相州の、ほぼ週刊、1:1250 Scale 艦船模型ブログ

1:1250スケールの艦船模型コレクションをご紹介。実在艦から未成艦、架空艦まで、系統的な紹介を目指します。

日本海軍 空母機動部隊小史 2:艦隊空母の建造

今回は日本海軍、航空母艦開発小史の第二回目。いよいよ日本海軍の本格的な艦隊空母の建造が始まります。

 

少しおさらいをしておくと、日本海軍の空母建造は第一次世界大戦後、急速に加熱した主力艦建艦競争に歯止めをかけたワシントン軍縮条約により、背中を押されたと言っても過言ではないと考えています。

具体的には、軍縮条約により建造が中止された「天城級巡洋戦艦2隻の空母への転用がその始まりと言えます。これは日本海軍にのみ認められた保有ではなく、米海軍、英海軍でも同様の転用が認められるわけですが、それまで航空機の海軍での使用に向けて実験的な取り組みとして建造、保有されていた「航空母艦」という艦種を、一気に戦力として検討する素地が形作られたと言っていいと考えています。

関東大震災により空母変転用計画に充てられていた「天城級巡洋戦艦のうちの一隻「天城」が改造途中で損傷を受けると、これに変えてこれも条約により廃棄予定艦であった戦艦「加賀」が空母への改造に当てられることとなり、こうしてそれまで7500トン、搭載機15機の空母「鳳翔」しか保有していなかった日本海軍は、いきなり30000トンに近く、搭載機60機余りの大型の航空母艦二隻(「赤城」と「加賀」)を保有することになるわけです。

更にワシントン条約では保有制限のかからない10000トン以下の空母建造の可能性にも、日本海軍は着目し小さな船体に40機を超える搭載機を運用できる空母「龍驤」を建造しました。

これらの空母はいずれも空母第一世代ということで、様々な実験的な要素を盛り込んだ設計でした。詳しい設計経緯等は、以下の本稿前回を。

fw688i.hatenablog.com

 

空母第一世代の近代化

上記のご紹介した四隻の空母は、いずれも艦上機の進歩、運用方法の洗練に従い、近代化改造に着手されます。

その最も大きなものは、いずれも建造当初は三段飛行甲板を装備していた「赤城」「加賀」の全通一段飛行甲板形態への改装でした。

その改装要領は両艦ともほぼ同じで、三段飛行甲板を全通一段飛行甲板に変装し、この関連で中飛行甲板に据えられていた20センチ連装砲塔を撤去、更に小さな艦橋が飛行甲板上に設置されました。

 

航空母艦「加賀」の改造(全通一段飛行甲板へ)

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まず改装に着手されたのは「加賀」でした。

前述のように「加賀」は関東大震災で大きな損害を受けた建設途中の「天城」に代わり急遽空母への改造が決定されました。「天城」が高速・長船体の巡洋戦艦をベースとしたのに対し、「加賀」は戦艦を出自としたため、船体が短く、かつ27ノットという、空母としては低速で、飛行甲板への乱気流の影響が課題となった排煙の誘導については、飛行甲板への排煙の影響を最小限にするために意欲的な実験として導入された艦尾舷外排煙方式が、「加賀」の低速ではかえって広範囲に乱気流を起こすなどの弊害が露呈したため、「赤城」に先駆けて1933年から大改装を受け、艦容も三段飛行甲板から一段全通甲板に改められ、不評だった艦尾舷外排煙もこの時に改められました。。

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(一段全通甲板形態に大改装された「加賀」の概観:下の写真は三段飛行甲板形態の竣工時(上段)と、全通飛行甲板形態に改装後の比較。中飛行甲板に設置されていた20センチ連装砲塔が撤去され、飛行甲板右舷に小さな艦橋が設置されました)

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この改装により、飛行甲板の全長が伸びたことはもちろん、その下の格納庫甲板も拡大され、常用69機補用31機計100機の搭載機の運用が可能になったとされています。

その後、航空機が更に進歩し大型化した太平洋戦争開戦時にも、常用72機補用18機計90機の運用が可能でした。

改装により排水量は38000トンにまで拡大、機関も換装され28ノットに向上しました(それでも機動部隊中で最も速度が遅いことは変わりませんでした)。

 

航空母艦「赤城」(「天城級巡洋戦艦改造)

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前述の「加賀」に続いて、当初三段飛行甲板形式であった「赤城」は、1936年から予備艦に移され、先行して大改装を行った「加賀」に変わって一段飛行甲板形式や対空兵装の強化、搭載機数の増大等の改装が行われ、1938年、艦容を一変し艦隊に復帰しています。

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(一段全通甲板形態に大改装された「赤城」の概観:下の写真は竣工時の「赤城」(上段)と改装後の「赤城」の比較。「加賀」同様、中甲板の20センチ連装砲塔が撤去され、小さな艦橋が飛行甲板左舷「加賀」に比べるとやや艦の中央よりに設置されました)

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「加賀」同様、飛行甲板の全長が延長され、新型の艦上機の運用に対応できただけでなく、格納庫も拡張され、常用66機補用25機計91機の運用が可能になりました。

船体は41000トン余りまで大型化しましたが、速力は31ノットをキープしていました。

煙突との位置関係から左舷側に配置された艦橋は、当時のレシプロ艦上機の左方向への指向性からあまり良い評価が得られず、左舷艦橋は「赤城」と後述の「飛龍」にとどまり、後は全て右舷側に設置されました。

 

航空母艦「鳳翔」

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1924年の改装後の「鳳翔」概観 by Trident:アイランド形式の艦橋は撤去され、飛行甲板下の最前部に移動しました。煙突は倒された状態(下段右)。太平洋戦争中には飛行甲板は更に延長されています) 

元来が狭い飛行甲板であるにも関わらずアイランド構造の艦橋をもっていた「鳳翔」でしたが、飛行甲板の運用性への考慮から、1924年にアイランド式の艦橋を撤去して平甲板式の形態となりました。

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(竣工時の「鳳翔」と改装後の「鳳翔」の比較:アイランド型艦橋が撤去されています。可倒式の煙突はそのまま引き継がれました。下の改装後のカットでは煙突は倒されています)

それでも、進歩著しい艦上機には飛行甲板の適応性が低く、太平洋戦争時には最新式の艦上機の運用は不可能となっていました。太平洋戦争中は、当初、運用可能な複葉の96式艦上攻撃機を搭載して第一艦隊(戦艦部隊)の対潜哨戒等の任務についていましたが、その後飛行甲板を延長し、発着艦訓練の練習空母として活動しています。

 

終戦まで直接戦闘に入ることはなく、戦後は復員船として活動しました。

 

航空母艦龍驤

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ワシントン条約の空母保有枠を意識して設計された小型航空母艦龍驤」の概観:149mm in 1:1250 by Neptun:s設計途中でロンドン条約が締結され、小型空母も条約の保有制限対象となったため、急遽、格納甲板を一段追加、いかにもトップ・ヘビーな概観となりました)

小さな船体に要求事項を目一杯盛り込んだ過重な装備から、就役直後から復原性に問題があるとされた「龍驤」はバルジの大型化、キール部分へのバラストの追加等、対策が取られましたが、還元の減少等、別の課題が発生していました。「第四艦隊事件」では、事故の当事艦の一隻となり、環境に大きな損害が発生しています。その後、船首部分を一層追加して還元を高める、艦首の前面形状を凌波せいを意識した形状に改修するなど、対応が取られました。(モデルはおそらく最終形態です)

 

本格的艦隊空母の建造

進歩著しい航空機の戦力化を考慮すると、航空機の集中運用の発想に行き着くことになります。ことにワシントン体制で大型空母を二隻(「赤城」「加賀」)建造すると更にこれを強化するための艦隊空母建造への要望が高まってゆきます。

 

中型艦隊空母構想と模索

前回でも一部記述しましたが、世界初の空母であった「鳳翔」がワシントン・ロンドン両条約での退役可能年限を迎え、つまり代艦の建造が可能となった際に、日本海軍が空母保有枠として想定できた排水量は21000トンでした。これに前述の航空機の集中運用、先行して建造された二隻の大型空母(「赤城」「加賀」)という条件を加えると、二隻の中型空母の保有が検討すべきヴィジョンとして浮上してきました。

この構想から、1934年の第二期建艦計画(丸二計画)で、用兵側から艦政本部に以下のような要求が提出されています。排水量10050トン(ロンドン条約の規定により枠内で2隻の航空母艦を建造する場合の上限値)、速力36ノット、搭載機100機、主砲20センチ砲5門、高角砲20門、対空機関砲40基。

この要求は夢物語の類であるとして、設計側はそれでも排水量10050トン(ロンドン条約の規定による)、搭載機70機、主砲15.5センチ砲5門、高角砲16門という、これも先述の「龍驤」の仕様を考慮すると途方もない設計案で、これに回答しようとしたようです。

これは「蒼龍原案」として記録されています。

 

蒼龍原案

こういう枝葉的なお話は筆者の大好物で、なんとかモデル化できないものか、という試みの種になるわけです。こういう種を見つけ自分なりに形にしてゆくことが、コレクションを続けてゆく原動力の一つになっている事は間違いありません。

と、言い訳を書いた上で、モデル化のお話です。

本稿前回で既にモデル化に着手している、というお話をしたのですが、今回はその完成形を。

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(「蒼龍原案」の概観:未成艦ですので、筆者の想像の産物ですからご注意を)
(模型の制作について)

手順をおさらいしておくと、筆者の手持ちの古いストックモデルの中から候補として使えそうな「蒼龍級」のモデルをピックアップ。「蒼龍級」のモデルとあえて記載したのは、今回は艦橋部の構造を少し変えてみたくて「雲龍」のモデルをストックからピックアップした為です。

一旦、飛行甲板と船体を分離して、「蒼龍原案」の最大の特徴である15.5センチ主砲塔の搭載スペースを、飛行甲板前部の下部甲板に作ります。格納庫甲板を縮小する作業をするわけですね。そこに連装砲塔と三連装砲塔を設置。船体の軸先への重量負担を考慮して、当然、前から軽い順で連装砲塔、三連装砲塔の順だろうと決め付けて設置したのですが、実際は三連装、連装の順だったようです。まあ、元々が飛行甲板下の主砲塔では旋回に限界があるでしょうし、仰角も俯角も制限が大きすぎて、近距離砲戦以外には使い道がなさそうなので、疑問符だらけではあったのですが。

まあ、そこは目を瞑って(結局、三連装、連装の順に修正することも目を瞑ってしまいました。ですのでモデルは連装・三連装の順のままです)、右舷側の煙突を撤去し代わりに直立煙突を設置します。この形態をどうするか、「少し悩みましたが、最終的には比較的ストレートな形の煙突にしてみました。

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(上の写真は最大の特徴である艦首部の主砲塔配置を示したもの。本文で記述の通り、計画では三連装・連装の順だったようですが、今回製作したモデルでは連装・三連装の順で作成してみました)

 

第四艦隊事件と主砲廃止

「蒼龍原案」の設計が進む一方で、「第四艦隊事件」が発生します。

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この事件は、ワシントン・ロンドン体制の制約を背景として、艦型には小型化の圧力がかかります。一方で用兵的には武装強化の傾向が著しく、この両条件から、トップヘビー、あるいは船体に部分的に過度な負荷がかかる等の課題を内在していた日本海軍の艦艇が、荒天下の演習で相次いで損害を出した事件です。この事件と、その以前に発生した「友鶴事件」と併せ、全般的な復原性、船体強度の見直しが行われ、ほぼ全艦艇に何らかの改修が加えられることとなりました。

この一連の動きの中で、「蒼龍原案」についても見直しが行えわれ、結論として航空母艦への主砲搭載が廃止されることとなりました。

こうして、「蒼龍原案」は、空母「蒼龍」として建造されることとなりました。

 

航空母艦「蒼龍」「飛龍」の建造

上記のような経緯で、日本海軍は退役年限を迎える「鳳翔」の代艦枠も併せ20100トンで、中型空母二隻を建造することとなりました。

 

航空母艦「蒼龍」

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航空母艦「蒼龍」の概観:180mm in 1:1250 by Neptun)

上記のような経緯で条約の制約を「遵守」して建造されたため「蒼龍」は公称10000トン級の小型空母、という印象が特に列強海軍にはあったようです。(ミッドウェーで「蒼龍」に命中弾を与えたパイロットは艦の大きさから「加賀」と誤認していたようです。自分が命中弾を与えたのが「蒼龍」だったと知った際に、「ああ、小型空母を見誤ったのか」と悔しがったとか)

実質は18000トン(公試排水量)の船体を持ち、エレベーター3基を装備、34ノットの高速を発揮する中型の本格的空母として誕生しました。二段式の格納庫を全通飛行甲板下に持ち、搭載機は竣工時には常用57機補用16機計73機とされています。

太平洋戦争開戦時(つまり真珠湾作戦)では、常用57機を運用する空母でした。

日本海軍としては理想的な中型空母と言え、建造費用、サイズ等の観点からも戦時の量産空母の雛形とされ「蒼龍」の基本設計から「雲龍級」空母が量産されています。

 

航空母艦「飛龍」

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航空母艦「飛龍」の概観:182mm in 1:1250 by Neptun)

「飛龍」は、前述の「蒼龍」と共に中型空母として建造されました。しかし、「蒼龍」の起工直後に、日本はワシントン・ロンドン体制からの脱退を決定しており、この為本来二番艦であった「飛龍」は「蒼龍」を原型としながらもやや拡大した設計となりました。

結果20000トン(公試排水量)、エレベータ3基、速力34ノットと性能的にはほぼ「蒼龍」と同等ながら、船体の強度、凌波性の向上等に配慮された船体を持つ空母となりました。(公称は「蒼龍」と同様10000トン)

大きな特徴として、「赤城」と同様に艦橋を左舷中央に設置しています。この狙いとしては、艦首よりに設置された艦橋よりも大型艦上機の発進時(つまり飛行甲板後部から滑走を始めるわけです)に、艦首方向への視野が大きく開け障害になりにくい、ということが挙げられました。その他にも右舷側に突き出した煙突とのバランス、煙突の排気路を避けた搭乗員通路の設定ができ運用がスムーズになる、格納庫の形状が効率的のなる、などの利点がありましたが、一方で左指向性のある(プロペラの回転方向から、左へ流れる傾向がある)レシプロ機では着艦時に障害となるなど、搭乗員側からの評判はあまり良くなく、左舷配置は「「赤城」「飛龍」の二艦に留められました。

搭載機数は竣工時には常用57機補用16機計73機で、「蒼龍」と同じでした。(真珠湾作戦時には常用57機搭載)

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(「蒼龍」(手前)と「飛龍」の概観比較:「飛龍」は「蒼龍」の拡大改良型とされていますが、基本は同型で大きさには大差ありません。艦級の位置の差異が目立ちますね。「蒼龍」は右舷側、「飛龍」は左舷側ですが、さらにその飛行甲板上の位置も大きな差異が見られます。「蒼龍」の場合には排気路との干渉を避けるために、前よりになっています)

 

 

大型艦隊空母の建造

中型空母「蒼龍」の建造に着手した時点でワシントン:ロンドン体制からの脱退を決めた日本海軍は、第三期建艦計画に大型艦隊空母の建造を盛り込みます。

 

「翔鶴級」航空母艦(「翔鶴」「瑞鶴」)

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(「翔鶴級」航空母艦の概観:205mm in 1:1250 by Neptun:下の写真は「翔鶴」(奥)と「瑞鶴」。両艦は同型艦でしたので大きな差異は、このスケールでは見られません)

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「翔鶴級」空母は、一定の成果を得たとされる「蒼龍」「飛龍」の設計を拡大されたものでした。上記の「飛龍」での艦橋一から得た教訓から、艦橋は右舷側に設置されています。

発艦への前方障害への配慮から設計された「赤城」「飛龍」の左舷中央の艦橋位置でしたが、実は艦上機の大型化、重量化に従い、発艦よりも着艦時のスペースに重点が置かれるようになり、この為、「蒼龍」等、右舷前方位置に艦橋が置かれる方が運用には有効だったようで、「翔鶴級」空母でもこの方式が踏襲されました。

船体は29000トン(公試排水量)まで拡大され(「飛龍」20000トン)、飛行甲板の全長も242mとなりました(「飛龍」216m)。

速力は34ノットを発揮し、二段式格納庫を有し、常用72機補用12機の搭載機を運用することができました。

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(「飛龍」(手前)と「翔鶴」の概観比較:これが中型空母と大型空母の違い、というカットですね)

本級の完成で、日本海軍は艦隊空母六隻(「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」)の運用が可能となり、これに既成の二隻の空母(「鳳翔」「龍驤」)と以下に紹介する二隻の補助空母(「瑞鳳」「春日丸」)を加え、10隻の体制で太平洋戦争開戦を迎えることになります。

 

艦隊補助空母の建造

「瑞鳳級」航空母艦

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艦隊空母の整備と共に、日本海軍は艦隊補助空母の整備にも力を入れてゆきます。

艦隊補助空母は、既にワシントン・ロンドン体制の空母保有制限下で、戦時に速やかに空母への改装を念頭におき、かつ艦隊に帯同し航空支援や上空警戒を提供できる速力(空母改造時に30ノット程度の速度を有する)を持った補助艦艇の整備が進められていました。

「瑞鳳級」空母はその一例で、高速給油艦「剣崎」「高崎」を戦時には小型空母に改造する計画でした。当初は上部構造を持たない高速給油艦としての建造開始でしたが、のちに空母への改造の簡易化を一層進めて、上部構造を搭載する潜水母艦へと設計が改められました。

 

「剣崎級」潜水母艦 

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結局、「剣崎」は潜水母艦として1939年に就役。その後、1940年から空母へ改造され、1941年12月に空母「祥鳳」として再就役しています。

一方「高崎」は潜水母艦として建造途中から空母へ設計変更され、空母「瑞鳳」として1940年12月に完成し、潜水母艦としては完成されませんでした。

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(「剣崎級」潜水母艦は、筆者の知る限り、1:1250スケールでは市販のモデルがありません。上の写真は筆者がセミ・スクラッチしたものです。「瑞鳳」の母体となった「高崎」は前述のように潜水母艦としては完成されないまま航空母艦になりましたので、潜水母艦としての「高崎」は結局存在していません。モデルは「剣崎」の図面(こちらは潜水母艦として完成しています)に従ったもの。後に空母「祥鳳」に改造されています。という次第で、形態はあくまでご参考という事でお願いします)

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(上の写真は、潜水母艦形態と航空母艦形態の比較。エレベーターなどが最初から組み込まれていたことがよく分かります。後部のエレベータ:上の写真では船体後部のグレー塗装部分:は潜水母艦時代には、エレベータは組み込まれたものの、上に蓋がされていたようです)

 

航空母艦「瑞鳳」

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航空母艦「瑞鳳」の概観:164mm in 1:1250 by Trident)

「瑞鳳」は潜水母艦「高崎」を建造途中から航空母艦へと改造して完成されました。従って「剣崎級」潜水母艦一番艦の「剣崎」が潜水母艦として完成しさらに空母に改造されるという手順を踏んだ為、二番艦の「瑞鳳」が空母としては先に完成し就役しました。

13000トン(公試排水量)の船体を持ち、当初は航続距離を稼ぐことを目的に主機にはディーゼルを搭載していましたが、故障が多く計画出力を出せない為、蒸気タービンに換装されました。この機関換装により、28ノット(計画では31ノットだったのですが、それには至らなかったようです)の速力を出すことができました。180mの飛行甲板を持ち2基のエレベータを装備していました。

二段式の格納庫を持ち常用27機補用3機の搭載機を運用することができました。搭載機の3分の2は艦上戦闘機零戦)に充てられ、飛行甲板の長さから着艦速度の速い艦上爆撃機の運用には向かない為、残り3分の1は艦上攻撃機を搭載し、艦隊上空の直掩と、艦隊周辺の哨戒を主要な任務としていました。

 

 

特設補助空母の建造

日本海軍は前述の補助艦艇を戦時に空母に改造する計画と並行して、一般商船を空母に改造する計画も持っていました。

その為、民間の海運会社に設計(爆弾庫・魚雷庫への転用可能な船倉設置の設計等)の受け入れを条件に補助金を支給していました。

1940年に入り、ヨーロッパでの大戦の激化を受けて、海軍は日本郵船でこの助成金で建造中の空母適格商船三隻を買取り、空母への改造を決定します。

「出雲丸」「橿原丸」「春日丸」がこれで、このうち「出雲丸」「橿原丸」は、幻の東京オリンピック(1940年開催予定)の海外からの集客を当て込んで設計された、当時商船としては破格の27000トンの大きな船体をもち、24ノットの高速を発揮する日本最大の豪華客船として設計された船で、船体の大きさ、速力、いずれも空母への適性が高い船でした。後に「隼鷹」「飛鷹」として完成し、商船改造空母ながら、艦隊空母として大活躍します。

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(特設航空母艦「隼鷹」の概観:175mm in 1:1250 by Neptun: 下段右のカットは、「隼鷹」で導入された煙突と一体化されたアイランド形式の艦橋を持っていました。同級での知見は、後に建造される「大鳳」「信濃」に受け継がれてゆきます。下の写真は、「隼鷹」(奥)と「飛龍」の比較:「隼鷹」は速度を除けば、ほぼ「飛龍」に匹敵する性能を持っていました。商船を母体とするため、全般にゆったりと余裕のある設計だったとか)

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(こちらは、いずれ詳細のご紹介します)

 

空母「春日丸」(後「大鷹」)

もう一隻の「春日丸」はこちらも日本郵船が建造中の欧州航路向けの三隻の貨客船(新田丸級)で、17000トンの船体を持ち、21ノットの速力を発揮することができる優良船でした。

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(直上の写真は:空母「春日丸」の概観。147mm in 1:1250 by C.O.B. Constructs and Miniatures: 「大鷹級」空母は、商船改造空母のため速力が遅く、かつ飛行甲板の長さも十分でないため、艦隊空母としての運用には難がありました。そのため大戦の中期までは、主として航空機の輸送に使用されていました:商船時代の「春日丸」欲しいけど、なかなか手に入りません)

「春日丸」は1940年に進水し、その直後から空母への改造工事に着手し、1941年9月に三隻(「出雲丸」「橿原丸」「春日丸」)のうちでは最も早く空母として完成し、就役しています。就役時には徴傭船であった為「春日丸」の船名での就役でしたが、後に残りの「新田丸級」貨客船改造空母「沖鷹」「雲鷹」と同時に1942年8月に海軍に買い取られ「大鷹」と艦名を改めています。

 

「新田丸級」貨客船は、「新田丸「八幡丸」は一旦商船として就役した後、太平洋戦争の開戦を受けて相次いで空母に改装され、それぞれ空母「沖鷹」「雲鷹」として就役します。

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ということで、今回はここまで。

太平洋戦争開戦時の10隻の空母が揃いました。(「鳳翔」「赤城」「加賀」「龍驤」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」「春日丸」)

次回は、これらの空母をどのような構想で編成し、運用しようとしたのか。そしてその緒戦をどのように戦ったのか、その辺りをご紹介しつつ、ライバルの米艦隊の空母もちらほらと登場(するかも)。意外と長いミニ・シリーズになるのかも。

 

もちろん、もし、「こんな企画できるか?」のようなアイディアがあれば、是非、お知らせください。

 

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