距離感







いまのアパートを内覧した當時、隣り合うふたつの部屋が空いて居ました。
暗は奥の角部屋のほうに決め、その後すぐ、もうひとつの部屋にも入居者が決まつた様でした。ややこしいですが、暗は隣人が入居してからも1か月ほど實家で暮らして居たので、最初の1か月間、大家と隣人との間になにがあつたのか知りません。


アパートは樹木の根の露出し、藤の絡んだ山中を登つたところにあり、そのジブリの様な空氣が氣に入つたのですが、數か月後,そうも云つて居られなくなりました。
部屋は1階です。ベランダも、ベランダの隔てのようなものもなく、1階の全部屋に繋がる庭に夫々物干しがあつて、常に隣人の洗濯物が飛んできているのです。隣人は60歳くらいの男性でした。
一度ぞつとしたのは、隣人が栗鼠を餌付けして庭に出てきていたときでした。少し此方を振り返つて、自分のしていることに氣づいたそのひとは、すぐ引つ込んでくれたのですが、隣室をいつでも覗けるアパートなのだと實感した次第です。
また、玄關の通路はトンネルのようになつていて狭く、其処に他人が立つて居るだけでも肝が冷えるのですが、隣人は大家が通路で掃き掃除をして居ると急に出て来るなど、嫌われる様なことをしていました。
2階が大家の家となつています。なぜか大家は夜中に大變大きな「ドン!」という音を、丁度隣の部屋の上のころで立てるので、毎晩続くと隣人は窓を開けて、「大家さんええ加減にしてください嫌がらせばつかり」と怒鳴つたことがありました。
それが甲高く甘えた口調なのは、關西訛りだからそう聞こえたのでしようか、それとも、女性の大家目当てに入居したからでしようか。建物は全體が白くロマンチツクで、澤山の花に囲まれて居るので、正直なところ女性というよりは、熟女好きの男性許り入居しそうなのです。
その後も音は収まらず、隣人は夜に窓を開けては、怒鳴るのを我慢しているようでした。


入居から丁度1年経ち、先週、隣人が20囘以上玄関を出入りして居たことがありました。その日ごみ置き場には曜日関係なくごみが積み上げられていて、また、大家が入居者たちと世間話をするようになり、明らかに晴れやかな様子でした。見ると、隣人の表札と自転車がなくなつて居ました。


隣人は以上の様に、声の響く通路にほかのひとが居ても出て来たり、騒音に對し管理會社ではなく本人を脅したり、而も逃げ場のない山中で相手が女性であることを考えなかつたりと、關東の距離感がわかつて居ませんでした。
これは正義感が彊すぎたとも云えるかも知れません。騒音が數か月續いたとき、そしてその騒音が明らかに防げるものであるときだけに怒る優しさ、管理會社にチクるやり方をしない真つ直ぐさ、此れ等がすべて冷たい關東に合わず、正直ものがばかを見たのでしようか。


暗ははつきり云つて、善良な負け組を見てもなんとも思いません。このようなことがあつたあとでは、尚更にそうでしょう。大家が笑顔で話す様になつたように、暗は隣人が居なくなつたと知つた途端、木漏れ日と、山の小径の紫陽花と、栗鼠と、野鳥とを、より美しく、愛らしく感じました。かぶと蟲が楽しみで、そこに敗北者に對する軽蔑などありません。