった、という思いが今でも残ります。

 

 

父が亡くなって2年。

 

当時は、認知症の母の介護に手がかかっていたため、父には高齢でありながらもたくさんの無理をさせたし、寂しい思いもさせたし、辛い思いもたくさんさせてしまいました。

 

今でも、父のために、あのときこうしておけば良かった。。もっと優しくしておけば良かった。。といった後悔の念が浮かび、キュッと胸が苦しくなることがあります。

 

でも、自分の身に置き換えて考えると、子供のいない私は自分の人生の最後はすべて自分で始末して、最期の瞬間も独りで迎えることになるわけです。

 

それは自分の人生にとっては当然の成り行きであって、特に大きな不安や寂しいという気持ちはありません。

 

そう考えると、人生の最後も家族と暮らし、ある程度子供に面倒を見てもらえた父は、そんなに寂しい晩年ではなかったのかも。

 

むしろ、幸せな晩年だったかも、と思い直すようにしています。

 

そうすることで、私自身の気持ちを少し、軽くできるからです。

 

 

 

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