保育士引退しました。現在無職です

保育士辞めたらどうなってしまうのか?

僕のことが嫌いなお母さん

「アキラ!昨日の宿題やったの!?いつも遊んでばっかりで!この前のテスト何点だったかわかってるの!?お母さん恥ずかしいよ!」

僕はお母さんが嫌いだ。お母さんも、僕のことが嫌いなんだと思う。だっていつも怒った顔をして、大好きなんて言葉も言われたことが無い。たくさん抱きしめてもらったことも無い気がする。他の友だちのお母さんはみんな優しいのに、僕のお母さんはいつも忙しそうに怒っていた。

「ねぇお母さん、うちもディズニーランドに行きたいよ。連れてってよー!」

「行きません!だいたい勉強してないくせに、どこにそんな余裕があると言うの!」

僕は勉強が苦手だった。つまらないし、先生も何を喋ってるのかいつもわからない。お母さんにそのことを喋っても、お母さんは僕のことを全然わかってくれなかった。

「なんでこれくらいの問題がわからないの!?」

「学校行って勉強しなさい!」

「宿題やりなさい!」

「お母さんの手を煩わせないで!」

そんなことを言われるたびに、僕は悲しかった。そして、いつの間にか誰にもばれない場所でこっそり涙をぽろぽろこぼすようになった。

誰にも見つからないように。

お母さんは嫌いだったけど、お母さんのお母さん、つまりおばあちゃんは僕は大好きだった。

おばあちゃんは僕の家から遠い場所に一人で住んでる。お盆や正月になればおばあちゃんから玩具やお菓子をたくさんもらった。いつも怒ってるお母さんとは違って、いつも優しいおばあちゃんは大好きだった。

「お母さん、アキラに物を与えないでください。ますます駄目な子どもになってしまうじゃないですか。」

「何言ってるの。こんなにも可愛い子どもが駄目な子どもになるわけがないじゃない。ねぇ?アキラちゃん。」

大人になってから分かった話だけど、お母さんとおばあちゃんの仲はすごく悪かった。お母さんが子どもの頃はいつもおばあちゃんとケンカをして、いつも家から飛び出し、追い出されていたらしい。

僕はいつしか一人でバスに乗れるようになってから、いつもおばあちゃんの家に遊びに行くようになった。なけなしのお小遣いは、だいたいそのお金で消えた。お母さんの家には帰りたくなかった。時々お母さんが物凄い剣幕でおばあちゃんの家にやってきて

「うちのアキラを取らないでください!アキラもおばあちゃんの家に行ってはいけません!」

と僕の腕を強く引っ張り無理矢理家に戻された。

僕はますますお母さんのことが嫌いになった。

それからしばらくして、僕とお母さんとの仲を決定的に壊す出来事が訪れた。

ある日の夜中、僕はお腹が痛くて目が覚めた。あまりの痛みに台所にある薬を飲もうと思った。しかしその途中、あまりの痛みで気分が悪くなり、吐いてしまった。

物音に反応して来たのだろう。二階からお母さんが降りてきた。床に飛び散った吐瀉物を見て僕を激しく非難した。その時の僕の目つきが気に食わなかったのだろう。お母さんは僕の頬を思いっきり叩いた。僕は何かの糸が切れたように叫び出した。

「いい加減にしてくれ!お母さんは僕のこと、そんなに嫌いなのか!?」

僕は床の吐瀉物を指指して言った。

「僕はお腹が痛いんだよ!それで気持ち悪くなって吐いてしまったんだよ!わざと困らせるために吐いたんじゃないんだよ!それなのに、お母さんはこんな僕のことを責めるのか!?」

気がつくと僕の目からは大量の涙がこぼれ落ちていた。お母さんは、驚いたような顔で僕の顔を見ていた。

「・・・ほんの少しだけでよかった。ほんの少しだけでいいから、優しくして欲しかった・・・。僕がいつも、こんなにも苦しんでるのを、少しくらいわかってよ・・・。」

僕はそのまま、家を飛び出し、おばあちゃんの家に向かった。靴を履く暇もなく飛び出したから、足はどんどんボロボロに痛くなった。

けど、この時一番痛かったのは僕の心の方だった。それに比べたらと思えば、例え血が出るほどの皮が剥けても、全然平気だった。

それからお母さんとはずっと話さない日が続いた。いつだったか、お母さんが僕のことを心配して話しかけてきた時があったけど、その度に僕はお母さんのことを無視した。

お母さんはあれから、僕のことを叱らなくなった。どこか寂しそうな目で僕を見続けていた。しばらく何年か経った後、お母さんは具合が悪くなり、入院することになった。その時の僕は大学生として一人暮らしをしていた。大学の費用は全部自分でなんとかしていた。お母さんの手だけは絶対に借りないという、子どもながらの反抗心だった。

一度もお見舞いに行くこともなく過ぎたある日、おばあちゃんから連絡が入った。

「アキラちゃんのお母さん、たった今死んだわよ。」

葬式に参加したおばあちゃんは何時間も泣き続けていた。

「なんで親より早く死んでしまうのかねぇ・・・。」

そんなおばあちゃんの横で、僕はお母さんの遺影を見つめていた。

僕はまだ、お母さんが死んだとは思えなかった。

その日の夜、僕は久しぶりに実家に戻った。家には当然誰もいない。

テーブルの上に目を向けると、一つのノートが置いてあった。

2月27日。私に子どもが産まれた。名前はお父さんと話し合って、アキラという名前をつけることになった。

アキラ、とっても可愛い子。この子だけは、何が起きても、何が何でも育てていこう。

 

5月3日。あれからアキラは2歳になった。私が疲れていても、この子は私にいつもとびきりの笑顔を見せてくれる。その度に、私はまた明日も頑張ろうって気持ちになる。

アキラ、大好きだよ。

 

7月21日。お父さんが死んだ。それも、何の関係もない事故に巻き込まれて。

この世の中はなんて理不尽なんだろう。なんて悲しい世界なんだろうって思えて、涙が溢れて仕方なかった。アキラには何て伝えたら良いんだろう。

 

12月24日。よりにもよって、この日アキラと初めてケンカした。お父さんが家に帰ってこないことに疑問を思ったのだろう。私はテーブルに置いたケーキをぶちまけた。初めて見る顔に、アキラは泣いた。私もアキラが眠った後、一人で激しく泣いた。

アキラにとっても、私にとっても、この日のクリスマスは一生忘れられないものになるだろう。

ごめんね、アキラ。

4月5日。アキラが小学生の5年生になった。

アキラは1年生の頃から学校の友だちと遊んでばかりで勉強は全くだった。

ここのところ、よくケンカをしている気がする。けど私の気持ちはいつも上手く伝えられなかった。こんな時、お父さんが生きてくれていたらと思うと、また悲しくなってくる。私はアキラが産まれた日のことを何度も思い出して、あの子にバレないように見守り続けた。

あの子の布団

あの子の朝ごはん

あの子の洗濯

ちゃんと学校行けてるのかしら?学校でいじめられたり、いじめてないかしら?

あの子は今、何に苦しんでいるのだろう。

一番近くにいるはずなのに、あの子のことをよく知ってやれていない、わかってあげられていない気がする。どうしたらいいのだろう・・・。

 

6月22日。アキラが中学生になってからというもの、ますますあの子との距離が離れてしまったように思えてくる。

周りに相談しても「思春期」という言葉一つで片付けられてお終い。思春期を理由に子どもを放っておいたら、それこそ親の責任はどうなるというのだろうか。

私はあの子のことが心配だった。物を盗んだりしていないだろうか?学校で恥をかいたりしていないだろうか?最近は朝ごはんを用意しても、全く食べなくなってしまった。

このまま引きこもりに、ならなければいいのだけれど・・・。

 

9月2日。アキラと大げんかをしてしまった。原因は私があの子のことを全く理解してあげられなかった、この一点である。

本当にごめんなさい、アキラ。

けど、この場を借りて、少しだけ喋らせてもらうね。

あなたは私のことが大嫌いなのは知っています。ですが、それでも私はあなたのことが大好きです。なぜなら、あなたは私だけの、たった一人の子どもだからです。

子どもの立場から見て、親の存在というものは実に疎ましいものだと思います。「なんでこんなに干渉してくるんだ?」「自分のことなんかほっといてくれ!」と思っていることでしょう。

それが親というものです。私もあなたのおばあちゃんである、お母さんが大嫌いでした。何でもうるさく喋ってきて、厳しくて、優しいところなんてほとんど無い。言い方を変えれば、呪いでしょう。親に縛り付けられた呪いというものは子を激しく苦しめます。そして、たくさんの子どもたちが、この呪いを解きたくて親の元から離れて行きます。

私もあなたに同じようなことをしてしまいました。どうしてあの時、優しく気遣ってあげられなかったのだろうと、今も激しく後悔しています。

アキラ、お腹の調子はどうですか?今もまだ痛いですか?夜中に目を覚ますくらいだから、本当つらかったでしょ?母さんはあなたが苦しんでいたことを想像すると、涙が溢れてきます。

あなたは何も、心配しないでくださいね。今度から、ちゃんと優しくするからね。

本当に、ごめんね。

 

僕は震えた手でそのノートを閉じた。一滴、また一滴と落ちてくる涙を、僕は堪え切れなかった。

「お母さん・・・お母さん・・・。」

お見舞いに行かなかったこと、お母さんを無視し続けたこと。謝りたくても、お母さんはもういない。

真の親とは、わざと子を突き放し、それを陰から見守るもの。子どものことで平気な親がいるのだとしたら、それは親ではないだろう。

この日、僕は初めてお母さんからの愛情を受け取った。

「お父さんのお母さんって、どんな人だったの?」

娘から突然の質問に、僕は少し驚きながらもゆっくり答えた。

「お母さんは、そうだな。とっても怖くて厳しい人だったよ。」

「え〜っ!どれくらい?鬼みたいな?」

「鬼は言い過ぎだけど、、、でも本当に怖いお母さんだったよ。お父さんはいつも怒られてたから。」

「じゃあ、ちゃんと丁寧にお墓参りしないと、怒られちゃうね。」

娘の言葉に、僕は少し笑う。

「でもね、そんな怖いお母さんだけど、本当はとっても優しい人だったんだよ?」

「えっ、どういうこと?」

僕は胸の奥から、少しずつ何かが込み上げてくるのを感じた。

「僕はお母さんのことが大嫌いだった。それはお母さんが僕のことを嫌いだと思っていたから。でも、本当は、違っていたんだ。」

溢れる涙を見て、娘は少し不安そうな顔で僕の顔を見つめた。

「お母さんは、本当は僕のことが大好きだったんだ。けど、そのことを僕に伝えられず、ずっと苦しんでた。泣きたい時があっても、それを僕に見せることは決してなかった。陰で僕のことを一番支えてくれていたのは、お母さんだったんだよ。」

空は清々しいほどの青空だった。

お母さん、僕を産んでくれてありがとう。僕はお母さんの元に産まれてきて、本当に良かったです。お母さんも、辛かったんだよね?僕のことをずっと心配してくれて。たくさん迷惑かけて、ごめんね。親不孝な子どもで、本当ごめんね。

お母さん、大好きだよ。