手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

思い込みと痛み: 心の働きと身体の関係

私は変形性股関節症を自覚してから今年(2025年)で、約15年程が経過するわけですが。

今のところ、数年前に感じたような激痛に見舞われるようなことはなくなり、なんとか自分の脚で生活はできています。

 

痛みのレベルとしては自力でかなり改善された感じはしますが、痛みがないわけではありません。

痛みの感じ方、捉え方には個人差があると聞きますが

人によっては今私が感じている痛みレベルでも、すぐに手術に踏み切る人もいれば、活動的に動ける人もいるような気がします。

 

私と同じように股関節が悪そうな人でも、介護施設や病院の職員として働いている人を、今までに何人も見かけました。

デスクワーク中心の仕事ならまだしも、施設や病院となるとかなり歩き回ったり、力仕事が必要な場面もあるでしょう。

それなのに、どうしてあのように仕事をこなすことができるのだろう?

 

それは。。

私が思うほどには痛みを感じてないから?

それとも。。

かなりの痛みや辛さはあるけれども、我慢して働いている?

 

たぶん、答えはひとつではないと思うけれど 

股関節に変形が生じているのであれば

なんの辛さも感じることなく、働いたり歩ける人はいないんじゃないかなとは思う。

 

長い間私は、痛みとともに生きています。

立ち上がる瞬間や、歩き出しの一歩は必ず、グキッ!とした強い痛みが走ります。

今の私にとっては、たとえ短距離であったとしても

歩くこと イコール 痛いこと。

ウォーキングや散歩を楽しむということはできません。

痛みというものがもはや自分の一部のようになってしまって、痛みのなかった頃の自分が思い出せなくなっているのはたしかです。


さあ一歩を踏み出そうとするその直前に、

さあ!今回もまたグキッ!とした痛みが走るぞ!という恐れが無意識に起動します。

 

最近私の中で新たに気づきつつあることは、

こう動かせばこういった痛みが走るに違いない!という、余計な思い込みが、痛み改善の妨げなっている気もしてきたことです。

 

極端な話ではあるけれど、

「痛くない、痛くないと思えば痛くないんだ」

と、心の底から信じられれば 痛みが軽減されるということはありえそう。

 

痛みも人体にとっては 伝達すべき重要な信号といえますが

自分の思いや感情で作り上げている余計な痛みであれば、それは消し去ったほうがいいのでしょう。

イヤイヤながらやりたくないことをやっている時は、脚の痛みレベルも高めだけれど

楽しいことをやっている時には、そんなに痛みを感じなかったりもするのです。

 

必要以上に痛みを感じて、苦しんではいませんか❔って、

時折、自分自身に問いかけていこうと思うのです。

 


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