大嘘吐き

鎌倉に移住するとき、身の周りからフアスナーとプラスチックを成る可く無くしたら何うだろうと考え、風呂敷や巾着、がま口、そして和服を用いて過ごす様に爲りました。

さて、和装する中で目に附く様に爲つたことがあります。「昔は着物が普段着だつたのだから、安い着物を氣樂に着よう」という言説です。メーカーとしては和服を大事にせず、使い捨ててほしいので、この様な賣り文句を流行らせると云うだけのことです。それなのにユーザーが眞に受けて了つて居るのです。普段から着たいのはわたくしも同感なのですが、その素直な氣持は、恰も史實であるかの様に云うだけで真赤な嘘になるのです。








冷静に考えるとこうです。「昔は、衣服は賣うものではなかった」


鶴の恩返しや七夕傳説の織姫等にも表れて居ますが、ジエンダーにおける女性の仕事といえば、世界中どこでも、糸紡ぎと機織り、裁縫でした。日がな機織り部屋に篭つて家族全員分の衣服を作るのです。

GUやH &Mの様な、安い普段着をどんどん使い捨てればいい、と云う姿勢はありません。継ぎ接ぎして何時迄も使い囘す、という精神のほうが歴史的です。



關係ありませんが、わたくしはおおつそつき無しには和服を着たくありません。おおうそつきとは、半衿付きの長襦袢で、半衿を下に引っ張る輪のようなものが背中についていて、その輪に襦袢の腰紐を通して結べば、勝手に衣紋抜きがされて頸を出すことができ、それが一日中保たれるという便利な物です。噓はおおうそつきだけで十分ですね。