今週はコンサル開始日で
zoomでいろいろお話しさせて
いただきました。
"自分の好きなことを発信したい"
"自分の好きに忠実に生きていきたい"
それは、10年以上も前に思いはじめて
ブログも始めたりしたけど何かが原因で
『 こんなことで弱音を吐く自分は
ダメダメだ!』
『こんなことで、ムカつくなんて
ダメダメだ!』
と、ダメそうなことに蓋をしており
生きづらさマックスで(もちろん無意識)
あ、もう、自分1人でやるのは
お手上げだ…
と思った時に、現れたコンサルのきえさん
遺伝子レベルで『不快を感じないようにする』
本能が働き、不快を避ける行動をとっていると。
不快を感じるということは
『死』が待ち受けているかもしれないから…
(食べ物が手に入らないとか…)
それは、先祖代々が生き残るために
遺伝子で引き継がれているから
父親も、母親もそうだった。
それを、わたしにも引き継がれているけど
今の時代には、死ぬかもしれないほど
危険なことは少ない。
だから、不快を避けるための
行動をとるんじゃなくて
どんどん自分の味方になって自分が
不快を感じることを許していけばいいよ〜と。
私が人に対して思う不安はだいたい
『自分が自分の味方じゃない』ことから起きていて
(情けなさ、惨めさ、孤独、嫉妬など
感じることを許さない)
みんなこれを許してもらっていないと
思い込んでいて
他人のことも、わたしが許してあげないと…
という、余計なお世話から来ていました。
(自分のこと許せてないくせにw)
それは、親が子供を※不機嫌コントロール
していて
私が他人の機嫌を取らなければいけない
と思い込んでいたから
内側で起こっていた反応で
※親が不機嫌(高圧的)になることで、
子供の自由な行動を制限するコントロール
方法
自分がどんなに
小さいと感じても、意地悪と感じても
惨めと感じても、弱いと感じても
全部ただ、感じてあげればよかったんだって
それが味方ってことなんだって
しかも、それって
感じたら終わりじゃなくて
ずっと出てくるから
ずっと味方でいればいいという話で
『到達すれば感じなくなる』
(不快は感じたくないからw)
とどこかで期待してた自分は
不快な感情は無くならなくてもいい
ということを改めて
許せた気がします。
そして、過去に感じた恐怖は
体に記憶されているということで
言葉で『こう捉えればいいんだよー』
と聞いても
沸いてくる恐さの感覚を
セラピーではずしてもらうという
体験もしました。
人に対する恐怖は
ずっと待ち続けてきたので
それこそ10年以上も前に
いろんなセラピーを自己流で
やってみたことはありましたが
不快なことって、思い出したくないので
自分1人でやるのには限界があって
人に言ってもらうことで
自分が不快で行きたくない場所まで
一緒に行けたので
誘導してもらうって全然違うなぁ!
という体感を得ました。
この不快な体の感覚というのは
もう30年以上も持ち続けているので
徐々に外れればいいなぁという
感じです…
そんなわけでずっとやってこなかった
土台作りにトライ中…
半年かけて自分と仲直りしたいと思います。