2023年1月2日月曜日

【謹賀新年 羽田空港初日の出挑戦記その2最終回】 22'12/31-23'1/1

その1からのつづき

京急で羽田空港から青物横丁駅へ移動しこの日のお宿、東横イン青物横丁へチェックイン。
この空間で年越しをするのかと思うと寂しくもなってきた。が、自分で選んだ道なので突っ走りましょう。



晩御飯は18時に予約しており場所はJR京浜東北線大井町駅付近なので京急青物横丁駅からだと徒歩20分以上であり17時半にのんびり向かいます。
日本狭しと言えども知らないところばかり。東京狭しと言えども知らないとこばかり。青物横丁は古くは東海道五十三次の第一の宿場町、品川宿が置かれていた歴史情緒溢れる下町みたいで。青物横丁駅すぐの品川寺(しながわじ)が品川区の元にもなったそうな。



大井町も品川区だけど下町情緒を感じるほっとする雰囲気に思えた。正直真っ暗になってから出歩いているので何とも言えませんが商店街とか駅前の雰囲気からそう思いました。今や絶滅危惧種となっているはずのイトーヨーカドーが駅前にあったりと。
そんな大井町駅を通り過ぎ三間通りに入りましたがここもいい味がある。そんな通りにあるお店で2022年最後の夕食を摂ります。



こじんまりしたお店で次から次へと常連さんがやってきます。坊主頭のせいかこの店でも大将からは「料理人さんですか」と聞かれた。一人でカウンターで食べているとよく間違えられる。
大将と話していたけど途中からカウンターのおっちゃんと話し込んでいた。酔っぱらって何を話していたかはあまり印象に残っていない。が、出張で色々行くからと言っていたので関西で飲みましょうとなり「京都に来る時は是非御連絡を」と言って連絡先を渡して店を出たのは明瞭に覚えている。こういう時って社交辞令で言っているのか本気で言っているのかいつもわからん。自分は社交辞令とか好きじゃないので「ご飯に行きましょう」と言ったら行く派だけどよく肩透かしを喰らうからあまり期待しないでおこうと最近は思うよになりました。行く気がないなら「機会があれば行きましょう」とか初めから言わんで欲しい。

食後は酔い覚ましも兼ねて行ってみたかった山手線代々木駅を目指します。黒い山手線は撮影出来なかったけどせっかくだから行った事のない撮影地で東京のシンボルでもある山手線を撮影してみたい。京浜東北線大井町駅から列車に乗り品川駅で山手線に乗り換え外回りに乗って新宿方面に向かいます。大晦日の20時過ぎと言う事もあり車内は空いています。

代々木駅は中央・総武線の停車駅でもあり独特な駅構造である事をホームに降り立ち初めて知りました。どうやったら代々木駅であんな構図の山手線が撮影されるのだろうかと不思議でしたが来てみて納得。



内回り線のホームの先端が中央・総武線のホームとの兼ね合いで外回り線よりかなりずれて設置されておりその先端から1-2名なら撮影可能という場所でした。こんな大晦日でも鉄がおられ三脚を使って撮影してたら駅員に怒られたから気を付けてくださいとアドバイスしてもらった。今回の撮影は全て手持ちと割り切って来ていたけど「良いお年を」とお別れし一人で撮影。
61G JR東日本 山手線 代々木駅



この地で数枚撮影したらぐるりと品川まで戻り京急に乗り換え青物横丁駅まで目指します。
青物横丁駅もストレートのすっきりした構図であり京急も記念に何枚か撮影しますが京急と言えば「赤色」。
阪急電鉄は「マルーンカラー」が確固たるブランドイメージになっています。今の御時世はお金もかからずメンテしやすい無機質なステンレスむき出し車両が当たり前となっており京急も一時はステンレスむき出し車両になっていたけどやはり京急は赤色だとの意見が出て再度手間のかかる赤色全面塗装にしたとニュースにありました。
個人的には手間ひまかかるけどブランド力を大切にするという企業姿勢に共感を持っており京急も好き。これも勝手な個人的主観ですが同じ赤色がコーポレートカラーでも手間がかかるとどんどんステンレスむき出しの車両に切り替えている名古屋の名鉄より好感が持てる。

生前の曾祖母が横須賀中央に住んでいたから大昔に京急で何度か訪ねたけどその時に走っていた1500系にまた会えて懐かしく思えた。列車寿命が関西に比して短命な関東ですが京急ではまだ走り続けていました。




京急も大昔は品川止まりだったと思いますが数十年の時が経ち相互乗り入れが凄まじい。
羽田空港発成田空港行という恐ろしい長距離列車もあれば印旛日本医大前行という長距離列車が普通に走っている。大将から関東の列車は酔っぱらって乗り過ごしたら悲惨ですよと言われたけどまさにそう思う。

山手線、京急線と眺めていたら大晦日もあと3時間を切っています。元日は5時起きなのでそろそろ宿に戻って風呂して寝んね。
食後のお楽しみと思いコンビニでコーヒーとシュークリームを買って部屋で少し寛ごうと思ったけど2022年は最後まで小者。スタバとかのカフェオレは高いからファミマのドリップコーヒーSサイズ。お茶も100円のPBものを購入してTVをつけて寂しさを紛らわせながらいただきます。と、シュークリームのチョココーティングが服の上に落ちているのに気付かずズボンや上着が茶色く汚れてしまった。最後の最後でなんてこったいと思いさっさと寝ようとシャワーを浴びて大晦日に撮影した写真を見返しながらぼーっと過ごす。


ここから先は職業柄かもしれませんが個人的になんとも思わない内容ですがノーマルの人にとったら汚い話なので読まずに初日の出の模様にワープしてスルーしてください。


シャワーを浴びてぼーっとしてたら23時を回っておりほんまに寝なければと思いましたがなんか腹部に急激な違和感を覚え腹痛と吐気が襲ってきた。寒さで冷えたのかと温かくしたら何とかなると思い布団に入るも腹痛は増すばかり。もしかして白子の天ぷらの中が生っぽかったから食あたりか?!けど、白子って生か火が通っているかよくわからんしなんとも言えん。どちらにしてもこれはヤバいと思いトイレに駆け込みますが腹痛と嘔気ばかりで実は出ず。どんどん痛みが増して脂汗を大量にかいて脈をとるとタキってるしこれはホンマにやばいかもしれんと思い思わず家族Lineにヘルプの書き込みをしてしもた。脂汗かきまくりの自撮りも送ったけど家族はあっさりしていて「我慢できなかったら救急車呼びなさい」と。ERでは若者が腹痛だけで救急車を呼んで病院に来てからは治まって普通に帰っていく姿を多々見てきており「救急車はタクシーちゃいます 今度からはタクシー呼んできなさい」とお説教をした事もあったけど呼ぶ気持ちがわかった。ほんとに一人で悶絶していたら年齢も関係なくキツイ。呼ぶわけにはいかんと思い悪いものを出せばなんとかなると信じて気張ったけどお正月風に言えば栗きんとんかカニみそのような実しか出ず。それでも少しは痛みが引き頻拍も収まってきた。が、今度は大量の脂汗で冷えて凍え死にそう。上下ともにヒートテックを来ていたけど雪山にヒートテックで行ったら凍死する危険があるよと言われた事がよくわかった。東横インのトイレで脂汗かきまくっただけで凍えまくっているわけですから氷点下の雪山で動くのをやめたら凍え死ぬのはあり得る。

布団に入って自分の手をお腹にあてて「手当」します。手を当てる事で症状が治まるので手当というみたいだけど手のぬくもりで腹痛の峠は越えた模様。もうこんな体調で初日の出は無理だと観念してゆっくり寝て元日はすぐに京都に帰ろうと決め、このまま寂しく静かに眠ったまま年越しをしようと思い眠りにつきました。

しかし突然第二波はやってきた。

熟睡していたはずですがケツから生暖かいものが漏れ出たのを察知して覚醒。脱糞しても寝続ける人もいるけど酔いがさめていたからかはっと目が覚めました。時刻は23時57分。

年越しまであと3分で脱糞してこんな年越しは嫌やと心の中で叫んでいましたがとにかく被害を最小限に食い止めなければなりませんのでトイレに駆け込みますが今度は滝のように茶色の水が出続ける。実がなくて腸液がシャバシャバと出続けますが止めようもない。

ユニットバスの狭いトイレで下痢全開で年越しし汚れた下着を40越えたオッサンが洗うという悲し過ぎる2023年の幕開けとなってしまいました。

腹痛の峠は再び越え出し尽くした感もありシャワーで再度清めて布団に入ろうと思ったら今度は股間、腋下、首回りが真っ赤に腫れて膨隆疹を認めメッサ痒い。今度は蕁麻疹に襲われ呪われているとしか思えん。食物誘発性アレルギーで腸管浮腫、腹痛下痢→全身症状で蕁麻疹というシナリオが浮かんだけどあり得るのだろうか。どちらにしても抗ヒスタミンやと思いトラベルポーチから薬ケースを取り出し手持ちがないかと見てみたら救世主はいました。



年単位でケースの中で眠り続けていたビラノア錠20mg。マッハで内服して布団に入り痒みが引くのを待っていたらいつの間にか寝落ちしていた。

ふと目が覚めたら5時20分。痒みは完全に治まり腹痛も3/10くらいになっています。これなら初日の出に行くしかない。
第一・第二展望台は6時30分開場でありチェックアウトを済ませ青物横丁5時57分発のエアポート急行に乗りいざ羽田空港へ。元日の日の出は6時50分だからちょうどいい感じなはず。



人出が多いとは前調べで把握していたけど舐めとった。5時台の列車ですが旅行客や初日の出目的らしき客で車内は超混雑しとる。



羽田空港も改札まで人が多くて停留しておりのろのろと進みます。改札から2階の出発まで向かうエスカレータも長蛇の列であり別の場所から2階へ進みますが展望台へのエスカレータも混雑しており各所に誘導員が立ち混乱のないように誘導されていました。

開場前に展望台に着いたけど早くに解放されていたようでありすでに最前列はびっしりと人垣が出来ておる。ここまできてこんなオチは悲し過ぎるので隙間はないかと足早に端の方に歩いていきますが1段高くなっている所には誰もおらん。フェンスに対して平行な体勢は無理ですが半身の姿勢で滑り込みなんとか撮影地は確保。



こんな寒い朝早くから初日の出を見るためだけに空港に来るって暇人やと思いましたが自分も京都からやってきたその一人。



雲がかかり6時50分を過ぎても御来光を拝めませんでしたが52分頃には雲から初日の出を拝む事が出来ました。数分間陽が昇るのを見つめてあっけなく初日の出への挑戦は終了。元旦って雰囲気もなくほんとあっけなく終わった感。





天気が良いからきっと富士山も今日は見えるはずだと思い第二から第一に移動しようと思ったら退場にも規制が張られ並んで出ましたが多くの方の誘導により混乱もなくスムースに退場する事が出来ました。こっちは金も落とさずに警備とか誘導の労力をかけさせただけなのに笑顔で「ありがとうございました」と要所要所の誘導員が見送ってくれます。



元旦からありがとうございますという気持ちでいっぱい。考えるまでもなく元日も1/365日。多くの人が当たり前のように仕事をして世界を回してくれているんだと実感し感謝。飛行機も電車も普通に働いて普通に動かしてくれている。
羽田空港の歴史を全く勉強していないので個人的印象ですがANAの第二の方が明るく洗練されたイメージ。JALの第一は少し暗くショッピングモールも昭和な香りがする。ちょうど阪急17番街みたいな。床がカーペットとかの感じも。




第二ターミナルから再び京急改札横の連絡地下通路を使って移動します。無料バスもありますが400m程度の移動の為にバスに乗るのも勿体ない。





第一ターミナルへ到着し6階の展望デッキへ移動。





なんだかホテルに来ているような感じですが第一展望デッキは2層構造で階段を上ったら南北を結ぶ広い展望デッキがあります。




晴天であり富士山も拝むことが出来ました。しかし今の症状は軽くても夜中の精神的なダメージもあり本来予定していた10時30分に到着、12時30分に出発するルフトハンザのジャンボ撮影は中止し一刻も早く京都に帰るべく航空券を確保し10時のNH19便で帰る事にします。
元日はまだ一口も口にしておらず空腹であり初食事を何処で取るか。早々に8時過ぎには保安検査を済ませて中に入っていたのでANA FESTAのイートインを利用してみます。



ここにも鬼滅の刃とのコラボがあったけど2023年のお食い初めはわかめうどん800円也。正直これで800円って高すぎやろと思いましたが食べるところがない以上致し方ありません。空港価格か・・・。



ちょうど鬼滅の刃じぇっと参が駐機していたけど色白でした。



元日でも伊丹行はほぼ満席。定刻にD滑走路から離陸し東京に別れを告げて我が家に戻ります。



振り返ればエアバンドを始めるために無線機が届いたから羽田空港に来たけど実際は殆ど使用せずフライトレーダー24を活用していた。黒い山手線を撮影する目的もあったけど叶わず。羽田空港で初日の出を見るという事だけは叶いましたので打率3割ってとこでしょう。
これで今回の初日の出挑戦記は終了です。
京都に戻ってから実家に新年の挨拶をしに行ったけど「あんたが夜中にあんなLineしてきたからこっちはリズムが狂った」「お騒がせマン」「アホさが昔からちっとも変っていない」と散々な小言を浴びてしまった。

挑戦記というより腹痛備忘録的な汚いしょうもない内容が延々と続いた記録でもありましたが本年度もどうぞ宜しくお願い致します。

今回の出費は往復航空券はEFで0円、宿8000円、交通費3116円、飲食費10000円でtotal 21116円でした。






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