私の好きな春巻きの両端だけでした。
ほめる行為には「能力のある人が能力がない人へ下す評価」
「ほめる」の背後にあるのは、相手を操作したいという思いなのです。
なんですって、だからどうしたと思いますが。
問題は、親といっても自分と違う人間であって、
考え方も違うと、子供に分からす事だと思います。
褒められたら、嬉しいのは当然です。
叱られるも、学習の一つだし、子供の時に、私のように大人を見過ぎて、
「こいつら、バカばっか、」なんて捻くれた子供になる必要はないし、
褒められて、素直な良い子になった方が、よっぽど生きやすいと思います。
あまりに素直過ぎると、忍たま乱太郎のしんべヱになってしまいます。
別に悪い事ではないんですが。
アドラー心理学みたいな、小難しい大人が考えたのを手本にするんでなく、
問題が起こるたびに、親も一緒になって、子供とベターは何かを考えた方が
楽しいんではないんでしょうか。
答えなんて、もともと存在しないんです。
ベターだけが存在しているのです。
ちょっとでもベターを考え続ける事に、人間の存在価値が有ると思います。
考えなくなる事が、一番悪い事だと思います。
ただ、途中の休憩を、してもいいとは思いますが。
勉強て、あくまで自分の為であって、親の為ではない。
自分が人生を、ちょっとでも楽しくする為の道具です。
義務教育での勉強は、楽しく生きていく為の最低限の知識です。
それを、ちゃんとしないのは、
大人になってからの楽しい事を減らしてしまい、損をします。
そして、安易な方法として、お酒に逃げたりする事になってしまいます。
私は、酒で壊れた大人も友人も、何人も見てきました。
そうなると本人はいいですが、周りの人が悲惨です。
そうならない為にも、子供の時から、
いろんな事を、よーく、しっかり考える事です。