共犯者

 〈眞實〉を、「眞心」という意味で用いて居ます。「心底」の様に眞實を副詞にすることも可能です。正しさよりは、おもろい、粋、に近いです。時代物の作品においての眞實は、いまとなつては見て確かめることができない筈の風俗、調度、建築等について、己の時代考証のほうがより正しいのだと主張することではありません。作者としては、観衆の中、共犯者として自覺のある人々を、仮令ひとりふたりでも、ニヤツとさせたいのです。

眞實味のある作品には、「流行は上流と藝能界から普及して、下流の暮らしはあまり變化しない」という姿勢が共通しています。それまでの時代になかつた新しい發明や外國から傳来した物は、後世になつても高価で、江戸時代の庶民は室町風、大正時代の庶民は江戸風、戦後の庶民は大正風、というような意識で創作します。

逆に時代考証厨に絡まれ易いのは、「自由な發想」と云うものを、「丁髷とか動きづらい着物とか、昔の人間のセンスには共感できない」という進歩史観を混同している作者です。わたくしたちは資本主義を信仰する上で、坂本龍馬等、米國の恰好良さに早くから氣づいている人物を贔屓しますが、このように心のどこかで昔を見下し、いまのほうが良い時代だと考えて〈後出し〉しがちです。架空の虚構作品に對し間違いも何も無いのですが、せめて丁髷と着物を感情的に好きになつて、日本畫に萌えるようになつてからでないと、無理に時代物に取り組むのも苦痛でしよう。萌えられれば時代劇ふうの衣装にさえ「外し」「こなれ」といつた本来の「自由な發想」を摑むことができるのです。

時代考証厨より共犯者を呼ぶ爲の目印を、此処にまとめておきます。










雨具

實は唐傘、番傘は江戸時代のもので、それより古い時代が舞臺だと使えないのです。特に番傘は大店が客に貸し出す傘を云い、庶民は江戸以前と同じく雨傘を持つていない者も多いのでした。大店も、破れては紙で塞いで大切に使うほど、高価な物です。とはいえ、日傘は仏教に伴つて古来から存在して居ました。タイの、観光客を乗せる象の鞍についている様な日傘と同じ形ですが、此れは「天蓋」といい、人間らしさを超越した存在が差す特別な物です。それでは不斷の雨の日、人々は何うしたかというと、外出しないか、若しくは「かつぎ」という着物を頭から被つたり、編笠を被つたりしました。


帽子

創作するとき、現代から氣持ちが切り替わらず被り物を忘れがちです。烏帽子、編笠、かつぎ、手拭いの4つを駆使するだけで本格的になれます。女性は顏を被り物で隠す爲、平安以降ずつと垂髪が基本でしたが、江戸で覆面禁止という大きな異變があり、前述4つの被り物の中、かつぎだけは、全身を覆つて変装しやすいので禁じられます。そしていきなり武家から百姓まで、凡ての女性が髷を結い、簪を附ける様になつたのです。巫女や藝人は男装をよくするので、室町時代から髷を結つていた者も居ましたが、江戸時代に髷が流行したのは、女性藝能人の影響といえます。


照明

燈りは雨具同様、その時代の生活感を眞實味をもつて漂わせる、便利な物です。特に注意が必要なのは提燈で、唐傘同様に江戸以降の物です。提燈の出番は、遊郭や大店、武家だけに限る必要があります。それでは提燈のない者はというと、日の入りとともに就寝するか、「油火」という、皿に魚油等を張つてこよりを差しただけの物が身近でした。一寸の間なら、火の點いたこよりだけを持ち歩くこともあります。江戸以降は行燈が發明され、庶民でも油火を行燈に入れる様になりました。さて、昔の燈りと云えば蝋燭ですが、現在でもケーキに差すような芯の細い蝋燭は古くから存在しました。不便で殆ど使われず、江戸時代になつて芯が異様に太い和蝋燭に改良され、特に中流以上では廣く普及しましたが、それでも溶けた蝋を一滴残さず蝋燭業者に賣るという倹約ぶりです。


敷物

〈和風〉は高度経済成長期、若しくはバブルに創られたと考えていいと思います。和室という概念も亦、最近の物です。現在の旅館によくある、部屋一面畳敷きの上に、更に布團や座布團という組み合わせを描いて了うと、共犯者を得ることは叶いません。現在フローリングが好まれるのとは逆に、バブル以前には畳のほうが豪華さを表しました。平安時代には、畳は高貴な人物の座で、その上に更に座布團があるのは間違いです。眠るときも畳に直接横になります。室町時代以降になると、矢張り座蒲團はありませんが、寝具として敷布團を畳の上に敷くようになりました。畳のない庶民は筵、茣蓙の上、更に貧しければ板敷きの上に眠ります。掛け布團はというと、ないか、着物を被り、中流以上は綿入りの搔巻を被りました。着物型ではない四角い掛け布團の普及は、戦後なのです。


和風というと、縁側で微睡む三毛猫と老婆、という印象もあると念います。實は行燈、提燈、雨傘と同じく江戸以降普及したのです。室町時代が舞臺の『犬夜叉』には雲母が居ますが、大陸出身で日本の妖怪ではないという設定です。留美子先生はとても渋い趣味で、その姿勢を時代考証と表現するのも硬すぎるほど、生活感を以て作品を描いて居り目指すべき姿勢です。日本の愛玩動物といえば蟲、鳥、犬が長く飼われて居て、寧ろ猫は唐傘同様、江戸時代らしさを表現することができます。