アメリカの常識ある人の考え方
ブラックフライデーも終わった。
期待していたほど盛況ではなかったとニュースでは報道していた。
やっぱり寒い中わざわざ出かけていくのも億劫だし・・・
小売店はものすごく混み長蛇の列に並ぶのも嫌だと思うのが普通の人でしょ?
それなら出足が悪くなるのもうなずけることだ。
で、わたしのビジネスの方はというと、すっかりオンライビジネスが根付いたこともあり、
おかげさまで少しずつ売り上げを伸ばさせていただいてます。
ちょっと前に会社の同僚(別の部署)に私のやっているこのビジネスについて紹介した。
すると、こんなことを言われた。
「素敵な趣味があるのね〜〜〜!」
え???
趣味じゃあな〜〜〜い!
仕事です!
で、ふと思った。
そうやって思われているんだ、と。
世の中の人は一般的に
芸術は趣味にしかならないものだと思っているのだ。
でも私のは商業美術。
100%仕事です。
純粋芸術は、あれは投資の一環でやるもので、そのことをほとんどの人が知らない。
株は上がり下がりが激しいけれど、芸術作品は確実に値が上がるもの。
だから長者は皆やっている。
ということは結局全て商売ということ。
でもこんなことを説明しても常識人は自分のコテコテの考えで凝り固まっているから理解に及ばないと決めつけることにして、
そのことについては何も言わなかった。
夫の勤務する大学のある教授も言っていた。
ちなみに彼はアメリカ先住民の血が流れていて芸術家である。
彼が言うには、
「残念なことにほとんどのアメリカ人は教養に欠け文化的じゃあないんだよ。
巨大な家を安もので埋め尽くす人が多数を占め
大量生産に一番の価値を置く文化。
いかに低品質のものを安く多く売るか、それが一番。
彼らは自らの体重は気にしないけど、家の見かけは気にする。😓
ステータスシンボルをかなり気にする。」
そういう文化なのだそうだ。😅
それなら私の販売している商品なんてただの趣味としてしか取れなくても仕方がない。
現にうちの部署の人が集まると
「こういう職業に就いて自分達はなんと懸命か」という話になったりする。
ちょっと、ちょっと、隣に違ったタイプの人が座っているんだよ!
ああ、そっか〜。私は透明人間だったのだ〜。😓
気にかけるような存在じゃあないんだ。
つまり存在価値ゼロの人間なのだ!
彼らにとっては工学系以外は透明人間なのだ・・・・。
ちなみに、こういう日本人にお目にかかったことは今までになかった。
優秀なエンジニアさんたちはいつも本を読んでいて教養人ばかりの集まり。
淑女は当然だけど、紳士といえば文化的なのが当たり前なのだ。
でもアメリカって、なんか・・・腕力と闘争力が美徳で粗暴は国民性・・・
みたいなきらいがある。😓
まあ、それでも自分の職場はよっぽどマシな方だと思うけど。
(それはおそらく外国資本の会社であるからが一理あるかもしれない。)
出る杭抜かれる
日本にも問題はある
「出る杭抜かれる」的な文化があり、いじめがある。
自分の口から「うまくいっている」なんて言おうものなら、すぐさまペチャンコにされること間違いなし。そして敵を山ほど作ることになる。
つまりもし状況を聞かれたら、「ぼちぼちです」とか「どうにかこうにか回っています」ぐらいに留めておくのが安全。
でもアメリカにだってペチャンコにしようとする人がゼロというわけではない。
アメリカは競争が激しい国で貧富の差が生半可じゃあない。
そして貧からはい上がろうとするとそれを励ます人もいると同時に蹴落とそうとする人もいる。
ジェラシーもすごい。
アメリカ人はこのジェラシーを態度でおおっぴらに表す。
彼らはどうも本性を隠せないようだ。
その瞳には燃える炎がメラメラと映っている。
至極醜い。
結局どこにでもいるのだ。
ただそのやり方がアメリカの方がおもむろで、
日本の方が陰湿と言った方が近い。
どこにでもあるなら気にしていてもどうにもならない。
所詮住む世界が違うのだ。
そういうのが世の中であって仕方がないのだ。
でも自分の精神を病まないためには、
杭を抜こうとする人のことは無視するか離れるようにするのがベストだ。
それでも人間は社会的動物で完全無視は難しい。
だから私だって、嘘みたいと言われるかもしれないけれど、結構相手に合わせることも多い。
というか、外側ではそう振る舞うように’一応’努力している(つもり・・・)。
でも中身は違う!😅
日本では「周りの目が気になって・・・・」とか言う人が多い。
その場合は、外側だけ蛇のとぐろに巻かれるふりをしているにとどめ、心は絶対にそうなってはいけないと思う。
でもいつも蛇のとぐろと一緒にいたら、一体化してしまうだろう。
自分もその蛇であるかのような錯覚に陥るのだ。
このことはマジョリテイと行動を共にしすぎると同化してくることに似ている。
もちろん、その方が楽である。
蛇からちょっとでも離れれば、その恐ろしい目でギロっと睨まれ確実にパクリ!
それが怖いなら一体化する方を選んだ方が賢そうだ。
出る杭にはなりたくない。
それが普通の人が考えやすいこと😰
それでみんながそういう考えなら、それが社会の規範になる。
そんな社会ではグループ思考から外れることは恐怖と目に映る。
自分軸なんて・・・諦めるが勝ち!と思えても仕方がない。
本当の自分軸
本当はみんな自分の心に正直に生きたいと思っている。
つまり自分軸で生きたいと思っている。
でも自分軸で生きるということは、わがままになんでも好きなようにやっていい (例えば子供を置き去りにしてパチンコ屋に入り浸るとか・・・そういうの・・・😓)ことではないのだ。
自分軸とは、確かに、自分の判断で物事を決めること。
でもその自分の判断には自分独自の標準や規範が必要なのだ。
例えば健康がものすごく大事なら、
酒場巡りなんてしないはず。
それが自分の標準。「健康が一番」が独自の標準基準。
で、その標準に従って物事を決めることが自分軸で生きることではないだろうか?
その反対に健康がそこまで重要ではないという標準なら・・・毎日呑み放題でもかまわないことになる。人に誘われるまま生きていく、つまり他人軸で生きるということ。
風が西から吹けば東になびき、東から吹けば西になびく人のこと。
だからね!
周りで何が流行していても、人が何をしていても、それは本当は自分には関係ないのだ!
自分の標準基準がしっかりしている人は周りは関係ない!
つまりは、生きる哲学がないといけないということなのだ。
生きる哲学が標準設定につながるのだ。
ある有名な禅のお坊さんも言っておられた。
自分軸じゃあなくて「仏軸(ほとけじく)」で生きるのだ、と。
すごい!
これです!
出る杭を抜こうとする人はいても
こういう軸を持っていたら強い。
でも普通の人はそれがないからフラフラするのだ。
軸なしのフラフラ人生を生きて後悔する。
でも・・・・これは日本だけでなくアメリカにも存在している。
ただ現れ方が少々異なるというだけ。