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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

卒親は母熊に学ぼう!

 

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母グマ(グリズリーベア)、我が子に魚のとり方を教える。つまり自立の仕方を教えている。
小熊が可愛い!!!
(https://mom.com/news/25057-momma-grizzly-bear-gives-fishing-lesson)

ミシガンにも熊がいる。

ほとんどがブラックベア。

10%が南半島で、90%が北半島に住んでいる。

ここからカナダに向かって6時間ほど北上すると運よく遭遇することもある。

熊の親子に出くわすこともある。

湖の氷を割って魚釣りをしているのも見たことがある。

釣った魚は子供にあげ、そして冬の魚釣りの方法を教えてあげていた。

 

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ブラックベアの親子。この小熊ちゃんたちも可愛い!!!(https://wiseaboutbears.org/wp-content/uploads/2014/04/bearmamma4-cubsJune-8-2014D200DSC_0055.png)

母熊の卒親方法

母熊の仕事は子供がいずれ自分の力で生きていけるように様々な技術や知恵を教えること。

親の仕事・使命は子供を可愛がることでも楽しむことでもない。

自立の仕方を教えること。

 

母熊は我が子が間違ったことをしていれば厳しく教える。

それと同時に深い愛情で子熊を育み

我が子を襲う脅威に対しても命懸けで戦う。

それが親というもの。

哺乳類は皆同じ。

 

このように慈しみ育て上げた我が子でも

母熊は自然の掟に沿って、その時が来たなら

独り立ちの儀式を余儀なく行う。

お願いだから行かないで!なんて絶対に言わない。

 

母熊の子離れは厳しい。

人間の親にはとてもできない技。

つまり・・・

小熊を森に置き去りにしていく・・・😅

 

人間の親には子供が自立しようとしているのに家に置きたがる人が多くいる。

特に日本人の母。😅😅😅

家を出ることは親を裏切ることでもあると感じている人もいる。

たしかにこんな長い間面倒を見てきたのだから・・・

という気持ちもわかる。

寂しい気持ちもわかる。(ものすごく・・・😰)

 

でも・・・

人間も動物。

いずれ熊のように成人し

自分の人生を歩むべく家を出る日が来ないのはおかしい。

今は親は寂しくとも長い目で見て自立を促すことが最も適切な行動なのだ。

 

動物界ではどの類も子供はいずれ皆巣立ちする。

人間だけがイマイチ上手に巣立ちができない。

最も悪いことに親も上手に巣立ちのサポートができなかったりする。

 

それは親が離さないというのも一理あるかもしれない。

一つは子供の失敗の可能性を心配するから。

もう一つは親側の依存症が原因。

 

家に置いておくと成長を阻む

失敗してもいい。

失敗を恐れていては何も始まらない。

 

家で野良りくらり何もせずに暮らしている成人は

家を出るべき。

 

もし経済的に絶対に無理でしばらくは家にいないといけないなら

家のルールに従うことが条件。

上げ膳据え膳で親を使用人扱いして平気なんてあり得るわけがないのだ。

 

一日中目的もなしにネットサーフィンなんて選択肢にあること自体がおかしい。

なんかできるでしょう?

子供だって家庭という小さな社会の一員。

その社会が正常に軌道するために自分の役割を果たすことは将来の自立に向けても大切な教育なのだ。それはちょうど母熊が子熊をトレーニングするのと似ている。

 

子供をそのままで愛するというのはその子の生まれもった個性を愛するということで、

あまりの態度に目をそらすということではない。

何度も言うけど

成人した人でそういう態度が目立つ人は家を出るべきだ。

 

ワガママは選択肢にない。

自分の部屋を掃除しないことも選択肢にない。

五体満足で何でできないのか。

ウツ?

ウツでも掃除はできる。

いや掃除をすればウツは改善する確率がグーンと上がる。

人間は自主的に行動しないで受け身で生きているとウツになりやすくなるのだ。

 

でも本人がやる気がないなら親も強制はできない。

だったら、私なら絶対に家を追い出す。

可愛い子供だからこそそうするのだ。

 

ホームレスにでもなったら?

いい加減大人なんだからそんなことは親が心配することではないのだ。

家で遊びボケていて、家を追い出されホームレスになっても

それは自分の責任。

家にずっといたらわからない。

家に置いておく限りは子供は自分は今後も子供のままでいいと思っているし、

親も子供扱いが辞めれない。

(でも子供はやっぱり心の底では自立したいと望んでいる・・けどできないからそのストレスを親に向かって投げかけるのだ・・・本当は自立したいはず。子供扱いも辞めてほしいはず)

 

もし思春期の子供が親にとって耐えられないほどの反抗期にあるなら

家計が許すなら寄宿舎制の学校に送り込んでしまったほうがいい。(コロナで閉校?)

もっといいのが外国にでも留学させるのがいい。

親のいないところで一人で苦労させなければ大きな成長なんて期待できないからだ。

 

大人なら難民キャンプにでもボランテイアとして送り込み、必死になって生きている人々を目の当たりにさせることもいい。自分がいかに甘ったれているか心の底からわかるだろう。

 

自立させるには、この’子供’状態から抜け出させることが鍵なのだ。

子供状態とは自分のことばかり考えている状態のこと。自分中心で世界が回っているという考え方。自分こそが世界で最も大切で尚且つ最も不幸であるという考え方を辞めさせない限りはいつまでも子供のままなのだ。

親と離れ外に出て社会に揉まれてみて初めて親のありがたみがわかり、

ワガママは通用しないことがわかるのだ。

そして自分と向き合うことができる。

(プラス!自分の親はそこまではひどくなかったとわかる!😅)

 

手元に置いておくのが愛ではない。

可愛い子供にはどんどん旅をさせよう。

コロナが収束したらの話だけど・・・。😅

 

親の依存症

これは自分の幸せの定義づけを子供を通している人が罹りやすい。

子供が全てで子供に依存、つまり精神的な自立を成し遂げていない。

だから子供が自立しようとすると、子供に依存している親は怖くなるのだ。

自分の幸福はこの子供を基盤としているのだから、

子供が親の幸福の土台だったのだから、

いきなりいなくなれば幸福という名の建物は見事に崩れてしまう。

子供がいなくなり自分の知らない世界に行ってしまえば

見捨てられてしまうような気がしてくるのだ。(分かります・・・とても・・・😰)

今後、どうやって自分自身で立っていいかわからなくなる。

 

その依存症だけど・・・

それを克服してこそ子供と新しい関係を築けるというものかもしれない。

飛び立とうとしている子供の足にぶら下がってくる親の存在ほど迷惑なものはないのだから。

 

我が家

我が家の子供たちは皆成人しており現在全員家から出ている。

みんな家を出たくてたまらない自立志向型だった。

だから我が家に引きこもりはまずありえない。

(引きこもりになるお子さんは親のせいだけでなく生まれつきの気性が大きく関連しているように見受けられる)

 

でもしっかりなんでも自分でできる状態で家を出たわけではない。

準備万端からは程遠かった。

かな〜り危なっかしい状態だった。

だから失敗は絶対に起きると予測していた。

案の定、七転び八起き人生が彼らを待っていた。

転んだニュースを聞くたびに親は心がざわざわとして耐えられないと感じていた。

でも自分のやり方でそれなりに自分で解決すべく悪戦苦闘する彼らに助けは与えなかった。

内心は助けてあげたくてうずうずしていたけど。😅

だって尻拭いをするには年齢が行き過ぎているんだから。

そのため手を出さずに自分で解決させることにした。

歯切りししながら・・・・だけど・・・。😅

 

我が子は皆社会的な成功を遂げているわけではないけど、’それなりに’親に迷惑をかけないように生きている。

長男はコネチカットの大学院に在学しているけれど学費も親は1ペニーも払っていない。自分でやるのが当たり前なのだ。仕事もしながら貯金を崩しながら学費を払っている。親は全く助けていない。自分で全部決めて全部自分の力でやっているから必死だ。(例外はあるが、アメリカでは大学院の学費は親が払わないのが普通。)

三男は軍隊に入隊したので、軍隊から大学院の学費を出してもらうことにしているらしい。危険が伴うことから親は反対したけれどこれが彼の苦肉の策だった。

二人の計画がうまくいけば儲けものだ。彼らは自分の業績を自分の努力の成果と捉えることができる

成功すればそれは彼らの自尊心の向上にもつながるだろう。

決断の仕方と問題の解決方法を自力で学んだことにもなる。

それは自分の宝となる。

だから結果的にはこれで良かったと後になっては言えるのかもしれない。

ただやはり賭けの部分が大きく、全く心配がないわけでもない。

それは今は社会的な現象もありどうにもできない部分も多いからだ。

 

残りの子供はひたすらマイペースでその日がうまくいけばいいという考えのようだ。

将来の計画はないから明日の計画もない。

ということは今日の計画もほぼなし。😅

 

今思うことはこれだけ。

彼らが自分が満足がいく人生を歩んでくれたらそれでいい。

所詮、彼らの人生なのだ。

自分の思うがままに生きる権利が彼らにはある。

 

親はイマイチだったけど、それにもめげず、

彼らが逞しく自分でどうにかしてくれることを信じている。

いつかどうにかなると信じている。(’いつか’はまだ終わってない!😅)

日々、この信憑性ゼロの確信のようなものにすがりつくしか親にできることはないのだ。

 

今のままでいいし、将来もどうにかなるはず。

ただ何が’よくて’将来’どうなることが良いことなのかはまだわからない。

They are OK as the way they are now and they will be OK in the future as well.

We just don't know what the 'OK' really is and what it means to become 'OK'  in the future. 😅

 

我が子を見ていると、自分の子育ては失敗だったなあ・・という思いは拭いきれない。

でも、あの子育てでよかったのかもしれない。

なぜならあの時はあれが自分のベストだったのだから。

わからないなりに努力したのだから。

あれはあれで良かったのだ。

親は結局その時その時ベストを尽くすしかなく、

結果がどう出ようともそこまでは責任は持てない。

 

母熊も人間の親に絶対同じことを言うだろう。

いや、すでに言っているかもしれない。

ただ人間の親が熊の言語を理解できないだけなのだ。😅

 

ドクダミママ至言

子育ては動物のやり方をみならおう。

母熊もしっかり教えることは教える。

そして教えることが無くなってきたら子供を手放す。

(またはいうことを聞かなくなってきたら・・・)

依存心などない。

自分の使命を理解している。

人間もそのようにするべきかも。