コンピュータに意識を移植するって考えは日本人的発想なんじゃないかってお話

技術の進歩により未来ではコンピュータに意識を移植できるようになるみたいな話を一度は聞いたことがあるんじゃないだろうか。人工知能という言葉が身近になるにつれそう言った話題もちらほら見聞きするようになったと思う。

以前ブログ(人は不死の存在になるか?)で取り上げた「「意識の移植」が問う倫理」という記事なんかもまさにそうだ。

ただ最近ふと、実はこれって日本的な発想なんじゃないか?と思った。海外にはこの発想ないんじゃないかな?と。

日本だとオバケのように魂と肉体が別々に存在するという考えを受け入れられるけど、欧米はオバケではなくゾンビの文化だから意識と体が別々に存在するみたいな発想がないのではないか。

映画マトリックスでも人々は仮想世界の中で人生を送っていたが、人間の意識だけをコンピュータに移植してその中で生きていたわけではなく、あくまで人間は機械に直接繋がれていて思考は自分の脳で行なっているという設定だった。

仮に人間の脳にあるデータをコンピューターに移すみたいなことができるようになったとしても、それはムーブじゃなくコピーになる気がする。

そう考えると外国人には意識をコンピュータに移植するなどという話をしても通じないのではないか、将来そんなことができる未来が来ると考えているのは日本人だけなんじゃないかということが今ちょっと気になっている。

この記事は個人の体験に基づいて書いたものです。病状などは人それぞれ異なるものなので、気になることがあったら必ず、主治医に確認してください。本ページについてご質問等ありましたらお問い合わせページからお願いします。

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