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竹島が日本領と認められたのは米国と英国のおかげだったという歴史的事実

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黒井:英国が何度も日本を助けてくれていたことは周知の事実だと思うが、竹島問題についても同様だ。日本が竹島の領有権を放棄しないことを米国と共に明確にしながらサンフランシスコ条約を結ぶことで、日本を国際社会へと復帰させる役目を果たしてくれたからだ。

※この記事は2019年6月24日に投稿された記事だ。News U.S.で最も多く読まれた記事をいくつか抜粋して再編集し、特選記事として再掲することにしている。

【世界を読む】あわや朝鮮領…「竹島=日本」は英国のおかげ? 平和条約に秘話
2019.6.17 10:00 産経WEST

 韓国が不法占拠を続ける島根県・竹島。戦後、日本の領域を決定したサンフランシスコ平和条約の草案作成をめぐり、竹島を日本領とする上で英国が重要な役割を果たしたことは、あまり知られていない。英国内に残る当時の資料を島根県竹島問題研究会の藤井賢二委員が調査・分析し、その経緯を論文にまとめて発表した。藤井氏は「英国には『東西冷戦』が念頭にあった。帰属のあいまいな島嶼(とうしょ)は紛争の要因となり、それが社会主義陣営に利益をもたらすとの懸念を抱いていた」と説明する。

■初めから「竹島=日本領」ではなかった

 1952年に発効したサンフランシスコ平和条約に「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州(さいしゅう)島、巨文(きょぶん)島及び欝陵(うつりょう)島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」という条文がある。これによって、日本が朝鮮を放棄するに当たり、朝鮮に付随する島は済州島、巨文島、鬱陵島の3島と明確に規定された。竹島は、放棄する島に含まれなかったのだ。

 「ただ、条約の草案作成段階から『竹島=日本領』と明確にされていたわけではなかった」

 英国国立公文書館が所蔵する日本の被占領期(1945~52年)に作成された資料を調査・分析し、「対日講和条約と竹島」と題する論文を「島嶼研究ジャーナル」8巻2号(島嶼資料センター刊)に発表した藤井氏が言う。藤井氏は同条約の成立過程に着目し、条約の英国草案や米英間協議の議事録などを精査した。
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https://www.sankei.com/west/news/190617/wst1906170001-n1.html

竹島が日本領と認められたのは主に米国のおかげ

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